3 義弟がキレました
私は上着のお礼を「ありがとう」と伝えてから、懐かしい気持ちでユリウスを見上げた。
子どもの頃は同じくらいの目の高さだったのに、もう見上げる程になっていると思いながら。
「あなたがお客として来たから、今夜の私は娼婦なのよ。この恰好はおかしくないでしょう」
「……俺には刺激が強すぎます。どうかご自分を大切になさってください」
ユリウスはそう言って、右手を胸に当てて軽く礼をした。
騎士の礼だ。
(この子にとって私は、まだ教師なのね)
ユリウスは七歳の時にコンテルノ公爵家に引き取られた。
私たちは同い年だったけど、生まれたのは私の方が少し先だったから、私は姉として貴族社会のことを何も知らない彼に厳しい教育を施した。
だからユリウスは、私のことを少なからず恨んでいるだろう。
(ここに来たのも、私を叱るためなんでしょうね。偉そうに言っておきながら、王太子妃にはなれなかったんだから……)
その予想は遠からず当たっているのか、顔を上げたユリウスは不機嫌そうだった。
「どうしてこんな場所にいるんですか? 俺が騎士学校を卒業するまで待っていてくださいと、言いましたよね」
貴族の子は十三歳になると、ほとんどが王立学園に入学する。
この学校は六年制だけど、騎士を目指す子は十六歳から騎士学校に移るのが慣例だった。
騎士学校は三年で卒業だけど全寮制だから、私とユリウスは三年もの間、離れて暮らしてきた。
(その三年の間に、色々あったのよ……)
騎士学校は国境付近の遠い街にあるから、王都で何か起こってもそこまで噂が届かないのだろう。
俗世から隔離された場所で厳しい訓練を受けると聞いたことがあるし、きっとユリウスは卒業した直後に何もかも知ったのだ。
「待つつもりではいたのよ。でも殿下に婚約を破棄されてしまって……」
「やはりセドリック殿下を信じるのではなかった。公爵令嬢たる姉上が、こんな場所に……!」
「そんなふうに言うのはやめて。働いてみるとここは案外、居心地がいいのよ」
本音だった。
最初は「お貴族サマがまともに働けんのか?」と馬鹿にされたけど、必死で働いていたら評価が変わったのだ。
ここの従業員には悪い人はいない。
私の言葉を聞くと、ユリウスはハッとした様子で顔を上げた。
「いつからここで働いているんですか?」
「え? えぇと……、二週間前からかしら」
「その間に、俺以外の客は取りましたか?」
ユリウスは一歩踏み出し、私は彼の圧力に負けて一歩下がった。
何か必死な様子だけど、真剣な表情がちょっと怖い。
「取る訳ないでしょう。セドリック殿下は、私を掃除婦として雇うようにマダムに命じたのだから」
「よかった……!」
私を嫌ってるくせに、一応、家族としては案じてくれていたようだ。
でも私としては複雑な思いがあった。
「何もよくないわよ……。本当は正規のファルファラ以外は買ってはいけないのよ」
掃除婦の私をユリウスが指名することができたのは、ルールを無視するほどの大金を積んだからだ。
現・コンテルノ公爵となったユリウスは、金の力でマダムを黙らせたのだ。
「まさかと思いますが、姉上は正規のファルファラになることを望んでいるんですか?」
ユリウスが驚いた様子で言うので、私はしばし考えた。
(マダムの言い分だと、ずっと掃除婦でいるのは無理かもしれないわ)
先ほどマダムは、「アタシは金になりゃなんだっていいんだよ」と言っていた。
そして「役立たずは解雇したい」というような意味合いのことも口にしていたはずだ。
「掃除婦としての私が役立たずだと判断されたら、ファルファラになろうと思っているわ」
「そんな……!」
「今夜はあなたが来てくれてよかったかもね……。お客が一人でもついたんだもの、今後は私の評価も変わるかもしれないわ」
ヴィアラッティアで働く娼婦のほとんどは、しっかりお金を貯めてこの店を出て行くのだ。
そのお金で家を買ったり、新しい事業を始めたりと、忙しい日々を送るらしい。
私はもう貴族ではないのだから、彼女たちのように逞しく生きていかなければならない。
「今後? 何を言っているんですか?」
ユリウスが愕然とした顔になったものの、私は義弟を無視して続けた。
「ここを出るためにお金を貯めようという話よ。掃除婦よりはファルファラの方が、たくさんのお金をいただけるわ。貯金して小さな家を買うのもいいかもしれないわね」
殿下のために人生を歩んできた私は、王太子妃という夢が破れて少し疲れていた。
だからついさっき思い付いた将来の展望について考えるのが、楽しくて仕方がなかった。
「犬を飼ったりするのも楽しそうだわ。商店に近い家を買えば便利でしょうし」
「姉上! 俺が何のためにここへ来たと思っているんですか?」
「何って……私を買いに来たのでしょう」
そう答えると、ユリウスは目を丸くしたまま何も言わなくなってしまった。
「最初のお客があなたでよかったわ。ユリウスなら身内だし、手加減してくれそうだもの」
本来なら私はセドリック殿下と初夜を迎えるはずだったけど、かなり前から殿下に対する愛は冷めていた。
どうせ結婚したところで、お互いに義務的にその行為をするだけだったはずだ。
(愛のない行為なら、最初の相手なんてもう誰でもいいわ。でもファルファラたちから最初は痛いと聞いていたから、ユリウスが来てくれたのは好都合だった)
優しい義弟なら、本心では嫌っている姉のことも、身内の贔屓で私が痛いと言ったら手加減してくれるだろう。
そう考えて提案した直後、ユリウスと私の周囲にバキンと音を立てて氷柱が出現した。
「きゃあっ……!? ど、どうしたのユリウス!? なんで氷を出したの!?」
ユリウスは氷と風属性の魔力を持っている。
ここ数年でますますその力は強まったようだけど……、とにかく寒いから早く消してほしい。
全身に鳥肌が立っている。
「軽々とそんなことを……。しかも理由が、身内だから……?」
何か分からないけど、めちゃくちゃ怒っている。
ユリウスのこめかみがぴきぴきしている。
「ごめんなさい、冗談よ! お願いだから氷を消して」
寒いから!
このままだと冗談抜きで凍え死ぬから!




