第三十話 起こりえた時間。
ジェリはなかなか父親から離れることは無かった。しかし、オトムは先行させていた隊商のことがかなり気になっている様子だった。今から街を出ればすぐに追いつけるだろうが、出発が遅れればそれだけ、オトムが隊商に合流するまでの時間も伸びてしまう。一人の時間が長くなればなるほど、危険も増すだろう。オトムは俺を街まで届ける選択をしてくれた。それは、その後の自分の身を危険に晒すことを、良しとしたのだ。
「ジェリちゃん、お父さんは戻ってきた。もう大丈夫だよ。でも、俺のためにわざわざ一人で、一緒に帰ってきてくれたんだ。俺と一緒に、お父さんのお仕事を応援させてくれないかい」
俺はそう話しかけた。すると、今までぐずぐずとしていた彼女は、父親の服に顔をうずめるのをやめた。赤くなった目で俺を見て、そして自分の父親の顔を見て、そしてもう一度俺の顔をみた後に、頷いた。
「……!? ず、随分……聞き分けが良くなったな、ジェリ。お前も俺が知らない間に、大きくなっているってことだな?」
オトムはジェリの反応に戸惑った様子だった。そして、言葉ではそう言いながらも、ちらり、と俺の方を見てきた。その表情には、人のよさそうな今までのオトムには無かった、何かを疑うような眼差しがあった。
今度は俺が気まずさを覚える番だった。
「うん……。お兄ちゃんが戻ってきてくれて、お父さんを連れ帰ってきてくれたから……。もう大丈夫。お父さん、お仕事行っていいよ。……でも、見送らせてね」
ジェリは少しずつ落ち着いていき、静かに言葉を紡いだ。俺は嬉しい気持ちもあったが、今は少しだけ背筋に寒さを感じた。
「ジェリ、お父さんも絶対に戻ってくるからな。仕事を素早く終わらせて、すぐに帰ってくる」
オトムは少し被せるように言った。
「ええ、本当。もう、そりゃその方がいいですよね。あらゆる面においてその方が良い。うん」
俺も慌てながら、とりあえず頭に思い浮かんだ単語を並べて、とりあえずオトムに同調の意を示すことにした。オトムは良い人だ。その人に、何か不信感のようなものをもたれるのは本意ではない。
「うん、お兄ちゃんがいるから、大丈夫。お父さんはしっかりお仕事をしてきてね」
「いえ、全く大丈夫ではありません。オトムさん、出来るだけ早期のご帰還をお願いします。ジェリちゃんには貴方が必要です」
オトムが驚愕の表情を浮かべるのを見て、俺はすかさず口を挟んだ。ルーシーはそんな俺たちを見ながら、何も言わずにただニヤついているだけだった。
「ははは。ハァト君、君は俺の想像以上に、ジェリと仲が良いようだな。是非、俺が戻ったら色々話を聞きたいものだ」
オトムの声には、明らかに含みがあった。そして、俺はそれに対し、ただ頷くしかできなかった。
「はい、とりあえずこれ食べてて」
ルーシーがそう言いながら、席に座っている俺の前に盆を置いた。サラダとスープ、そして肉料理とパンが乗っている。
「頼んでな……」
俺がそう言いかけると、ルーシーは背を向けながら言葉を返してきた。
「あたしの奢りよ」
そう言って、ルーシーは再び厨房に戻っていく。そして、その後にはジェリも続いていた。
オトムがギルドの扉から外に出て行ってから、俺はルーシーに引っ張られ、食堂の空いた席に座らされると、そこで待つようにと言われたのだった。
目の前にある食事は美味しそうで、見ているだけで食欲が湧いてくる。しかし、野菜の切られ方は、少しだけ粗が目立った。
ギルドは以前のように、ルーシー一人では回せないぐらいに人が入っている。それでも彼女の手際はかなりのもので、遠目に見ていても厨房とギルドの受付の業務の両方を、上手にこなしていた。そして、それでも手に負えなさそうな場面を、ジェリがなんとか対応していた。二人の表情には疲れなど全く見えず、寧ろ活き活きとしていた。
俺はありがたく、食事を取らせてもらった。朝の間に街を出て、異形と戦い、そして昼過ぎに戻ってきたというのに、もうかなりの時間が経ったように感じる。それは、目に映るギルドの賑わいが、俺の中ではまだ馴染んでいないからかもしれない。本来こうだったのだろう、という風景を目の当たりにして、俺の感覚がまだ追いついていない。しかし、それもすぐに慣れていくんだろうな、と思った。今、俺が見ているものは、心の中が暖かくなるものだったからだ。
