Chat.3『タルトは和菓子か洋菓子か』前編
「ね、タルトって好きだっけ」
私が扉を開いた先にいたあの子は、私の顔をみた途端にそう言った。
この子が頓狂な事を言い出すのはいつものことだけど、10日ぶりに合う恋人の第一声がタルトの好悪というのはさすがにどう答えたものか思案してしまう。
「好きだけど……まずは中に入ろうか?」
「うん、そうだね。お邪魔します……じゃなくて、ただいま」
「おかえり」
そう言って私の部屋へ入ってきた彼女の姿はいつもと随分違う。
普段はフェミニンな服装が多いこの子が珍しくパンツルックだし、ふわふわした柔らかい茶髪も軽く纏めてサイドに垂らしている。
白いトップスの上からは薄手のカーディガンを羽織っているし、なんなら大きなキャリーバッグも引っ張っている。
要するに、この子は旅先から自宅ではなく私の所へ直行してきたということだ。
「荷物、家に置いてきたら良かったのに」
「だってもう遅い時間だよ?一旦家に帰ってたら、寝てたよね?」
「……まぁ、それもそうだけど。明日じゃダメだった?」
「うん。ダメ」
そう言うと私に抱きついてきた。
うん、私も明日なら……と言いつつ、この子に会いたかったのは事実だから、ここは黙って抱擁しておこう。
しばらく抱きついて満足したのか、身体を離し際に軽く唇を合わせたあの子は周囲を見回した。
……あ、やばい。
「ね、10日前に来た刻と随分違ってるよね?」
「……その、ちょっと忙しかったから」
「忙しいと下着がソファーの上に散乱するの?」
「ほら、帰りが遅いから洗濯できなくて」
「夜が遅いとジャケットがベッドの上に広がってるの?」
「……ごめんなさい」
この所、比較的我が家が片付いていたのは一重のこの子が足繁く通って片付けや掃除をしてくれていたからで、私が10日も独りで過ごせば元の木阿弥というやつになるのは致し方ないだろう。
「と、とりあえずパパッと片付けるから、ソファ……は洗濯物があるし、ベッド……はジャケットがあるから……」
「いいよ、私が片付けるから」
「いや、私が片付けるから!」
私がチラリと向けた視線に気付いたのか、彼女もベッドサイドに置かれたテーブルに視線を送る。
そこに乗せられているのは……吸い殻が満載された灰皿だ。
「……吸ったんだ?」
「えっと……その、ちょっと寂しくて」
「ふーん」
ああ、視線が冷たい。この子が二重三重の意味でタバコを嫌ってるのは知ってたから、明日までに片付けておこうと思っていたのに。
不意打ちのタルト発言で思わずタバコのことが意識から飛んでいた。
「はぁ。……減煙もできてないよね?」
「……ごめん」
「私がいないと、ダメ?」
「まぁ、生活全般も禁煙も……どっちの意味でもダメみたいだね」
「じゃあ、長く出張してた私が悪いってことだね」
そう言うと彼女は器用に肩をすくめると、ソファに落ちていた下着を手早く纏め、ベランダに置かれた洗濯機へと放り込んだ。
続いてベッドの上に投げ出されていたジャケットをハンガーに掛け、壁のフックへ吊すと自分もカーディガンを脱ぎ、隣に吊す。
うん、簡単な動作だし、私にだって出来ない訳じゃないんだよ?
