第6話 会社を辞めて、実家へ帰った。失った仕事の先で、もう一度始めた人生
会社を辞めることになった春、私は自分の人生が終わったような気がしていた。
正確には、自分から辞表を出したわけではない。
十五年勤めた会社が経営不振に陥り、私は人員整理の対象になった。
会議室で上司から説明を受けた日のことを、今でも覚えている。
「本当に申し訳ない。会社としても苦しい判断なんだ」
机の上には、退職条件が書かれた書類が置かれていた。
私は何度も文字を読んだが、内容が頭に入らなかった。
来月から会社へ来なくていい。
毎朝着ていたスーツも、使い込んだ社員証も、私には必要なくなる。
「分かりました」
口から出たのは、それだけだった。
怒ることも、泣くこともできなかった。
長く働いていれば、定年まで勤められるものだと思っていた。会社での肩書きや収入が、そのまま自分の価値だと考えていたのかもしれない。
しかし、会社の都合によって、それらは簡単になくなった。
単身赴任先の賃貸マンションへ戻り、私は暗い部屋で一人、天井を見上げた。
冷蔵庫の音だけが響いていた。
これから、どこで暮らすのか。
次の仕事はどうするのか。
住宅ローンや家族を抱えているわけではなかったが、収入がなくなれば、この部屋の家賃を払い続けることもできない。
退職金を生活費で減らしながら、焦って仕事を探す未来が頭に浮かんだ。
そんなとき、田舎に住む母から電話があった。
「こっちへ戻ってきたら?」
「でも、今さら実家で暮らすなんて」
「今さらも何もないでしょう。あなたの部屋は残っているんだから」
電話の向こうで、父の声も聞こえた。
「焦って仕事を決める必要はない。少し休め」
私は黙った。
実家を出てから長い年月がたっていた。
一人で暮らし、自分の生活は自分で決めてきた。両親に頼ることは、人生に失敗したと認めるようで抵抗があった。
けれど、一人きりの部屋で先の見えない不安を抱え続けることにも、限界を感じていた。
私は以前から興味を持っていた海外研修への参加を、本気で考えることにした。
語学と専門知識を学び直し、別の仕事へ挑戦する。
出発までの間、実家で両親と暮らしながら準備をする。
それが、私の出した答えだった。
まず、単身赴任先の部屋を解約した。
管理会社へ連絡し、退去日を決める。
電気、ガス、水道、インターネットを止める。
住民票や保険、銀行、クレジットカードなどの住所変更も必要だった。
部屋には、十五年間の生活で増えた物があふれていた。
大きなテレビ。
古い冷蔵庫。
ほとんど使わなくなった炊飯器。
読むつもりで積み上げた本。
着なくなったスーツ。
私は一つずつ、持って帰る物、売る物、捨てる物に分けた。
会社から持ち帰った段ボール箱を開けると、表彰状や名刺、社内行事の写真が出てきた。
若い頃の私は、同僚たちと笑っていた。
その写真を見ていると、胸の奥が痛んだ。
仕事を失ったことは悔しい。
けれど、そこで過ごした時間まで失敗になるわけではない。
私は写真だけを残し、古い資料や名刺は処分した。
荷物を減らす作業は、過去を捨てることではなかった。
これからも持っていきたいものを、自分で選び直す作業だった。
引っ越し当日。
荷物は小さなトラック一台に収まった。
大きな家具や家電を手放したため、引っ越し費用も想像していたほど高くはならなかった。
空になった部屋の中央に立つ。
単身赴任中、何度も帰ってきた場所だった。
仕事で失敗した夜。
一人でコンビニ弁当を食べた夜。
昇進の知らせを受け、缶ビールで乾杯した夜。
さまざまな記憶が残っていた。
私は鍵を握りしめ、部屋へ小さく頭を下げた。
「お世話になりました」
玄関を閉めた瞬間、会社員としての暮らしが終わった。
実家へ向かう車窓には、次第に高い建物が減り、田畑や山が増えていった。
駅へ着くと、父が軽トラックで迎えに来ていた。
「荷物、それだけか」
「ずいぶん捨てたから」
「そうか」
父は、それ以上何も聞かなかった。
実家へ着くと、母が玄関の前で待っていた。
「おかえり」
その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていた力が抜けた。
