17 もうやめて
私が高等部の最終学年になった年は気候に恵まれず、領地で収穫される麦の量は例年よりも少なかった。
クリストフから受け取った資料には、このままでは領民が飢えると記されていた。
「いかがいたしましょう」
「備蓄してあった小麦を出すしかないわね。それでも足りないようなら、他の領地から買い取りましょう。私が交渉するわ」
「畏まりました、そのように手配いたします」
お父様を亡くしてから、私はほとんど学園に通うことなく領地経営に追われていた。
それでも休学するのは嫌だったから、定期テストの時だけ学園に行ってなんとか籍を置いている状態だった。
「午後からは王宮に行かないと……」
相変わらず陛下の容体は芳しくなく、王宮には頻繁に呼ばれた。
ジェレミー殿下の誕生祭が開かれることになったのだけど、王妃様にはその手配をしている余裕がないので、私が代理で引き受けたのだ。
「夜会の軽食の献立はいかがいたしましょう?」
「去年のものを参考にしつつ、新しい品も加えた方がいいわね。今年は南瓜が豊作だったから、グラタンやプリンを入れておいて」
「リアーナ様、ロータリーの整備が遅れています。植え込みのせいで視界が悪いと」
「公爵家から庭師を派遣するわ」
目が回るほど忙しいとは、こういうことを言うのだろう。
(もう少しの辛抱よ。春になったらユリウスが戻ってきて、公爵としての仕事を引き継いでもらえるわ)
ジェレミー殿下の誕生祭は早春に開催され、それが終わったら私とセドリック殿下は王立学園を卒業する。
そしてユリウスも騎士学校を卒業して王都に戻ってくるはずだ。
その日私は、必要書類を取りに行くためにかなり久しぶりに学園に入った。
もう下校が近い時間だからか生徒は少なかったものの、私が廊下で歩いているとこちらを見てひそひそと噂している女生徒がいる。
(何かしら……。どうして私を見ているの?)
不安に思いつつ廊下を進んでいくと、少し前を歩く二人連れが視界に映った。
セドリック殿下とアリサさんだ。
二人はやけに近い距離で並んで歩いていて、怪訝に思ってよく見ると、彼らは指を絡めるようにして手を繋いでいる。
恋人にしか見えない距離感だった。
「女公爵様はお忙しくて、あの二人のことを知らないのでしょうね」
「殿下だってピリピリしている女よりは、可愛げのある女性を選ぶわよねぇ」
女生徒たちがすれ違いざまに言い、私は絶句して立ち止まった。
(もう学園中で知り渡るほど、殿下とアリサさんは親しい関係になったのね……)
私がいない間に二人の距離は縮まっていったのだろう。
しかも噂になるくらいだから、人目をはばからず親し気な様子を皆に見せたのだろう。
(私という婚約者がいるのに)
思わずカッとして、私は殿下とアリサさんを追いかけた。
「セドリック殿下、少しよろしいですか?」
口から出た声は、自分でも驚くほど冷ややかだった。
「何かな、リアーナ」
殿下が少し驚いた様子で振り返り、まるで私からアリサさんを守るように彼女の前に立つ。
私は怒りを抑えるのに必死だった。
「私という婚約者がいながら、他の女性とそのように親し気にするのはいかがなものでしょうか」
「親し気かな? アリサが魔力の使いすぎで疲れているようだったから、手を引いてあげただけだよ」
なるほど、ものは言いようだ。
(もうやめて、殿下……。これ以上あなたを嫌いにさせないで)
祈りながら言葉を紡ぐ。
「学園で殿下とアリサさんは、噂になっているようですね。せめて人目につかない場所でやっていただけませんか?」
「……それは嫉妬なのかな、リアーナ」
冷たい声で言われ、私は唇を噛んだ。
もう駄目かもしれない。私の声はきっと殿下に届かない。
「だいたいアリサが疲れているのは、父上の病のために回復魔法を練習しているからだよ。僕の父のために努力している彼女を労わってやりたいと思うのは、当然じゃないか?」
「……私だって、王妃様の補佐を務めています」
「きみが忙しいのは分かるけどね。そういうのは、後からどうにでもなる能力だから。僕の妃には、他者を寄せ付けない圧倒的な力が必要なんだよ。この国には王子が二人いるからね……。リアーナには他者を黙らせる力があるのかな? 少し冷静になって、客観的に見た方がいいと思うよ」
(私よりアリサさんの方が、王太子妃に相応しいと言いたいの?)
まさかそこまでひどい発言を受けるとは思っていなかった。
セドリック殿下はアリサさんの手を引いて廊下を歩き出したものの、数歩進んでから振り返った。
「先に言っておくけど、アリサに嫌がらせはするなよ。女の嫉妬は怖いからね」
胸の奥が凍り付いたように冷たくなり、私は殿下から逃げるように背を向けた。
「すみません、リアーナ様……」
アリサさんの小さな謝罪が聞こえたけど、耳に届いていない振りをした。
(もう無理だわ。セドリック殿下のことは、一生愛せそうにない)
書類を受け取ってから屋敷に帰り、自室で黙々と勉強した。
「それでもまだ殿下の婚約者は私だもの……。手を抜く訳にはいかないわ」
いっそ婚約者でなくなったら、この苦しみから解放されるのかもしれないけど。
(弱音を吐いてどうするのよ。婚約者でなくなるのなら、十年近く続けてきた努力が無駄になってしまうわ)
だから私は殿下の婚約者でいなければならないのだ。
長年の努力を実らせるために。
ひどく虚しい感情を抱えながら、黙々とペンを走らせた。




