第十一話 昭和十四年十二月、札幌陸軍病院
チチハルからの傷痍兵輸送列車に揺られ、小樽港を経てたどり着いた故郷・北海道の地は、すっかり白い雪に覆われていた。
札幌陸軍病院の病室。
窓の外では吹雪が音を立てて吹き荒れていたが、内地の病院の手厚い手当と静けさは、あの砂塵と硝煙に塗れたノモンハンが嘘だったかのように穏やかだった。
病棟の廊下を行き交う看護婦たちの足音や、白い包帯を巻いた傷病兵たちの静かな話し声。
生死の境を彷徨っていた戦場から見れば、ここはあまりにも温かく、平和な別世界のようだった。
「坂口軍曹、これを」
十二月のある日。
軍医官から手渡されたのは、胸につける『傷痍軍人記章』と公傷による恩給の証書、そして顕著な戦功を挙げた者へ与えられる、菊の御紋が刻まれた銀の懐中時計であった。
右足の骨は繋がったものの、重い背嚢を背負うことも、走ることも二度とできない。
手に取ると、ずっしりと重い金属の記章と、手のひらで冷たく光る銀の時計。
その静かな重みを見つめながら、俺は兵士としての自分の終わりを静かに噛み締めていた。
だがそれは同時に、「公傷除隊」として二度と戦場へ引きずり出されることなく、無事にハナの元へ帰れるという証でもあった。
「正造、これを見ろ」
同じ病室で義足のリハビリを続けていた齋藤中尉が、一枚の書類を俺に差し出した。
それは、ノモンハンで激戦を繰り広げた我が歩兵連隊、神社ならびに坂口分隊の戦功に対して下された『感状』の報書であった。
『敵の猛砲撃下にありて勇敢良く陣地を死守し、顕著なる戦果を挙げたり』
そこに記されていたのは、お決まりの堅苦しい軍令の言葉だけだった。
三浦分隊長がスイカ畑で胸を撃ち抜かれて絶命したことも。
俺が狙撃で敵の進撃を食い止めたことも、命がけで齋藤中尉をトラックへ担ぎ込んだことも。
俺が足を打たれたことも、重成が銃弾に倒れたことも——何一つ具体的には書かれていない。
ただ「戦果を挙げた」という数文字に、あの地獄のすべてが片付けられているように思えた。
「……これじゃあ、分隊長や重成がどう戦って死んだのかも、俺たちが過酷な現場を生き抜いてきたことも、何一つ伝わりませんね」
俺がぽつりと溢すと、義足で立ち上がる訓練をしていた齋藤中尉が、静かに俺の肩を叩いた。
「文章に残らんからこそ、生き残ったお前と誠が覚えておかなきゃならんのだ。……だが正造、お前が俺をあの地獄から引っ張り出してくれた事実は、この感状の文字なんかよりずっと重く、俺の胸に刻まれているぞ」
「中尉……」
「胸を張れ、坂口軍曹。お前は立派に分隊と俺を守り抜き、戦い抜いたんだ」
中尉の言葉に、胸の奥から熱いものが込み上げてきた。
ふと横を見ると、左耳をこちらに向けながら真剣に言葉を聞き取ろうとしていた誠が、静かに目元を拭っていた。
片耳の難聴を負いながらも、誠もまた傷痍軍人として俺と共に生きて故郷へ帰るのだ。
「正造さん。せっかく記章と感状が届いたのですから、写真師さんに頼んで記念に一枚撮ってもらいましょう」
毎日俺たちのリハビリを親身に支えてくれていた看護婦さんが、そう言って笑いかけてくれた。
旭川へ列車で何時間もかかるこの時代、農家のハナや家族が札幌まで面会に来ることは叶わない。
だからこそ、「俺は生きて戻ったぞ」「足は不自由になったが、正造はしっかり生きているぞ」という姿を、旭川で待つハナに届けるための写真だった。
俺はベッドの脇に置いてあった清潔な白衣の胸元に、授与されたばかりの傷痍軍人記章を付けた。
アンド、兵士としての威厳と誇りを正すように、使い古した軍帽をしっかりと被り直した。
「坂口さん、そちらの窓際に立ってください。外の景色も入れましょう」
写真師に促され、俺は右手に木製の松葉杖を突き、病室の窓際に立った。
カメラのレンズに向かって、身体の左側に松葉杖を構え、膝から上の姿で姿勢を正す。
右側には、ガラス窓の向こうに真っ白な札幌の冬景色が広がっていた。
「はい、動かないでくださいね」
カシャリ、と白いフラッシュが焚かれた。
一瞬の眩しい光の中に、あのノモンハンでの過酷な日々が駆けていくようだった。
後日、現像されて手元に届いたモノクロの写真。
白衣を着て軍帽を被り、松葉杖を突いて窓際に立つ俺の姿が写っていた。
右側の窓の外には、静かに雪の降る景色が広がっている。
病で弱り果てた姿ではなく、軍帽を戴き、しっかりと前を見つめる一人の男の姿があった。
その写真の裏面に、俺は万年筆を執り、静かに文字を書き添えた。
『昭和十四年十二月 札幌陸軍病院』
病室の窓の外では、北海道の厳しい冬の雪が、静かに、どこまでも降り積もっていた。
春になれば、雪が解ければ、俺たちは故郷へ帰れる。
ハナの待つ、あの温かい我が家へ——。




