第十二話 帰郷と最後の務め
雪が解け始めた早春の北海道。
札幌陸軍病院を退院した俺と誠は、ガタゴトと揺れる列車に乗り込み、故郷・旭川の駅に降り立った。
駅から我が家のある集落までは、十キロ以上離れている。
病院からの連絡で「近々戻れる」ということだけは家に伝わっていたが、具体的な日時までは知らされていない。
俺たちはあらかじめ手配されていた馬車に揺られ、残雪の残る泥道をゆっくりと進んだ。
右足に松葉杖を抱え、片耳が聞こえなくなった誠と並んで揺られながら、俺は「本当に帰ってきたんだ」と静かに実感していた。
馬車が我が家の広い敷地に入ると、大きな母屋の土間で作業をしていたハナが、馬の足音に気づいて顔を上げた。
「正造……!? 誠……!?」
突然の帰郷に、ハナは目を見開き、手に持っていた道具を落とした。
百メートルほど離れた隣家——ハナの実家であり誠の家からも、ハナの悲鳴のような声を聞きつけて誠の家族が飛んできた。
「本当に正造と誠だ! 生きて帰ってきたぞ!」
一気に広がる驚きと喜びの声。
作業着姿のハナは、ボロボロと涙をこぼしながら駆け寄ってきた。
右足の松葉杖と、片耳の聞こえなくなった誠の姿に一瞬胸を詰まらせたようだったが、ハナは俺たちの手や肩を何度も確かめるように撫で回し、ただ「生きて帰ってきてくれた」と何度も何度も繰り返し泣いた。
夫と弟のふたりが、同時に無事に生きて故郷の土を踏んだのだ。
「よし! 集落のみんなを呼べ! 今夜は祝い酒だ!」
奥から声を張り上げたのは、この部落の有力者として親しまれている親父——「たこじいさん」こと俺の親父だった。
親父の威勢の良い一声で、我が家の大きな母屋は大騒ぎとなった。
連絡を受けた集落の人々やご近所さんが続々と集まり、持ち寄った酒やごちそうが膳に並べられていく。
「よくぞ生きて戻った!」「ご苦労様だった!」と、大勢の大人たちが俺と誠の肩を代わる代わる叩き、酒を酌み交わした。
満州へ渡ったときのような無傷の身体ではなかったが、大きな母屋に響き渡る笑い声とハナの笑顔に囲まれた瞬間、長く苦しかったノモンハンの戦いが、ようやく一つ終わったのだと実感した。
だが、俺と誠には、まだ果たさなければならない『最後の務め』が残されていた。
宴から数日後。
俺たちは三浦分隊長と重成、アンド前線に残された太郎と金三の実家を順番に訪ねた。
最初に訪れたのは、重成の家だった。
仏壇の前には、国から届いたという白木の箱がぽつんと置かれていた。
だが、ご遺族の言葉によれば、その箱の中には遺骨など入っておらず、現地で拾ったという小さな石ころと紙切れが一枚入っていただけだったという。
戦争は、若くして散った弟分の骨すら故郷へ帰してはくれなかったのだ。
「重成のご遺族の皆様……これを、重成の胸ポケットから預かってまいりました」
俺は大事に懐に忍ばせて持ち帰った、一本の万年筆を取り出した。
ノモンハンの砂埃に塗れ、重成が故郷への手紙を書くために大切にしていた万年筆。
俺の手からそれを受け取った母親は、「あの子が使っていたものだ……」と、骨の入っていない白木の箱を抱きしめるようにして涙を流した。
「あの子が最後にどう戦ったのかも分からず、ただ石ころ一つ送られてきて……どう受け止めていいか分かりませんでした。正造さん、あの子の最期を教えてくれて、これを持って帰ってきてくれて……本当にありがとうございます……」
続いて訪ねた三浦分隊長の実家でも、俺は分隊長が肌身離さず持っていた使い古しの『陣中手帳』をご遺族に手渡した。
分隊長がスイカ畑で胸を撃ち抜かれて絶命したこと、最期まで部下を守り抜いた誇り高き姿を、俺は震える声で語った。
擦り切れた手帳のページに記された分隊長の筆跡を撫でながら、奥さんは静かに涙を拭っていた。
そして俺たちは、まだ前線で戦い続けている太郎の実家と、金三の実家をそれぞれ訪ねた。
太郎の実家の玄関を入ると、出迎えてくれた両親は縋りつくように俺たちの手を握りしめてきた。
「正造さん! うちの太郎は……太郎は生きていますか!?」
「はい、無事です。ノモンハンを生き残って、チチハルの陸軍病院まで俺たちの見舞いに駆けつけてくれました。『正造さん、誠、お前らは内地へ帰って家族に元気な姿を見せてやれ! 俺も必ず生きて追いつくからな!』って、固く握手を交わしました」
太郎が相変わらず腹を減らせながらも、元気に俺たちを元気づけてくれた話をすると、ご両親は「生きていてくれた……」と胸を撫でおろし、涙を流して喜んだ。
次に向かった金三の実家でも、不安そうにしていたご家族に力強く言葉をかけた。
「金三も無事です。チチハルで俺たちのベッドの横に座って、相変わらず冗談を言って笑わせてくれました。太郎と二人でしっかり支え合って前線で戦っています」
「あの子らしいです……正造さん、無事を教えてくれてありがとう」と、金三のご家族も深く頭を下げてくれた。
遺品を渡す悲しみと、無事を伝える希望。
生き残った俺たちの務めは、散っていった者の想いを届けることだけでなく、まだ戦火の中にある命を、故郷の家族へ繋ぐことでもあったのだ。
吹雪が去り、旭川の地に春の陽射しが優しく差し込み始めていた。
俺は松葉杖を握り直し、見上げる空に向かって心の中で静かに語りかけた。
(分隊長、重成……約束通り、手帳と万年筆は届けてきたぞ。……太郎、金三。お前たちも必ず、この北海道の我が家へ生きて帰ってこい)
ノモンハンの砂塵を超えて辿り着いた故郷の風は、どこまでも温かく、そして優しかった。




