シュヴイル/主の未来に馳せる想い
心地よい沈黙に浸りながらグラスを傾ける。
手に取るのが同じなら、飲むタイミングもまた同じ。先ほどのハンバーグの時もそうでしたが、お嬢様と私はシンクロするが如く、行動が重なることがございます。
これも、幼い頃より共に過ごしてきた影響なのでしょうね。
『⋯ふぅ』
料理人の彼女が言っていた通りですね。
喉を通る冷たく澄んだベリーティーは、濃厚なお肉料理の後味を驚くほど爽やかに洗い流してくれます。
最近ではもう、ニリジア公爵家を騒がせているお嬢様の妹君の奔放な光景が、すっかり日常となっております。
一度は死の淵を彷徨い、奇跡的に息を吹き返して以来、あの方はまるで野生児のように……いえ、別人のように活発になられました。
かつてはお淑やかだった妹君。構いすぎるお嬢様をうざったいとあからさまに避けていたあの頃が、今では遠い昔のようでございます。
『満足したわ。…少し食べすぎたかしら』
グラスに残ったベリーティーを揺らすお嬢様。満足感からか、はたまた満腹感からか。どこか少しぼーっとされたご様子で水面を見つめておられます。
肉厚なハンバーグにコンソメスープ、ご飯もしくはパンに、このベリーティー。料理はどれも逸品でしたが、公爵令嬢であるお嬢様にとってはそれなりの量の食事でございました。
これは、ご夕食が入らない可能性が高いですね。
『お嬢様。お屋敷に戻られましたら、すぐにご夕食の時間かと存じますが…⋯お腹に余裕はございますか?』
御者には使いとして先に帰ってもらい、寄り道をしている旨は伝えさせておりますから、お屋敷でいつものフルコースが並んで待っている。などという事態はございませんが。
『どうかしら。なんだか眠くなってきてしまったのよね』
カップから漂うベリーの香りと、微睡むように目を細められるお嬢様の穏やかな吐息。
やはりご夕食はお食べになれそうにありませんね。全部は無理でも少しくらいはと考えておりましたが、このご様子ではご帰宅後すぐにご自室でお休みになられるでしょう。
『それはもう、これ以上は入らないという意思表示と解釈してよろしいのでしょうか』
『そうかもしれないわね』
料理長は、穏やかで優しさの塊のような方。怒った姿を拝見したことはございません。
今回もまた、報告する私を見て
『ははは、それは仕方ないですね。シュヴイル君は本当に、アルマフリアお嬢様が好きなんですから。甘やかしの天才ですね』
とからかいつつ、
『連日同じものをお出しするわけにはいかないので、作ってしまったものは皆でいただきましょう。もちろん、君も手伝ってくれますよね?』
と、お茶目に肩をすくめて笑うのでしょう。
馬車の中で話した『ご夕食前にあまり召し上がると料理長が泣きますよ』というのは冗談でございます。大の大人が食事を一口も食べてもらえなくて泣いてしまった。という事態にはさすがになりません。
『…かしこまりました。戻りましたら、私から料理長に伝えておきます。我々は共犯でございますからね』
『そうね、共犯だものね。ありがとう』
料理が美味しかったからか、あるいは私の回答が気に入ったのか、満足そうな顔で微笑むお嬢様。
その笑顔を見て、お嬢様にとって幸せといえる時間が一秒でも長く続きますようにと願いました。
それが執事として、そして幼馴染としての、私のたった一つの願いなのです。
「予想通り、料理長は肩をすくめて笑っておられましたね。こういうことは初めてではございませんから」
手元の冷めた紅茶を一口啜る。
学園帰りに寄り道をなさる際は御者に一報を入れさせておりますので、万全にご夕食を用意し終えているという最悪な事態は避けられております。
あの時のように、小腹を満たせる程度の軽い料理のみを準備しておくという調整は可能ですので、やはり報告というのは大事なことなのです。
とはいえ、料理人にとって丹精込めた一皿を口にしてもらえぬというのは思うところがありましょう。
報告に行ったあの夜の厨房で、一部の料理人が肩を落としていたのは事実です。
失礼ながら、馴染みの高級店でもない、どこの馬の骨とも知れぬ正体不明の店の料理を食べて満足げに戻られたお嬢様を見て、彼らは職人としての嫉妬に焼かれたのでしょう。
それは馴染みの仕立て屋や宝石商を差し置いて、他所の者を呼ぶ時の気まずさに似ております。
料理人ではない私には、彼らの心痛を完全に理解することはできません。ですが、もし私の専属執事という職務をどこの誰とも知れぬ男に奪われる場面を想像すれば⋯⋯⋯ええ、ええ、別種ではありますが、その心中、察するに余りありますね。
ティーカップを持つ指に力が入る。