内心でそう言い訳しながらも私は手際良く片付けを進める彼女の姿を見守ることしか出来ない。
「ね、お茶ってある?」
「紅茶ならこの間一緒に買ったやつが……」
「ううん。紅茶じゃなくて緑茶」
「それは……なかった気がする」
「そっかー。タルトに紅茶は合わないかなって思って」
またおかしな事を言い出した。いや、今日は顔を合わせたときから変なことを言ってたっけ。
私がタルト好きなのはこの子だって知っている。
なにせ、タルトが私達の巡り合わせた縁結びのアイテムなんだから。
私が勤務している大学の近く、大通りを一本入った裏通りに面している小さなパティスリー、「LysBonheur」。そこがこの子の勤務先だ。
甘い物に目の無い私は大学院に在籍していたころからこの隠れ家的なパティスリーへ通っていて、この子とは時折挨拶を交わす顔見知りの店員と客同士という程度の仲でしかなかった。
で、ある時――具体的に言うと、私がポスドクに採用され、そのことを妬んだ元カレと破局した頃――に、突然この子に声を掛けられたんだ。
新作の試食をして貰えませんか、って。
そのとき出されたのが新作タルトで、もろに私の好みだった。
その後も何度か試食をと言われ、流されるままに胃袋を掴まれた私は、新作のための情報収集に付き合って欲しいというお願いを断り切れず、気付いた時には2人でカフェ巡りをするようになっていた。
で、気付いた時には告白され、男の嫉妬に疲れていた私は、女の子と付き合ってみるのも良いかと思ったのが……たぶん3ヶ月ぐらい前のこと。
そして存外にこの子との距離感や関係性がしっくりくることに私自身が驚いている間に、さらに距離を詰められて……今ではベッドの上以外では基本的にこの子のペースで物事が進んでいる。
まぁ、そんな感じだから、この子が私にタルトが好きかと聞いてくるのはかなり不自然なんだけど……。
「ね、さっきの話なんだけど」
「タバコのこと?」
「いや、違うくて。ほら、顔合わせてすぐに聞いてきたよね?タルトの事」
「あ、そうだった。あのね、お土産にタルト買ってきたんだ」
「……そうなんだ?」
その返事に思わず拍子抜けしてしまう。
私が一番好きなのはLysBonheurの……要するにこの子が作ったタルトなんだけど、買ってきたっていうことはどこか別のお店のタルトということだろう。
「そういえば出張、スイーツ博の仕事だっけ?四国だったよね」
「うん、そうだよ。他のお店も一杯出てたんだ」
「たしか……愛媛だっけ?」
「そう、うどん県だよ!」
「いや、うどん県は香川だよね?」
「そうだっけ?でもでも、ホテルの朝食に讃岐うどんがあったよ?」
小首をかしげてそう言うけど、最近は少し気の利いたホテルなら朝食バイキングに麺類を出す所も多い。
実際、私が学会で出張するときに泊まるホテルの多くは朝食に――讃岐かどうかは判らないけど――うどんが供されていたし。
いや、今はうどんの話じゃなくてタルトだった。
「で、タルト?どこのお店のやつ?」
「えっと……忘れちゃった」
まぁ、この子が細かいことを気にしないのはいつもの事だけど……でも、先ほど見かけた荷物の中にはタルトの紙箱が入っているうようには思えなかった。
手提げ袋のようなものも持ってなかったはずだし。
自宅に戻らずに私の所へ直行してきているはずだから、クール便か何かで送ってくるんだろうか?
「とりあえずお茶湧かすね……って、キッチン」
「……だから、ごめんって」
「またカップ焼きそば食べてるし」
「今回はちゃんとお弁当も買ったよ?」
「自炊っていう選択肢はないの?」
「んー、無いかな」
私の言葉に苦笑しながらもキッチン回りを片付けてくれる。
いや、私……生活力なさ過ぎ?
前はこんなにダメじゃなかった気がするんだけど。
もしかして忙しさを理由にしてるだけで、実際の所はこの子に依存して生活スキルが衰えている……?
「ちょっとやばいかも……」
「なに?まだ何か隠し事してるの?」
「いやいや、そうじゃなくて。私の生活力がやばいなって」
「そんなの、最初からじゃない」
そう言うと彼女はコロコロと笑う。
「初めてお邪魔したとき、びっくりしたもん。普段、あんなに凜々しい出来るリケジョ!って感じなのに、私生活これ……?って」
「……面目ない」
実のところ、初めてこの子がうちに来ると聞いて、2日程前から死ぬ気で片付けを行っていたんだけど、それでも状況は燦々たる有り様だったらしい。