「ただいま」
口にするのは、何年ぶりだっただろう。
久しぶりの実家暮らしは、すぐに昔のようには戻らなかった。
朝は六時半に母がカーテンを開ける。
食事は決まった時間に家族全員で取る。
父は夜のニュースを見る。
母は食後すぐに食器を片づけたい。
私は長年、好きな時間に起き、好きな物を食べ、夜遅くまでテレビやパソコンを使って暮らしてきた。
「朝ごはん、冷めるわよ」
「今日は食べなくてもいいよ」
「食べないと体に悪いでしょう」
「子どもじゃないんだから、放っておいてくれ」
母の顔が曇った。
別の日には、父からテレビの音量を注意された。
「夜はもう少し小さくしろ」
「これくらい普通だろ」
「この家では大きいんだ」
私は、家に戻っただけで、自分の自由を奪われたように感じていた。
両親も、昔の子どもが帰ってきたような感覚で私へ口を出していたのだと思う。
小さな不満が積もり、ある夜、私は父と口論になった。
「働きもしないで、夜遅くまで何をしているんだ」
「海外研修の準備をしているんだよ!」
「本当にそれで仕事につながるのか?」
「分からないよ。でも、何もしないよりいいだろ!」
部屋へ戻り、乱暴に扉を閉めた。
会社を失った自分に、私は自信を持てなかった。
父の言葉は、私自身が一番恐れていることだった。
翌朝、食卓にはいつもの朝食が並んでいた。
父は新聞を読みながら言った。
「昨日は言い過ぎた」
私も頭を下げた。
「俺も悪かった」
それをきっかけに、私たちは生活の決まりを話し合った。
食事がいらない日は事前に伝える。
家へ入れる生活費の金額を決める。
夜遅くまで作業する場合は、音に気をつける。
両親も、私の部屋へ勝手に入らない。
互いに干渉しすぎず、困ったことがあればため込まずに話す。
家族だから、何も言わなくても分かる。
私たちは、そう思い込んでいた。
けれど、長く離れて暮らしていた親子は、再び一緒に暮らすための関係をつくり直さなければならなかった。
同居生活に慣れてくると、悪いことばかりではないと気づいた。
母と買い物へ行った。
父と近所を散歩した。
食卓では、私が子どもだった頃の話をした。
父が以前より歩く速度を落としていること。
母が重い物を持つとき、腰をかばっていること。
電話だけでは分からなかった両親の老いにも気づいた。
ある日、母が言った。
「あなたが帰ってきてから、お父さん、少し元気になったのよ」
父は新聞の向こうで、聞こえないふりをしていた。
私は笑った。
会社を辞め、仕方なく実家へ戻ったつもりだった。
けれど、両親と過ごせる時間は、いつまでも続くものではない。
そう考えると、この引っ越しは失ったものだけではなく、取り戻したものもあったのだと思えた。
海外へ出発する前日。
母は、私の好きな料理を作ってくれた。
父は小さな封筒を差し出した。
「困ったときに使え」
「いらないよ。自分の金がある」
「使わなくても持っていけ」
封筒の中には、現金と短い手紙が入っていた。
『何歳からでも、やり直せる。体だけは大事にしろ』
私はすぐに手紙を閉じた。
泣いているところを見られたくなかった。
翌朝、玄関には海外へ持っていくスーツケースが置かれていた。
会社を辞めた日の私は、人生から降ろされたと思っていた。
けれど、あれは終わりではなかった。
進む方向を変えるために、いったん立ち止まっただけだった。
家を出るとき、母が言った。
「いつでも帰ってきなさい」
父は黙って手を上げた。
私は振り返り、笑った。
「行ってきます」
引っ越しは、住む場所を変えるだけの作業ではない。
不要になった物を手放し、生活を整理し、自分がこれから何を大切にしたいのかを見つめ直す機会でもある。
会社を失った私は、田舎へ戻った。
両親とぶつかり、話し合い、家族との時間を取り戻した。
そして、もう一度外の世界へ向かう勇気を手に入れた。
あの春、私は仕事を失った。
けれど、人生まで失ったわけではなかった。
実家への引っ越しは、後ろへ戻るための移動ではない。
新しい自分として歩き始めるための、助走だったのだ。




