2 金貨十枚の客
マダムの部屋は、『ヴィアラッティア』の一階、もっとも奥まった位置にある。
その部屋の窓際に置かれたソファに座ったマダムは、煙草の煙をくゆらせながら私に「アンタにお客が来たよ」と言った。
「えっ? 私にですか?」
「そうだよ」
『ヴィアラッティア』の一階は高級居酒屋のようになっていて、ふかふかのソファに座って娼婦を侍らせながら食事をしたりお酒を飲んだりする場所だ。
でもこの部屋は一番奥にあるし扉も分厚いから、食事場の喧騒はここまで届かない。
とても静かだ。
「ちょうどよかったじゃないか。衛兵が持ってきた書状にはアンタをここに追放するだの何だの書かれてたけど、いつまでも掃除婦じゃ嫌だろう? 金持ちに見初められてこそ、ファルファラの幸せってもんだよ」
ちなみに『ヴィアラッティア』では、娼婦のことを『ファルファラ』と呼ぶ。
これは蝶という意味だ。
蝶のようにひらひらと移り気に舞う娼婦たちと、夢のような一夜をどうぞ――というのが店のコンセプトらしい。
ファルファラたちはネグリジェみたいな服を着たり、アラビアンナイトの踊り子みたいな衣装を着たりして客の相手をするんだけど……私としては世界観がごちゃごちゃしてるなぁとこっそり思っている。
「お待ちください、マダム。セドリック殿下の書簡には、私を掃除婦にしてここから出すなと記されていたのでは?」
「知ったこっちゃないね、あんなもん。だいたいアンタを雇って給金を払ってるのはこっちなんだ。掃除婦としては役立たずだから、解雇したとでも言えば構いやしないさ。アタシは金になりゃなんだっていいんだよ」
「マダムはそうでしょうけど……。ほとんど表に出ていない私を指名するなんて、マトモなお客じゃないのでは? 正直に言って気味が悪いですね」
私が断りたい空気を醸し出すと、マダムはやや慌てたように言った。
「ちょい待ち、まだ結論を出すんじゃないよ。とりあえずお客に会ってから考えな。びっくりするような美形だったよ」
「へぇ、そうですか」
私の人生では、『びっくりするような美形』はそこそこいたので、あまり心には響かない。
私を捨てたセドリック殿下だって美青年だったし、彼のせいでむしろ美形に対する警戒心は強まっている。
顔がいいからといって心まで綺麗だとは限らないのだ。
「絶対無理だと判断したら、酒をぐびぐび飲ませて眠ってもらったらいいんだよ」
マダムがやけに食い下がるので、私は違和感を覚えた。
「マダム。さっき金持ちに見初められてこそ、とか何とか言いましたよね」
私が言うと、マダムはほんの少しギクッとしたようだった。
涼しい顔でキセルを持ってるけど、元・公爵令嬢の観察眼を舐めないでほしい。
「確かにヴィアラッティアは高級娼館ですが、庶民でも多少の無理をすれば入れない店ではありません。金持ちと断定できたのはどうしてですか? もしかして前金を受け取ってしまいましたか?」
「……アンタは察しが良すぎるんだよ、まったく」
マダムはしぶしぶ言って、ローテーブルの上に袋を置いた。
じゃらり、と重そうな音がする。
「中身は金貨ですか」
「前金だけで金貨十枚だ。あのお客は本気だよ」
金貨十枚は、小さな家を買えるくらいの金額だ。
一晩だけファルファラを買うにしても高額すぎる。
正直に言って、その執念が怖い。絶対にまともなお客じゃない。
「受け取ったのなら、相手をするしかないじゃないですか……」
「今夜は様子見だけでもいいんだよ。お酒をたっぷり飲ませて、いい気分で眠ってもらったらいい。元・公爵令嬢の手管に期待してるよ」
マダムは苦笑しながら言って、手をポンポンと打った。
するとドアが開いてファルファラたちが大勢部屋に入ってくる。
「さぁ、リアーナ。湯浴みの時間よ」
「もうお客さんはお待ちなんだから、モタモタしてらんないわ。誰か衣装持ってきて!」
「この子は目が紫色だから、ラベンダー色の夜着がいいんじゃない?」
あっという間に浴室に連れて行かれて、メイド服のような仕事着を脱がされ、腰まで伸びた銀髪を洗われた。
全身も石鹸で洗い、髪をドライヤーみたいな魔道具で乾かしてもらって、ラベンダー色のひらひらする夜着を頭からずぼっと被せられる。
「化粧はしない方がいいかもね、この子は強気な顔立ちしてるから」
「このままでいいわ。肌の美しさを見せつけるべきよ」
「しっかりお金を巻き上げてきなさいね!」
最後に背中をばしっとたたかれて、お客が待つ部屋のドアの前に立つ。
たった一人で。
ここは三階で、ヴィアラッティアにおいて最も料金が高いエリアだ。
だからほとんどひとけがない。誰の助けも期待できそうにない。
(えぇ~……。ここからはたった一人? どうやってもてなすかなんて、分からないわよ!)
前世では非モテの喪女で、今世では八歳から王太子の婚約者だった私だ。
薄っぺらいひらひらした服を着た状態で、どうやって身を守れというのか。
公爵令嬢の頃に身に着けた護身術を使いたいところだけど、そうしたら仕事をクビになってしまうかも……。
(とにかく話題をふっかけて、話しながらお酒をガバガバ飲ませる作戦でいくわ。そして前後不覚になった頃に失神させるのよ!)
それしかない。
私は覚悟を決めて、部屋のドアをノックした。
室内から「どうぞ」という男性の声がする。思ったよりも若そうだ。
いける……!
「い、いらっしゃいませ! ご指名のリアーナです……!」
緊張しすぎたせいか、スカスカの掠れ声になってしまった。
室内にいた黒髪の青年がぎょっとした様子でドアの方を振り返り、彼の顔を見た私はがちっと硬直した。
「ユッ、ユリウス!?」
記憶に残る彼よりも成長して背が伸びているけど、あの顔は間違いない。
義弟のユリウス・コンテルノだ。
彼は透き通った紺碧の瞳が落ちそうなほど目を丸くして、私をまじまじと見つめてから、とてつもなく深い溜め息をついた。
「何て恰好をしてるんですか、姉上」
そう言って、自分が来ていた黒の上着を私の肩にかける。
私は恥ずかしくて、彼の顔を見れなかった。
(職場に身内が来るとか、何の羞恥プレイですか……。神様、ひどいです)




