Chat.6『駅徒歩5分は7分以上掛かる』後編
待ち合わせの時間には少し早かったけど、そんな事を言っている間にも不動産屋の営業がやってきて、私達は部屋の内見を終えた。
私が目を付けていたこの物件は、大学の総務部から紹介された2LDKの部屋だ。
この子と同棲するにしても最低限、お互いのプライベート空間は確保すべきだと考えた訳だけど、となるとどうしても選択肢はファミリー用の物件になってしまう。
しかし一方でファミリー向け賃貸物件というのは基本的に「家族」に対して貸し出されるものだ。だから私達のような婚姻関係にない、それも同性同士のカップルとなるとルームシェア扱いとなり、賃貸契約への敷居は極めて高くなる。
私も同棲を考え始めた当初から契約の難しさは理解していたから、ルームシェア可の物件を重点的に探したけど、やはりそういった物件はあまり良い物件は見つからなかった。
で、思いあまって大学の総務に事情を話して相談したところ、大学の理事が保有しているというこの物件を紹介された訳だ。
大学としてはダイバーシティやらLGBTやらを推進している立場なので、同性カップルでも借りられる……という触れ込みだったんだけど。
「ね、実は私達って部屋を借りにくいのかな?」
「うん、まぁ……そうだね。不動産屋や大家が嫌う属性だろうからね」
「どうして?私、夜中に騒いだり飛び跳ねたりしないよ?」
「ファミリー向け物件だとむしろそれはお互い様だと思うけど……」
この子が少し困った表情で問うてきた理由は、営業の言動によるところが大きいんだろう。
おそらく営業は悪気があった訳じゃないとは思う。
でも、笑顔で「この物件でしたら同性カップルの方でも問題なくご契約頂けますよ!ええ、ダイバーシティですから!」とことさら強調するように言われると、逆に私達は他の所では受け入れられないマイノリティだと言われているように感じてしまう。
「あの営業が言ってた言葉なら、気にしなくても良いと思う」
「んー、そんなに気にしてないけど。あと床も傾いてなかったし」
「部屋に入って早々に水平器アプリ使いだしたのはこっちがびっくりしたけどね」
うん、私だけじゃなくて営業も驚いてたっけ。
ともあれ、部屋自体はとても良い感じだった。
築浅で20階建ての12階。角部屋ではないけど、日当たりも良く、間取りも使いやすそう。
でも何故か「お前達にはここしか選べない」と言われると、本当にここで良いのかという疑念が脳裏に浮かんでしまう。
「ね、どうしよう。もう少し他の物件を探してみようか?」
「ええ?どうして?ここのお部屋、とっても良かったよ?」
「まぁ、それは否定しないけど……。でも選択肢がないっていうのはちょっと嫌だな、って」
「あ、それって高層階の話?不思議だよね、大学関係者なのに入れないって」
「ん……それは微妙に違うんだけど……」
この子が言っている高層階の話というのは、20階建てマンションの上2階がVIPフロアになっていて、そこは一般の入居者には立ち入れないようになっている……という話だ。
ここが大学の理事がオーナーをしている物件だというのが私達同性カップルが入居できる大きな理由の一つではあるけど、理事の指定するVIPというのには私のような一介のポスドクは当然含まれていない。
大方、理事の親族や関係者が入居するプライベートフロアになっているんだろう。
「でも、すごいよね。専用エレベータがあるなんて。あれだと部屋から学校まで『徒歩5分』が達成できそう」
「まぁ、朝の通勤通学時間帯はエレベータ待ちが結構大変って言ってたからね。専用エレベータの有無は結構重要だとは思うけど」
不動産屋が言うにはこのマンションの住人は多くがうちの大学の関係者らしいけど、一般職員が出勤する時間と研究者である私の出勤時間にはずれがある。時差出勤ならそんなにエレベータの混雑は問題にならないとは思うけど。
私がそう言うと、あの子はにっこりと笑って言った。
「じゃ、ここで問題ないんじゃない?」
「うん……。物件に問題は、ない……かな?」
「物件ってことは、他になにかあったっけ?」
「あの営業はちょっと問題ありかなぁ。他の内見客の事話してたでしょ?」
「ああ。今日は外国の人が内見に来るっていう話?」
そう。実は同性カップルの話が出た後に営業が「この後外国の方も内見に来られるんですよ。だから本当にダイバーシティなんです!」と宣っていたんだ。
雑なくくりで多様性を語り、おまけに他の内見者の個人情報を暴露する営業はかなり不味いと思う。
総務部に連絡して、提携している不動産屋にそれとなくクレームを入れておいた方がいいだろう。
そんな事を考えながら、私達はエレベータに乗り、マンションのエントランスから外へ足を踏み出す。
と、前方から二人連れがこちらに向かって歩いてきたことに気が付いた。
片方は取り立てて特徴のない若い男性……うちの学生だろうか?
もう片方は背の低い、陽光にきらめく桜色をした髪の女の子。
とても綺麗だけど、表情が薄くてまるで人形のように思える。
仲良く手を繋いで歩く様は兄妹のようにも見える。
二人と私達の動線が交差し、ふと目が合った男性が私達に軽く会釈をして来た。
私も会釈を返すが会話はなく、そのまま私達はすれ違う。
数歩歩いてからふと後ろを向くと、二人がVIP専用エレベータの方へ歩いて行くのが見えた。
「ね、すっごく綺麗な子だったね」
「うん。珍しい髪色だったけど……ブリーチしてるようには見えなかったね」
「えー?天然であんな髪色なんて、まるで外国の人みたい!」
この子の言葉に、私はあの二人が営業の言っていた「外国の方」なのだろうかと想像した。
しかしVIPフロアへ向かうという事は……理事の関係者なんだろうか?
……あまりまじまじと見ると不躾だと思って良くは見なかったけど……そう言えば女の子の方は学内で見かけたことがあるような気がする。
たしか筆頭理事の娘さんがやっている研究会のブースで――
私がそんな事を考えていると、袖を引かれた。
「ね、やっぱりここにしよ?あんな可愛い子と同じ所に住めるなんて、素敵だと思わない?」
「えっと……それ、浮気宣言ってことかな?」
「ええ!?ちがうよ!?眼福ってやつだよ!」
「でもあちらさんはVIPフロアだから顔を合わすことも少ないんじゃない?」
「えー、じゃあエントランスで待機して……」
「やっぱり浮気宣言じゃない」
「あはは!」
笑って誤魔化すこの子は、たぶん私が難しい顔をしていたから気分を変えようとしてくれているのだろう。
先ほどの二人連れがどんな関係なのかは判らないけど、もしかすると私達と同じような同棲カップルの可能性も考えられる。
なら、あの営業はともかくとして、この場所は本当に私達を受け入れてくれるのかもしれない。
「……まぁ、気に入らなければまた引っ越せばいいだけ、か」
「ええ?お引っ越しの前にもう次の引っ越しを考えてるの!?」
「万が一の話だよ。徒歩5分が本当に5分なのかは、住んでみないと判らないからね」
「うん。……うん?まぁ、私は二人で歩くなら7分でも全然問題ないよ?」
私の言葉に彼女は小首をかしげてそう言う。
たぶん私の言いたいことをちゃんと理解している訳ではないと思うけど、それでもこの子は私が欲しい答えを返してくれた。
住めば都という言葉もある。なら……選択肢の少なさを嘆くのではなく、自分に与えられた選択肢の中で幸せを求めたほうが建設的というものだ。
そんな事を考えながら振り返ったマンションは、初夏のやわらかい日差しを浴びて、美しく輝いていた。
まるで私達のこれからを祝福しているように。




