26 回復魔法の秘密
翌朝、私は自分の個室でぼんやりと目を開けた。
(あまり眠れなかったわ……)
睡眠不足になったのは、ユリウスが去り際に変なことをしたせいだ。
頬にキス事件が起こったせいで私の頭は大混乱に陥り、一晩中胸がドキドキしてよく眠れなかった。
(セドリック殿下にもキスなんかされたことないのに。……唇って、意外と柔らかいのね)
ユリウスのあの形のいい唇が、私の頬に触れたのだ。
頭の中にもやもやと義弟の顔が浮かんできて、ハッと我に返って頭を横に振る。
「何を考えているのかしら。しっかりしないと……!」
身支度を整えて、メイド姿になって部屋を出る。
朝食を取ったらすぐに各部屋を回り、シーツを回収して洗濯係に回す。
掃除をするのはそれからだ。
娼館が開くのは夕方以降なので、朝から昼にかけては外の掃除、それが終わったらすぐに個室の掃除に移る。
日が暮れてぽつぽつと街灯が灯りだすと、体が勝手にそわそわしてきた。
(また来ると言っていたわよね……)
ファルファラたちの控室で茶葉の補充をしつつ、私は自分の姿を鏡で確認した。
いつもと何ら変わりない私の顔が映っているけど、今日はやけに気になって髪や服装をチェックしてしまう。
前髪をちょこちょこと触っていたら、ファルファラの一人が「体がだるい~」と言いながら控室に入って来た。
鏡越しに彼女の姿を認めた私は、不思議な光景に目を見張った。
(あれは……蝶?)
最初、目にゴミでも入ったのかと思ったけど、やっぱり見間違いではない。
「だるい」と言ったファルファラの体の周りを、真っ白な蝶がひらひらと飛んでいる。
(蝶がファルファラ(蝶)の周りを飛んでる……。疲れているのかしら)
目をごしごし擦ってみたけど相変わらず何匹かの蝶が飛んでいて、よく見ると蝶は彼女の右肩の辺りに引き寄せられているようだ。
誰も何も言わないところを見ると、私にしか見えない光景なのだろう。
(何なの? 私に何か訴えているの?)
不思議に思って見守っているとファルファラはどさっとソファに座り、右肩を自分で揉んでいる。
「最近、肩こりがひどいのよね。痛くてしょうがないわ」
「医術の魔女様に相談してみたら? たまにお店に来てくれるし」
「そうねぇ……」
私は彼女たちの会話を聞きながら、恐る恐る肩を揉んでいるファルファラに近づいた。
(蝶は右肩に集中しているわ。もしかしたらあれのせいで肩が痛いのでは?)
蝶をどこかへ追い払ったら、痛みが引くのかもしれない。
私はにこやかに近寄り、彼女の肩に手を伸ばした。
「私が揉んであげますね」
「あら、ありがと」
肩揉みはこの世界でもよく見かける風景だから、ごく自然に肩に手を置くことができた。
すると――。
(えっ……?)
手を触れた途端、蝶が私の手にすぅっと吸い込まれるように消えてしまった。
まるで幻だったかのように、跡形もなく。
(な、何これ? 気のせい……じゃないわよね。確かに飛んでいたのに)
思わず首を傾げていると、肩を揉まれていたファルファラが「あら?」と声を上げた。
「すごく楽になったわ。ありがとう、リアーナ」
「え、ええ……お役に立ててよかったです」
微笑みながらその場を離れつつ、もう一度彼女の様子を窺ってみた。
やっぱり蝶は消え失せたままだし、肩の痛みも消えたようだ。
(あの蝶は何だったのかしら。でも痛みが消えたのなら、もう気にしなくていいわよね?)