そのような事態になれば……おそらく、二人きりになった際にお嬢様に直接理由をお尋ねした上で、こう申し上げる気がいたします。「どうか最期まで、お側に居させてくださいませ」、と。
…まあ、このもしもはあり得ない話なのですが。
つい最近も、『またくよくよと、起こり得ない未来を妄想しているの? 未来の旦那様に側仕えを侍女に変えろと言われても、変えるつもりはないから安心なさい。シュヴにはずっと私の隣にいてもらうわ。……ど、どの意味で捉えるかはあなた次第だけれどね』と仰ってくださいましたので。
……最後のお言葉は冗談として流しつつも、心の一番大切な場所に仕舞っております。
「そういえば最近、料理を練習し始めたんです。自分でも作れるようになりたいなと思いまして」
「自分で作れるようになると、その日の気分で食べたいもの決められますしいいですよね。作ってもらうありがたみも分かりますし。普段は料理人の方たちが作ってるって話でしたよね」
「ええ、普段はそうですね」
感謝を忘れたことは一度もありませんが、実際に包丁を握るようになってからは、一皿に込められた技術や苦労などが分かって、よりありがたみが増しました。
「ただ、こうして自分で作るようになると、できあがるものが自分の好きなものばかりになってしまうところが考えものですね」
「分かります。私もお菓子とか作るんですけど、気がつくと自分の好物ばかり並んでしまって。…あ、一応この店のお菓子担当でもあるので。出すのはたまにですけどね」
「それは一度食べてみたいですね。自分がその日に訪れられることを祈るとしましょう」
運が良ければ、今度お嬢様を伴って訪れた際、彼女の作るお菓子を共に味わえるかもしれません。
あの方の新たな笑顔が見られるかもしれないと思うと、ここへ足を運ぶ楽しみがまた一つ増えた気がいたします。
「お嬢様と行動を共にしていると食べる機会も多いですし、それもあってか、いつの間にか食べることが趣味のようになってしまいまして。食べ歩きをしては料理を分析し、帰宅してから厨房で再現を試みる。それが最近の休日の過ごし方ですね」
美味しいものの最後の一口というのは、いつも名残惜しく感じるものです。
一口分の崩れた茶碗蒸しを掬い上げ、ゆっくりと口に運ぶ。
「再現するのは相応に大変ですが、新しく何かを学ぶというのは良いものです。再現度が上がるほどに心が躍ります。…致し方ないことですが、やはりレシピというのは貴重なもので、そう容易く教えてもらえるものではありませんからね。フィナ殿は違うみたいですが」
他の料理人とは考え方が違うのか、あの店主殿は秘伝のはずのレシピを驚くほど気兼ねなく渡してしまいますからね。
それが無用心すぎると思うと同時に、職人として素晴らしい器の持ち主だとも思います。
「楽より苦を取れ、というやつです。以前こちらでハンバーグを召し上がられた際、お嬢様が『明日の朝食にも食べたいわ』と仰られましてね。その時は頂いたレシピを元に料理長に再現してもらったのですが、それを食べた時のお嬢様のあの幸せそうなお顔が忘れられなくて…。それで、自分もやってみようかと思い立ったのです」
お嬢様が心から愛した味を、いつかはこの私の手で完璧に再現してお出ししたい。そんな欲求に抗えなかったのです。
ただそうして試行錯誤していると、どこから聞きつけたのかお嬢様に知られてしまったようで、『失敗したものでも良いから、作った日は間食に出してちょうだい』と、おねだりされてしまったのです。
「主が望むことであり、嬉しい気持ちもあるのですが……流石に失敗作をお出しするわけにもまいりません。ですから、お許しを頂いた時間に厨房をお借りして練習に励んでいるのですよ」
料理は専属の職人がおりますので、執事が厨房に立つ機会など本来はございません。ゆえに、私の料理をお嬢様に食べていただける機会というのは、それだけでもう充分に過ぎるほど貴重な時間なのです。
「み、見ただけで再現できるなんてすごいですね」
「ありがとうございます。ですが、まだまだ完璧には程遠い。精進しなければなりません。当家の料理長ほどではなくとも、せめてごく普通の料理好きの手料理並みにはなりたいものです」
「⋯もうなっているんじゃ」
「いえいえ、まだまだですよ。及ばぬどころか、入り口に立ったばかりです。……おや」
砂時計を見ると、中の砂がもうそろそろ落ち切ろうとしている。
お嬢様の話になると時間が経つのが早く感じますね。
「あ、そうでした。これ、茶碗蒸しのレシピです」
ラーナ殿が一枚の紙を差し出してくる。
