↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『引っ越したら、人生が変わりました。』住んで初めてわかった、部屋と人生のリアル  作者: 虫松


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/12

第9話 ペット可物件を探したら、犬より先に私がへとへとになった話

「犬と暮らしたい」


そう思ったのは、ずっと前からだった。


子どもの頃から犬が好きだった。道ですれ違う犬を見れば自然と振り返ってしまうし、休日にはペットショップをのぞいたり、犬の動画を眺めたりしていた。


けれど、私が住んでいたアパートには、残酷なくらいはっきりと契約書に書かれていた。


「ペット飼育禁止」


金魚くらいならともかく、犬はどう考えても無理だ。


「よし、引っ越そう」


犬と暮らしたい。


ただそれだけの理由で、私は新しい部屋を探すことにした。


そのときの私は、まだ知らなかった。


ペット可の賃貸物件探しが、普通の部屋探しとは少し違うことを。


「ペット可」にチェックを入れた瞬間


最初はインターネットで探した。


希望条件を入力する。


駅から徒歩十分以内。


家賃はできれば八万円台。


バス・トイレ別。


二階以上。


日当たり良好。


そして最後に、


「ペット相談可」


の項目にチェックを入れる。


検索ボタンを押した。


「……え?」


さっきまで画面いっぱいに並んでいた物件が、一気に消えた。


私は条件を確認した。


間違ってはいない。


試しに「ペット相談可」のチェックを外してみる。


物件が大量に出てくる。


もう一度チェックする。


激減する。


「そんなに違うの?」


犬一匹と暮らしたいだけなのに、部屋探しの難易度が急上昇した。


仕方なく条件を緩めることにした。


駅徒歩十分を十五分へ。


築年数も広げる。


家賃も少し上げる。


バス・トイレ別も……。


「いや、ここは守りたい」


しかし現実は厳しい。


犬との生活を取るか、自分の快適さを取るか。


まだ犬も飼っていないのに、私は早くも究極の選択を迫られていた。


ようやく見つけた一部屋


一人で探すことに限界を感じた私は、不動産会社のホワイトホームを訪ねた。


担当者に希望を伝える。


「犬を飼える部屋を探しています」


「犬種や大きさは決まっていますか?」


いきなり聞かれた。


私は少し驚いた。


「犬なら何でもいいわけじゃないんですか?」


担当者は笑った。


「物件によりますね。小型犬一匹までというところもありますし、犬は大丈夫でも猫は不可というところもあります。逆の場合もあります」


私はそこで初めて、


「ペット可=どんなペットでも自由に飼える」


ではないことを知った。


何軒か紹介してもらい、ようやく条件に近い部屋が見つかった。


駅から徒歩十分。


1DK。


家賃九万円。


「おっ」


かなりいい。


ただし、浴室を見た瞬間に私は立ち止まった。


「……三点式ユニットバスですね」


トイレ、洗面台、浴槽が仲良く一室に収まっている。


これまでなら候補から外していただろう。


しかし、この部屋は犬を飼える。


私はユニットバスを見る。


そして、まだ見ぬ愛犬との生活を想像する。


もう一度ユニットバスを見る。


「……犬には関係ないか」


こうして私は契約を決めた。


「ペット可」には続きがあった


契約手続きを始めると、さらに知らなかったことが出てきた。


犬を飼うためには、大家さんへの申請が必要だった。


犬種。


大きさ。


性別。


年齢。


性格。


頭数。


まるで犬の入居審査である。


さらに契約条件も通常とは違った。


「ペットを飼育する場合、敷金が増額になります」


「増えるんですか?」


「はい」


「ペット可なのに?」


「ペット可だからこそ、ですね」


なるほど。


床を傷つけるかもしれない。


壁を汚すかもしれない。


臭いが残る可能性もある。


退去するときに通常以上の修繕が必要になることもある。


説明を聞けば納得できる。


ただ、財布は納得していなかった。


初期費用の数字を見ながら、私は小さくため息をついた。


犬と暮らすというのは、かわいいだけでは済まないらしい。


それでも契約した。


ここまで来たら後には引けない。