そして、俺は食事を終えると、そっと厨房に入っていった。用事をしているルーシーは、少しだけ眉を上げてこちらを見たが、何も言わなかった。俺はほんの短い間だけ手伝った記憶を頼りに、厨房での仕事を手伝っていく。ジェリは嬉しそうな表情で俺と話をしようとしてきたが、俺が忙しい間は作業に集中しよう、と言うと素直に聞き入れてくれた。ルーシーも業務に関わること以外についての話をすることは無く、俺とジェリに作業の指示を出し、最も多くの作業と客への対応をこなしていた。
やがて、夕暮れになった時、ルーシーはギルドの扉に、閉店の札を掛けた。普段はもっと遅くまでやっているはずだった。ルーシーは俺とジェリに食堂の片づけを指示すると、表に椅子を出してそこに座った。そして、夕食目当てにやってきた常連たちに、今日は閉店する旨を説明し、一人一人に詫びていた。
「ごめんね、試しに人手を少なくしてみたんだけど、やっぱり無茶だったみたい。しばらくしたら人員を増やすから、今日はギルドの食堂は閉めさせてね。あ、仕事の依頼書とか冒険者の登録なら受け付けているわよ」
老若男女様々な常連が、ルーシーの元に訪れていた。そして彼らと交流するルーシーは心底楽しそうにしていた。閑古鳥が鳴いているギルドを一人で切り盛りしている時の、侘しそうな表情はもう欠片も見えなかった。
「ねえお兄ちゃん、ルーシー、楽しそうだね」
ジェリも俺と同じ感想を抱いたらしい。掃除の手を休めずに、俺に小声で話しかけてきた。
「あぁ、そうだね。でも、ジェリちゃんも楽しそうだよ」
「ふふ、うん。あたし、ルーシーのこと好きだもの。ルーシーがね、お兄ちゃんを見送ったあと、一緒にギルドの仕事をしながら、待っていようって言ってくれたの」
「そうだったのか……」
オトムがいない時の、ジェリの母親については、俺も色々な想像を巡らせていた。そして俺は、ルーシーがジェリの母親と話すために、彼女の家に行っていたことも思い出した。
「ジェリちゃんのお母さんは、どんな様子だい?」
俺はできるだけ優しく聞いた。ジェリはにっこりと微笑んだ。そして、静かに口を開いた。
「ずっと笑顔でいてくれるの。泣いたりしていたことなんて、覚えてもいないみたい。ちょっと私やルーシーが話しているのと、記憶がかみ合っていなかったりするんだけど、そんなこともうどうでもいいの。……ねえ、お兄ちゃん。お兄ちゃんが、何とかしてくれたんだよね。お父さんを連れ帰ってくれて、他の人も連れ帰ってくれて。本当にありがとう……」
俺は胸の中で熱いものが湧き出るような感覚になった。喉が詰まる。しかし、実際のところは、俺が直接何かをしたわけではない。異形に働きかけたのは事実だったが、こうなる結果が予想できたわけではない。
「……本当に、偶然に偶然が重なって、今のような結果になっただけなんだ。俺がやったことは、些細なことだったよ」
俺はそこで言葉を切った。異形の判断やエステルの加護が無ければ、今の結果は得られていない。そして何より、俺の足を街の外へ向けさせたのは、目の前の少女の決意が理由だった。
「でも、色々な要素が嚙み合って、思いもよらない良いことが起きるんだってことは、今回よくわかった」
ジェリは何も言わなかった。ただ、俺の腰辺りに抱き着いた。俺は静かに彼女の肩に手を置いた。
しばらくして、ギルドの扉が開き、ルーシーが見知らぬ女性を連れて入ってきた。その女性を見ると、ジェリは嬉しそうに口を開いた。
「お母さん……」
「ジェリ、迎えにきたわよ。ルーシーのお手伝いをしたそうね。ふふ、いつの間に、そんなに自分で色々とするようになったのかしら」
ジェリの母親は、優しく娘を抱きしめると、頭を撫でた。ジェリは安心したように目を閉じる。
俺はそんな様子を見て、自分の受けた依頼が今完全に終わった、と思った。
次回も来週月曜更新!




