14 殿下の異変
私たちは十五歳になり、高等部へ進学することになった。
王立学園の高等部には貴族クラスしかない。
騎士クラスの生徒は国境にある騎士学校へ入り、魔術師クラスの生徒は魔術院の中で見習いとして働くのが一般的だ。
だから私とユリウスの進路はここで別れてしまう。
「気を付けて行きなさいね。生ものを口にしては駄目よ」
ユリウスが騎士学校へ出発する日、私は休日だったので彼を見送った。
お父様も一時的に騎士団の仕事を抜けてきたらしく、家族三人で屋敷の玄関に集まっている。
「姉上……。俺はそこまで子どもではありません」
ユリウスがやや呆れた口調で言うと、お父様が愉快そうに笑った。
「はは、確かに。ユリウスは子どもと言うには大きすぎるね」
玄関でトランクを持つユリウスは、あと少しでお父様と並ぶくらい身長が伸びていた。
もしかしたら数年で追い越してしまうかもしれない。
(私が守ろうとしていた弱いあの子は、もういないんだわ。私の役目は終わった……)
次期コンテルノ公爵に相応しい実力と教養を身につけたユリウスは、すでに私の保護対象ではなくなっていた。
私は使命を果たしたのだ。
それに達成感を覚えつつも、やっぱり少しの寂しさがあった。
私が一人でしんみりしているとお父様がユリウスの手をがしっと握り、意味深なことを言った。
「欲しいものは、自分で手に入れるんだよ。頑張ってきなさい」
「はい、父上」
二人が固い握手をする横で、私だけ仲間外れのような気分を味わう。
(ユリウスの欲しいものって何かしら? 公爵のお父様でも、買ってあげられないものがあるのね)
首を傾げていると、ユリウスは私に向き直った。
「姉上。俺が騎士学校を卒業するまで、ここで待っていてください」
「ええ、待っているわよ」
王立学園を卒業したら、私とセドリック殿下は結婚することになる。
でも王族の結婚というのはとにかく時間がかかるので、卒業して即結婚という訳ではない。
恐らく半年後くらいになるだろう。
(騎士学校の卒業式は、学園より何日か遅かったはずよね。でもこの屋敷でユリウスを待つくらいの余裕はあるでしょう)
立派な騎士になって戻ってきたユリウスを、お父様と一緒に迎えてあげよう。
にこやかに返事をすると、ユリウスは満足そうに微笑んだ。
「では行ってまいります」
そう言って颯爽と馬車に乗り込んだ。
彼が乗った馬車が見えなくなるまで、お父様と私は玄関に立って見送った。
今生の別れでもないのに、私は切なくて泣きそうになっていた。
◆◆◆
ユリウスはまめな性格だからか、ひと月に一回は必ず私に手紙をよこした。
遠征に出かけたとか国境騎士団の魔物討伐に同行したとか、かなり多忙な日々を送っている様子なのに、彼の手紙が途絶えたことは一度もなかった。
「頑張っているのね。目標があるからかしら」
出発の日にお父様から「欲しいものは自分で手に入れるんだよ」と言われたユリウスだ。
その目標に向かって懸命に努力しているのだろう。
(私も負けていられないわね)
私とセドリック殿下は高等部の二年生に進学し、ひと月ほど経過した。
しかし最近、国王陛下が体調を崩すことが多くなり、殿下も私も公務に携わる機会が格段に増えた。
殿下は王太子として陛下の補佐をしているけど、私も王妃様の公務をいくつか受けついでいるのだ。
(今日は午前中に他国から大使がお見えになる。通訳と接待を務めないといけないわ。学園に行けるのは午後からね)
「クリストフ、王宮まで馬車を出してちょうだい」
「畏まりました」
侍女に学園の制服を持たせて馬車に乗り、王宮に着いたらすぐに大使を迎える準備をする。
「リアーナ、よく来てくれたわ。今日はよろしく頼むわね」
「はい、王妃様。お任せください」
陛下の容体はかなり不安定で、その度に王妃様は侍医と面会していた。
接待をする人間が頻繁に席を外しては失礼になるので、私が王妃様の名代となって大使とお会いせねばならない。
