第七話 硝煙の弾幕と狙撃手
朝の猛砲撃と空爆が止むと、地平線の向こうから不気味な地鳴りが響いてきた。
「歩兵だ! 戦車の後ろからソ連の歩兵が押し寄せてくるぞッ!」
監視兵の絶叫が届く。
ソ連軍は砲撃で陣地を耕したあと、鉄の塊である戦車を先頭に、その陰から大量の歩兵部隊をなだれ込ませてきたのだ。
「各員、蛸壺から頭を出せ! 引きつけて叩くんだ!」
前線に立つ齋藤中尉の怒号が飛ぶ。
俺たちは熱した土の穴から這い出し、三八式歩兵銃や九六式軽機関銃の銃口を迫り来る敵群へ向けた。
距離、五百……四百……三百。
「撃てぇーッ!」
一斉に火を噴く日本軍の陣地。
だが、直後に俺たちを襲ったのは、これまで経験したこともない圧倒的な「連射力の壁」だった。
パン……パン……と一発ずつ弾を込めて撃つ俺たちの三八式に対し、ソ連兵の手にはドラムマガジン式のサブマシンガンや自動小銃が握られていた。
ガガガガガガガガガガッ!
耳を刺すような重い金属音が絶え間なく響き、猛烈な弾幕が陣地の縁を削り取る。
一瞬でも頭を上げれば、数千発の弾丸の渦に顔面を撃ち抜かれる。
連射力と物量の差は、残酷なまでに圧倒的だった。
「くそっ、頭が上げられねぇ!」
隣の穴で重成が叫び、土煙をかぶる。
このまま射すくめられれば、至近距離まで詰められて全滅する。
俺は一息吐き、引き金を握る指に神経を集中させた。
(焦るな……一射必中だ)
敵の猛射の中で目を細め、三八式の照準器を覗き込む。
真っ先に狙うのは、歩兵群の後方で手を振り、身振り手振りで指示を出しているソ連軍の指揮官だ。
照星に敵将校の胸元を重ね、息を止めて引き金を絞る。
パンッ!
乾いた一砲が響き、敵将校が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
間髪入れず、ボルトハンドルを叩き上げて薬莢を排出、即座に押し戻して次弾を装填する。
次に狙うのは、激しい弾幕を撒き散らしているソ連軍の重機関銃手だ。
パンッ!
二発目。
機関銃手の頭部が弾け飛ぶ。
連射力では束になっても敵わない。
だからこそ、俺の一発は敵の「急所」だけを正確に撃ち抜く。
十数発の精密射撃で指揮官と機関銃手を潰されたソ連歩兵の足が、目に見えて鈍り始めた。
ズシ……ズシ……!
だが、敵の装甲車とT-26戦車が、ソ連歩兵(デサント兵)を身体になすりつけるようにして陣地へ迫ってくる。
俺はすかさず戦車の覗き窓に照準を合わせた。
わずか数センチの隙間。
パンッ!
弾丸は正確にスリットを撃ち抜き、内部で跳弾した弾丸が戦車のエンジン音を狂わせた。
戦車がガタリと動きを止める。
「誠! 今だ、行けッ!」
俺は叫んだ。
その合図とともに、火炎瓶を両手に握りしめた誠が蛸壺から跳び出した。
「誠に手を出すなあああッ!」
俺は半ば狂気のような叫びをあげ、手垢のついた三八式のボルトをがむしゃらに引き、弾を送り込んだ。
パンッ! パンッ! パンッ!
ボルトを引き、撃ち、また引く。
指の皮が擦り剥け、熱した銃身で皮膚が焼けるのも構わず、誠に狙いを定めようとするソ連兵の頭や胸を、鬼神の如き精度で撃ち抜いていく。
「喰らいやがれえぇッ!」
誠が渾身の力で投げつけた火炎瓶が、戦車の後部エンジンデッキで弾け飛んだ。
ドッと燃え上がるガソリンの炎。
黒煙を上げて炎上する戦車から、ソ連兵たちが悲鳴を上げて飛び出してくる。
「やった……! 撃破だ!」
歓喜の声が上がったのも束の間——。
ヒュウゥゥゥゥ——ドン! ドドドドドンッ!
地平線の彼方から、再び空気を引き裂く凶悪な咆哮が空を埋め尽くした。
ソ連軍の重砲隊による、容赦のない「反砲兵射撃」と陣地への集中砲爆撃だ。
猛烈な土煙と衝撃波が、俺たちを吹き飛ばす。
「退却だーッ! 全員、後方陣地へ引けーッ!」
一番前線で指揮をとっていた齋藤中尉が、軍刀を振るって叫んだ。
だが——その直後だった。
ズドンッ!
中尉のすぐ足元で砲弾が炸裂した。
「中尉殿っ!?」
凄まじい爆風が収まると、煙の向こうに倒れる齋藤中尉の姿が見えた。
その右足は、太ももから下が吹き飛ばされ、激しい出血が赤黒く砂を染めていた。
「中尉殿ーッ!」
「来るなッ! 追撃が来る! 命を優先して退却しろッ!」
駆け寄ろうとする俺たち向かって、齋藤中尉は地面を這いながら鬼の形相で怒鳴り散らした。
「俺はもう役に立たん! 足手まとしだ! 命令だ、失せろッ!」
敵の砲弾が次々と周囲に着弾し、土煙が上がる。
だが、俺と誠、太郎、重成、金三は顔を見合わせると、迷わず猛煙の中へ突っ込んだ。
「正造! 貴様、耳が聞こえんのかッ!」
狂ったように激怒する齋藤中尉を、俺と誠で両脇から力任せに抱え上げた。
「バカ者が! 自分たちの命を優先しろと言ったはずだッ!」
血を吐くような中尉の叫びに、俺は止まらず走りながら、ニヤリと不敵に笑ってみせた。
「……自分たちの命を最優先にしてますよ、中尉殿」
「な、何だと……!?」
「ちょうどここに、頑丈で立派な『弾除け』が転がっていたもんでね。これを背負っていけば、背後からの弾が当たらずに済む」
俺がそう言うと、隣で中尉の腕を担ぐ誠も、荒い息を吐きながらニッと笑った。
「そうですよ中尉殿! ちょっと重いけど、最高に良い弾除けを拾いました!」
「太郎さん、後ろからの弾は全部この『高級な弾除け』が受けてくれますよ!」
「おうよ! ありがたく使わせてもらうぜ!」
太郎と重成、金三も土煙に塗れた顔で声を上げて笑い、中尉を庇うように周囲を固めて走る。
自分を捨てて逃げろと叫んでいた齋藤中尉は、茫然と俺たちの顔を見つめた。
「貴様ら……ぶ、無礼者め……」
そう毒づく中尉の目から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ち、血と泥に塗れた俺たちの肩を濡らした。
「……ありがとう……ありがとうなぁ……っ」
絞り出すような感謝の呟きは、絶え間なく降り注ぐ砲撃の爆音の中に、静かに溶けていった——。