私の仕事はほぼ終わったので部屋に戻ろうとすると、ファルファラの一人が「リアーナ」と私を呼んだ。
「魔女様がお呼びよ。あなたに訊きたいことがあるんだって」
「え……、分かりました、すぐに行きます」
控室を出て、ギクシャクした動きで一階の食事処へ向かう。
(何の用なのかしら。私、あそこへ行くのは初めてなのよね……)
遠目から様子を見たことはあるものの、お客をもてなした経験はない。
酒を飲んでべろべろに酔っぱらったお客に対しては苦手意識があったから、若干怯えつつ私を呼んだ魔女の元へと向かった。
「いらっしゃいませ、魔女様。私がリアーナです」
カーテシーをしてからそっと顔を上げると、魔女と呼ばれる女性は魔術師の黒いローブを着て、衝立の奥に置かれたソファにちんまりと座っていた。
かなり小柄な人だ。
両隣に美人のファルファラを侍らせてご飯を食べている。
(な、なんか……場違い感があるわね)
片眼鏡をつけた小柄な魔女が、美人に挟まれてご飯をもぐもぐ食べている。
ここが普通のレストランだったらまだ馴染んだだろうけど、高級ソファに座ってグラタンをスプーンで食べている魔女は中等部の学生にしか見えなかった。
しかも両隣に美女を侍らせた状態で……違和感が半端ない。
「魔女様、あの子が私の肩を揉んでくれたんです」
魔女の左隣りに座っているのは先ほど「肩が痛い」と訴えていたファルファラで、魔女はじっと私を見ると「ふむふむ」と呟いた。
「どうやら私の予感は当たっているようだ。きみたちは席を外してくれたまえ」
魔女が見た目にそぐわぬ口調で言うと、二人のファルファラは立ち上がって離れていく。
「リアーナ嬢、私の隣に」
魔女が自分の横の座面をぽんぽんと叩き、私は恐る恐る彼女の隣に座った。
(肩のことで呼ばれたのね。何を訊かれるのかしら……)
密かに胸をドキドキさせていると魔女はにこやかに言った。
「突然呼び出してすまなかったね。私はエイレティア・サラームだ。魔術師だが、皆は私のことを医術の魔女と呼ぶ」
「はい、存じ上げております。魔女様は、陛下の病気を研究しておられましたよね」
国王陛下は私が高等部の二年生だった頃に体調を崩すようになり、医師や魔術師たちは総動員されて陛下の治療にあたったはずだ。
なかでも医術の魔女は頻繁に王宮へ呼び出されて、病の原因を探るように命じられたと聞く。
「実は、陛下の病の原因はすでに分かっているんだ。しかし特効薬が見つからないので困り果てていた」
「特効薬……ですか? 陛下の病はアリサさんが治したのでは……」
アリサさんが回復魔法で陛下を治したからこそ、彼女は聖女となり、私はセドリック殿下に捨てられた――はずなんだけど。
(どういうこと? 治したというのは嘘だったの?)
じゃあなぜ、私は娼館送りになったのだろう。
愕然としていると魔女は困ったように苦笑した。
「まだ公にはしていないのだがね。アリサ嬢の魔法は厳密にいうと、回復魔法ではないのだよ」
「え……?」
「彼女が使っているのは、局所的に時間を巻き戻す魔法だ。魔力で回復させている訳ではない」
「じゃ、じゃあ……陛下が治ったというのは」
「病を発症する前の状態に戻しただけなんだ。しかし陛下の病は体質によるものだから、いくら巻き戻してもまた同じ病気になる」
魔女の説明は私には衝撃が大きすぎて、すぐには理解できなかった。
言葉が耳の中を素通りしているように感じる。
(いくら巻き戻しても、また同じ病気に……。だったらどうして私は捨てられたの?)
アリサさんが聖女となるだけの力を持っていたから、婚約破棄されたのも仕方がないことだと自分を納得させてきた。
セドリック殿下にしてみれば、父親の病を治してくれたアリサさんはまさに命の恩人だろうから。
でもまた病気を繰り返すのであれば、アリサさんの回復魔法はただの対処療法ということになる。
(私は何のために耐えたの……)
言葉を失った私を、魔女が気の毒そうに見ている。
「魔術師たちも、最初は回復魔法だと思っていたのだよ。だが解析を続けるうちに、ようやく魔法の正体が明らかになったのだ。きみにとっては辛い事実だろうが……」