お願いした時からなんとなく結果は分かっておりました。以前、ハンバーグのレシピを頂いた時もそうでしたからね。
「ありがとうございます。レシピの対価は、おいくらになりますか?」
「それについては差し上げます。愚痴聞きサービスの利用料金のみいただきますね」
「ですがそれでは⋯」
「こちらにも事情があるのでもらうわけにはいかないんですよね。なので、そのままお持ちください。これ以上の問答はしませんよ?」
どうあっても引きそうにありませんね。
今回の茶碗蒸しのレシピだって、本当に貴重なものなんですけど⋯⋯やはり前回同様対価は受け取っていただけないようです。
フィナ殿もそうでしたが、ラーナ殿も不思議な方ですね。
「⋯分かりました。お言葉に甘えさせていただきます。では、お代をお支払いしたいのですが」
「あれ、まだ2、3分ほど残ってますけど…⋯終了でいいんですか?」
「ええ。レシピを頂けたことですし、早速作ってみたくてうずうずしておりまして」
「なるほどです。えっとじゃあ、愚痴聞きサービス終了で、料金は2,000ダルアです」
食べ放題飲み放題に加えこれほど親身に話を聞いてもらえるというのに、あまりに安すぎるのではないか。そんな懸念を覚えつつも、革袋から金貨を取り出しテーブルの上へ。
「ちょうどですね」
それをラーナ殿が受け取り、支払いが完了したところで席を立つ。
「またこのサービスを利用させていただきますね。その時もよろしくお願いいたします」
「はい。いつでもお越しください」
上着を羽織りドアの近くに。揃えてある靴へと足を入れ、軽く地を踏んで慣らす。
「(土足禁止の室内というのは珍しいですが、案外悪いものでもありませんでしたね。お嬢様も気に入るかもしれません。帰ったら話してみましょう)」
来る時に付着した雪の名残か、靴底が僅かに冷たく感じた。
「本日は楽しいひとときをありがとうございました。失礼いたします。……それでは、また」
ドアを開ければ、ひんやりとした空気が頬を撫で過ぎ去ってゆく。
雪の積もった地面に足を踏み入れ一歩、二歩。
藍色に染まり始めた空の下。愛しい主が待つ場所へと、軽やかな足取りで歩き始めた。
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シュヴイルは後にこう語る。
『「失敗も成功の元。何度間違えたっていいのよ。その挑戦する気持ちが大事なの。失敗も成長している証なんだから、胸を張りなさい」そう仰って、私の不格好な料理ですら喜んで食べてくださるお嬢様。
何事にも寛容で、決して人を責めず、貶めることもない。そんなお優しく素晴らしい主だからこそ、私はその笑顔を守るために努力を続けられる。彼女の願いであれば、そのすべてを叶えて差し上げたいと思えるのです』と。
彼は一年後、宣言通りごく普通の料理好きと遜色ない腕前を身につけ、あらゆる料理の再現において長足の進歩を遂げた。
主であるアルマフリアも彼の成長を心から喜んだが、ある時ふとボソリ『⋯もう失敗した料理を食べられないのね。少し寂しいわ』と独り言を漏らしたという。
⋯⋯その言葉が彼の耳に届いていたのかどうか。それ以来、腕前が上達したはずのシュヴイルがなぜか、たまに失敗作をお嬢様の元へ運んでくるようになったのは言うまでもない話。
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【茶碗蒸し】
茶碗に出汁と溶き卵を混ぜ合わせた卵液を注ぎ、鼓舞椎茸、ギィ杏、鶏肉、プロペラエビ、蒲鉾などを入れて蒸し上げたもの。上には爽やかな香りの三つ葉が乗っている。
【ギィ杏】
手に持つとギィギィ鳴る銀杏。
その音は鳴き声ではなく、動くこともない。ただ音が不気味なだけの種子。
通常の銀杏と同じ手順で下処理をして食べる。味も特に変わらない。
【鼓舞椎茸】
子実体に2つのコブがある椎茸。
マラカスに似たそのコブは、太陽が当たると陽気に動きシャカシャカと音が鳴る。
なぜ陽が当たると動くのか。それは未だ解明されていない謎である。
食べるとちょっとだけ体調が良くなる薬用キノコ。
【プロペラエビ】
尻尾がプロペラのような形になっているエビ。尻尾を回転させて、水中を自由自在に高速で動き回る。
よく動くために身が引き締まっており、焼いても生でも噛むとプリッと弾ける癖になる弾力を楽しめる。
【ハンバーグ】
牛や豚の挽き肉に玉ねぎ、パン粉、鶏の卵、香辛料を混ぜて練り、平たく成形して焼き上げたもの。
追加料金を支払うと、デミグラスソースも付けられる。
付け合わせには、にんじん、ブロッコリー、皮付きの裸足じゃがいもが添えられている。




