第一部終了 第三十一話 女神エステルの遣い
静かなギルドの食堂。暖炉の炎が、俺の背中を優しく暖めてくれている。
ルーシーと俺は、向かい合わせに座って、共に夕食を取っていた。昼間も奢ってくれたというのに、夕食も奢ってくれると言い出した彼女の気前の良さに、俺が申し訳なさを口にすると、これは報酬だと言ってくれた。
「ねぇ、ハァト。街の外で何があったのか、教えてよ」
更に盛られた料理が半分ぐらいになったあたりで、ルーシーは水を飲み、一息ついてから俺に質問を投げかけてきた。
「今まで誰も戻ってくることが無かったのよ。一体外はどうなっていたの? オトムさんを行かせてしまったけれど、本当に、今後出て行っても大丈夫なのかしら」
ルーシーの心配は尤もだった。俺は頷くと水を一口だけ飲んでから、口を開いた。
「信じられないかもしれないけれど、コンラッドの街の外には、この世界をかなり自由に操作できる怪物のような奴がいたんだ。そいつはコンラッドの街には直接手出しはできなかったみたいなんだけれど、街の周りは奴の思い通りになってしまう環境だった」
「うわ……どんな環境だったの?」
「何も起こらない環境だよ」
「え……?」
ルーシーはきょとん、とした顔をした。どうやら、彼女が想像していたものとは違うらしい。
「何も起こらない……? 何も起こらないってことは、危ないことも起きないんじゃない?」
「あー……。そうだな、どう説明しようか……。その、何も起こらない環境っていうのは、文字通り何も起こらないんだ」
「何? 空気を吸っただけで、存在すら許されずに消えてしまう、みたいなことが起きていたっていうの?」
ルーシーは顎に手を当てながら少し虚空を見て、考えを口にした。実際、俺は自分以外の誰かが外にでた瞬間を見たわけではないが、ルーシーの想像はなかなか良い線を言っているのではないか、と思った。
「実際に誰かと一緒に外にでたわけじゃないから、はっきりしたことは言えないけれど、ルーシーの言う『存在すること』が起きないって見方はあっていると思う。一応、空気とか植物はあったけれどね」
「ふぅむ、そんな状況になっていたんだ……」
ルーシーはそう呟くと、何かに気づいたかのように目を瞬かせた。
「ねえ、じゃああんたはどうやってそこから戻って来れたの? 今の話を聞いていたら、そもそも、出た瞬間に全部が終わってしまわない?」
「俺は無事だった。外でも存在することができた」
「ええ……何よそれ」
「多分だけど、それは俺が女神エステルの遣いだったからだと思う。彼女の加護が働いて、俺は色々と助けられたんだ。それが無かったら、こうして帰ってくることさえできなかった」
「ふぅん……」
エステルの名前を聞いて、ルーシーは渋い表情になった。無理もない。エステルは街の人々がいなくなっていくのを止めることはしなかった。それに、あの異形を連れてきたのもエステルだ。どう成長するかまでは読めなかったのかもしれないが、責任の一端は間違いなくある。そこまで考えた時、そもそも俺はこの街に最初に来てルーシーに受けた説明をを思い出した。
「あれ、そういえば、エステルは100年前にも遣いを派遣して、そいつが魔物を強化したんだっけ?」
「ええ、そうよ。だから、ちょっとハァトの言っていることと、私が知っていることが違うなって思っていたの」
「ルーシーはその情報をどうやって知ったんだ? 実際に魔物を見たことがあるのか?」
「ええと……街の外には出たことはないのだけれど……。おかしいわね……。確かにそういった知識はあるのに、実際にそれを裏付ける事実は無いかも……。じゃあどうしてあたしはそう思っていたのかしら……」
ルーシーは眉根を寄せると、むっつりとした顔になり半分ほど残った食事に目線を落とした。
「ルーシーがそう思っているってことは、多分街のみんな全体がそう思っているってことだよな」