そして、念願だった犬との生活が始まった。


引っ越し初日から大騒ぎ


新居へ着いた私は期待していた。


新しい部屋。


新しい生活。


そして愛犬との幸せな毎日。


ところが犬にとっては、そんな事情など知ったことではない。


知らない部屋。


知らない匂い。


知らない音。


犬は落ち着かなかった。


「大丈夫、大丈夫。ここが今日から家だからね」


そう言っても伝わらない。


部屋の中を歩き回り、物音に反応し、玄関の外から人の気配がすると吠える。


「ワン! ワン!」


「シーッ!」


「ワン!」


「お願いだから静かに!」


私は犬をなだめながら、壁を見た。


その向こうには隣人がいる。


引っ越して初日に、


「隣の犬がうるさい」


なんて苦情が来たらどうしよう。


犬より私のほうが落ち着かなかった。


ようやく吠えなくなった頃、次の問題が起きた。


トイレだった。


「そこじゃない!」


床。


カーペット。


また床。


私は雑巾と消臭剤を持って部屋の中を走り回った。


そして床を拭きながら思い出した。


敷金がもどらない。


「お願いだから床だけは……!」


犬には敷金という概念がない。


当然である。


犬は悪びれる様子もなく、尻尾を振って私を見ていた。


その顔を見ると怒る気も失せた。


「君のために引っ越したんだけどなあ」


犬は答えない。


ただ嬉しそうに私の手を舐めた。


一緒に暮らして分かったこと


それから少しずつ、犬も新しい家に慣れていった。


私も犬との暮らし方を覚えていった。


朝は少し早く起きて散歩する。


仕事から帰れば、真っ先に犬が迎えてくれる。


嫌なことがあった日でも、玄関で尻尾を振って待っている姿を見るだけで、不思議と気持ちが軽くなった。


その一方で、ペット可物件を選ぶときにもっと確認しておけばよかったことも見えてきた。


防音性。


床や壁の素材。


風通し。


日当たり。


散歩できる場所。


近くの公園。


そして動物病院。


「家賃と駅からの距離だけ見てちゃダメなんだな」


犬にとっても、その部屋は毎日を過ごす家なのだ。


そして、もう一つ大切なのが契約内容だった。


「ペット可」という文字だけを見て安心してはいけない。


犬種や体重の制限。


飼育できる頭数。


敷金などの追加費用。


退去時の原状回復。


共用部分でのルール。


同じ「ペット可」でも、物件によって条件はまったく違う。


これは実際に探してみなければ分からなかった。


犬と暮らすために、私も変わった


ある休日。


犬と近所の公園を歩いていた。


以前の私は、休みの日になると昼近くまで寝ていることも珍しくなかった。


今では朝から散歩している。


犬が立ち止まり、こちらを振り返った。


「どうした?」


尻尾を振る。


私は笑った。


引っ越しは大変だった。


物件は少なかった。


家賃も予算より高くなった。


三点式ユニットバスにもなった。


敷金も増えた。


引っ越した直後には吠えられ、床を汚され、近所から苦情が来ないか心配で眠れない夜もあった。


それでも後悔しているかと聞かれれば、答えは決まっている。


していない。


犬と一緒に帰る家がある。


それだけで、この部屋を選んだ意味は十分にあった。


私は犬の頭を撫でた。


「君のために引っ越したつもりだったけどさ」


犬が私を見上げる。


「変わったのは、俺のほうだったのかもしれないな」


犬は意味など分かっていないだろう。


それでも尻尾を大きく振った。


私はリードを握り直す。


「帰ろうか」


夕暮れの住宅街を、一人と一匹で歩いていく。


完璧な部屋ではない。


もっと広い部屋もある。


もっと駅に近い部屋もある。


もっと安い部屋だってある。


けれど玄関を開ければ、そこは私たちの家だ。


ペットと暮らすということは、ただ動物を飼うことではなかった。


その命に合わせて、自分の暮らし方も変えていくことだった。


犬が新しい家に慣れていく。


そして飼い主も、犬との生活に慣れていく。


お互い少しずつ失敗しながら、一緒に暮らし方を覚えていく。


ペットと暮らすなら、ペットだけではなく、飼い主も一緒に成長していけばいい。


そう思いながら、今日も私は愛犬と同じ家へ帰っていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。