プレッシャーは感じていたものの、これまでの努力が成果として現れるのはやりがいがあった。
無事に役目を果たして時計を見ると、すでに昼を過ぎている。
王宮の中で急いで制服に着替えて馬車に乗り、王立学園に移動した。
(殿下はいないようだわ。まだ王宮で公務中だったのかしら)
貴族クラスにはセドリック殿下の姿はなかった。
一人でがらがらに空いた食堂でランチを取って廊下を歩いていると、開いた窓から中庭の様子が見える。
二人の人間がベンチに座って話し込んでいて、その片方が金髪の男子生徒だと気づいた私は彼らに近寄った。
「セ……」
セドリック殿下、戻ってらしたのですね。
そう声を掛けるつもりだった。
でも彼の隣に女生徒が座っていて、二人はとても親し気な様子だったから、私は上げかけた手を下ろした。
私の姿は植え込みの陰になっているからか、二人からはこちらが見えないようだ。
女生徒はストロベリーピンクの髪で、花の形をした髪飾りをつけている。
「魔術院での噂は僕も聞いたよ。きみの魔力は聖属性なんだろう? とても珍しいと皆が褒めていた」
「噂されるようなものじゃないです。私なんて、ただの田舎者ですから……」
「アリサは謙虚なんだね。回復魔法が使えるのは聖属性だけなのに。もっと自信を持つべきだよ」
そう言って笑う殿下の目はうっとりしていて、ただの女生徒に向ける眼差しにしては熱が籠っている。
(私……あんな目で見てもらったこと、あったかしら)
セドリック殿下はあんな熱っぽい目で笑える人だったのだ。
殿下と出会ってからの八年間で、初めて見る表情だった。
――殿下は少しも楽しくなさそうでした。目が笑っていませんでした。
子どもの頃にユリウスが言った言葉が、頭の中でわんわんと響いている。
私と話している時の殿下は楽しくなさそうで、そう感じていたのはユリウスも同じだった。だから私の勘違いではない。
なのに今、アリサという女生徒と話す殿下は、とてもうきうきと楽し気に見える。
(殿下は私を裏切るおつもりなの? 王族の結婚は義務だと自分で言ったくせに)
問いただそうかと考えた瞬間、殿下が言った。
「実は父上が体調を崩していてね。侍医が調べているけど、原因がよく分からないそうなんだ」
「まあ、それは大変ですね……」
「今のところ、回復魔法だけが頼りだと僕は考えている。魔術師によると習得はかなり難しいそうだが、きみさえよければ協力してくれないか?」
「もちろんです。お役に立てるように頑張りますね!」
その会話で私は踏みとどまり、冷静さを取り戻した。
(殿下は私を裏切った訳じゃないわ。陛下のためにアリサさんに協力を求めているだけよ。私ったら、勝手に勘違いして……)
一人で嫉妬した自分が愚かしい。
恥ずかしくなってその場を離れようとすると、殿下のはしゃいだ声が聞こえて来た。
「ありがとう、アリサ! きみは救世主だよ」
アリサさんの手をぎゅっと握っている。
私は胸にナイフが刺さったような痛みを感じて、逃げるように廊下に戻った。
あんなふうに手を握ってもらったことは、一度もなかった。
(殿下、あなたを信じています。あなたは自分の立場を理解している人間だったでしょう?)
正直に言えば、すでに殿下に対する愛情は冷めていた。
彼は過去に私に対して「きみを選んだのは公爵令嬢だからだ」という趣旨の発言をしたからだ。
だから私を愛さなくても構わない。
(でも自分の発言に責任を持たないのは論外だわ)
王位継承で問題を起こさないためには、政略結婚が最適解だと殿下は言った。
なのに、自分だけ自由に恋愛するなんて馬鹿げた話は到底許容できない。
「落ち着かなきゃ……。まだ判断するのは早いわ」
殿下がアリサさんに恋をしていると、確定した訳じゃない。
私が一人で不安になっているだけだ――そう信じたい。
(なぜかしら。無性にユリウスに会いたいわ……)
こんな時ユリウスなら、そっと私の手を握ってくれただろう。
唇を噛みながらクラスに戻った。