「ええ。それは勿論。みんなそれを疑ったことは無い。実際、今のギルドの依頼書はほとんどが魔物の討伐依頼よ。外には魔物が闊歩しているっていう認識は、100年前から変わっていないと思うわ。……ねぇ、ハァト。何か心当たり、ある? コンラッドの街のみんなの認識が、実は操作されていたり……なんて……あたし、少し怖くなってきちゃったわ」
ルーシーは少しだけ震えていた。しかし、俺はそれ以上に、衝撃を受けていた。
心あたりがあるか、と問われれば、ある。それは間違いなくエステルの仕業だろう。実際、あの異形がどれくらい前から『何も起こりえない世界』を作り始めたのかは分からない。奴は時間を好きなだけ遡れるようだった。ただ、100年前は本当にルーシーの言うように魔物が闊歩していたのかもしれない。しかし、街の住民たちがその認識のまま、100年を過ごせるように仕向けたのはエステルだろう。外で何が起こっても、魔物の仕業とコンラッドの人々が認識すれば、本当は何が起こっているのかを調べることはない。そして、実際に外に出た人は存在が出来ずに、帰って来なくなるだけだ。
俺が衝撃を受けたのは、それに何の疑問も抱かずに、受け入れていたことだった。
俺は女神エステルの遣いだ。
それはエステルに出会い、会話し、スキルを授かり、このコンラッドの街に飛ばされた経験から、そう判断できる。もう一つ加えて言うなら、俺は冒険者ハァトではあるが、その前にあった羽畑和人という自分があったことも、忘れてはいない。そういった事実が、俺を俺と認識させ、日本からこの世界に、女神の力によって転生させてもらったと認識させている。
あの異形も、自分で言ったように、女神エステルの遣いだろう。奴の自称をそのまま信じたというよりかは、見せられた数々のスキル、そしてやりとりの中で俺がそう判断した。判断せざるを得ないほど、あの異形はエステルの遣いだった。
しかし、俺や、あの異形以外の人たちは違うはずだ。
彼らはこの世界で生き、喜び、そして苦しみ、恐怖をしている。
俺も彼らと、ジェリやルーシーと、共に過ごした。過ごしたはずだった。それなのに、ついさっき、自分はエステルの遣いであることを受け入れ、彼らが抱く記憶の差異やその変動についての恐怖を、目の前で目の当たりにするまで、感じ取れていなかった。
当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。自分以外の感覚など、分かりようもない。性別、職業、年齢、国籍……。そういった要素が一つずつ違うだけで、相手のことを理解することなんて、どんどん難しくなっていく。
しかし、俺がさっきまで思っていた、自分がエステルの遣いだから、という自己認識は、どこかあの異形が抱えていたものと通じる部分があるのではないか?
あの異形が、自身の持ちうる様々なスキルを駆使して、自分の興味の追求のために、行動していくその魂胆の奥底には、どこか、自分はこの世界に属してはいない、という意識があった故のものではないか?
そして、俺は今まさに、そのせいでルーシーの抱える恐怖を認識できていなかったのではないか?
「……? ハァト、どうしたの?」
ルーシーは少しだけ不思議そうな表情をしていた。俺は咄嗟に、何でもない、と口にしていた。
「ルーシー、今日は色々なことがあったけれど、得られたものはあったと思う。そこにある価値は、確かなものだと思う」
「……! え、えぇ。そうね。うん、そうだわ。ふふ、色々考えてしまったけれど、それについては全く同意するわ」
ルーシーは安堵したように微笑んだ。俺はそれを見て安心した。
彼女への言葉は、俺自身にも向けたものだった。
第一部終了! これまで粗い部分もある本小説に、お付き合いいただきありがとうございました。続きは、一旦10月頃再開の予定ですが、早まったりするかもしれませんし、遅くなるかもしれません。私が生き延びていたら、続きがかけると思います。それでは!




