7 弟は姉の苦労を知らない
お父様はとても多忙な人だけど、屋敷に戻ってきた日には、必ずユリウスに剣の稽古をつけていた。
最初はガリガリだったユリウスも、しっかり食べて眠って剣の訓練を続けていると、一年も経つ頃にはぐんと背がのびて私を追い越してしまった。
(予想通りね。そのうちお父様は稽古を始めるだろうと思っていたのよ)
剣の稽古には私は参加できない。
一人ぼっちで寂しくて遠くからユリウスを見守っていると、彼は短い休憩時間に手の平をじっと見つめている。
何かと思えば私があげたリボンで、一年経ってもまだ持っていたのかと驚いてしまった。
(もう失くしたかと思っていたわ……)
すぐにどこかへやるだろうと、軽く考えていたのに。
(もしかして、辛いことがあるたびにああしてリボンを眺めているのかしら。負けてたまるか、って思いながら)
想像するとちょっと怖いので、私は考えるのをやめた。
いずれにせよ、ユリウスが向上心を持つのはいいことだ。
その根底に、厳しい姉に対する恨みつらみがあったとしても。
私とユリウスが八歳になった頃、私の人生を変えるような出来事が起こった。
王家から私にセドリック殿下の婚約の打診があり、顔合わせのために殿下がこの屋敷に来るというのだ。
わざわざ殿下が自ら公爵家に来ることになったのは、第二王子が生まれたばかりで王宮内がピリピリしているからだろうと思われた。
「姉上……本当に婚約してしまうんですか?」
その日、ユリウスは地獄に落ちたみたいな暗い顔をしていた。
もう嫌で嫌で、心底嫌でしょうがない。そんな顔だ。
お父様が婚約に関する書状を持って帰って来た日も、ユリウスは泣きそうな顔で私を見ていた。
(怖い姉が家から出ようとしてるんだから、喜んだらいいと思うんだけど……。教師としての私のことは、必要だと思ってくれているのかしらね)
とはいえ、このままではユリウスをセドリック殿下に会わせる訳にはいかない。
「いいこと、ユリウス。殿下がいらっしゃったら、あなたは自室から出ては駄目よ」
「どうしてですか」
「どうしてって、そんな顔をしているからよ。あなたが表に出てきたら、セドリック殿下は歓迎されていないのかと誤解されるでしょう。不敬なのよ」
「……では、笑っています」
そう言うと、両手でほっぺたをぐいっと上に持ち上げた。
無理やりすぎる。
「目が笑っていないわ……。怖いだけよ」
「それでも、ぶすっとしているよりはマシでしょう。僕は護衛として姉上の傍にいます。護衛なら笑ってなくてもいいですよね? 殿下からあなたをお守りします!」
「殿下は私を襲ったりしないわよ……」
呆れたように呟いてから、あることに気が付いた。
(そうか、分かったわ。お父様から剣の訓練を受けているから、騎士ごっこをしたいのね)
ユリウスは騎士団長たるお父様をとても尊敬している。
騎士服を着たお父様を憧れの眼差しで見つめているのを、私は何度も目撃してきた。
どうしようかと考えかけた時、私たちの様子を眺めていたお父様が言った。
「リアーナ、ユリウスの願いを叶えてやっておくれ。きっと今後の励みになるだろう」
「もう。お父様は、ユリウスに甘すぎます」
私はごほんと咳払いしてから、ユリウスに向き直った。
「仕方のない子ね、今日だけあなたを護衛に任命します。その代わり不用意に発言しては駄目よ。王族の前では、許された人間しか話してはいけないの。分かったわね?」
「はい!」
ユリウスが嬉しそうに返事をして、お父様は小さいサイズの騎士服と木剣を用意してくれた。
剣も鞘も木製の、訓練用の剣だ。
「いつものように、腰に差してごらん。うん、小さくても立派な騎士だね」
お父様が褒めるとユリウスは、ぱあっと輝くような笑顔を見せた。
(ユリウスは自分の意思で騎士を目指しているのね……。じゃあやっぱり私は、彼の邪魔にならないようにこの家を出るしかないわ)
となれば、セドリック殿下との婚約を成立させなければならない。
王家を超える良縁はないし、無事に王太子妃となれば、コンテルノ公爵家にとってこの上なく利となるはずだ。
(それは分かっているけれど……。今みたいな時間がずっと続いたらなって、考えてしまうわ)
貴族の結婚には恋愛は必要ない。
家格や権力のバランスだけが重要視される。
それを理解していても、胸の奥底に冷たい風が吹き込んだような心細さを感じた。




