第二十一話 調査
「うああああああ!!」
十代ぐらいに見える若者が、大声を上げながら、白い霧を突っ切って、来た道を戻ろうと走っていた。しかし、いくら走ってもその霧は晴れないことが分かったらしい。若者は走るのをやめて、こちらに振り返った。その表情が驚愕に歪むのが見える。我の姿を視認したらしい。
「そう驚くな……」
我は丁寧な声でそう言った。聞いている者が安心するような声の出し方は心得ていた。
「お、お前は何者だ……?」
若者は緊張を隠さない声で話しかけてきた。マントに覆われていない我の体の部分を見て、慄いているのが伝わってくる。
「我は……旅人……とでも言っておこうか……。この世界を旅をしている者だ……」
我は慣れたように言った。
「……へえ、そうなんだな。俺は、コンラッドの街の冒険者、ハァトって言うんだけれどさ、旅人さんはなんて名前なんだ?」
ハァトは警戒心を露わにして、こちらの様子を窺っているのがわかる。
「……」
ハァトの質問に、我はどうこたえるべきか思案した。名前が無い、という返答は既に行ったことがある。もう少し情報を与えた方が良いかもしれない。それならば、適当な名前を名乗ってみよう。
「ダトヒ……と呼んでくれ」
「ダトヒさん、ね……。よかったらなんだけれど、俺はコンラッドの街から今まで出たことが無くてさ。一ヶ月ほど前にこの街から出て、行方知れずになった人を探しているんだけれど、何か知っていることはあるかい? 街の外で人が向かいそうな場所とか、知らないかな」
なるほど、この若者がどうして街の外に出てきたのかは知らなかったが、そういった目的があったのか。しかし、問いかけにはどのように答えるか。この世界は既に、コンラッドの街以外は、我があらゆる可能性を排除して回った世界だ。エステルが作ったこの世界の住人は、街から離れて霧を抜けたあたりで、存在が無くなってしまったのだろうと思った。可能性の無い場所で、存在することができるのは、我やこのハァトのように、存在の全てをエステルの力に頼っていない者だけなのだろう。
あとは、それをこのハァトに伝えるかどうかだが……。
「いや……そういった場所の……心当たりはないな……。我はずっとこのような道を歩いてきた……。他の誰かを見かけたこともない……。この辺りに来たことも……初めてのことだしな……」
我はそう言うと、天を仰ぐ仕草をした。その様子を見て、ハァトは少しばかり安心したようだった。我が人間の反応らしい動きをすることで、親近感を覚えていることが見て取れる。
「そっか……。それなら……俺はもう少し歩いて、辺りの様子を探ってみようかな……」
ハァトがひょい、と我の後ろに続く道を覗き込んだ。
その瞬間、我は渾身の力を込めて、ハァトの頭蓋に腕を振り下ろした。
しかし、我の手がハァトの頭に触れるか触れないか、といったあたりで、一瞬だけハァトの姿が消えた。そして、我の手が空を切った直後に、目を見開いたハァトが僅かに離れた場所に佇んでいた。
「テメェ……どうして俺を攻撃した……ッ!!」
「……」
血走った目で、我を見据えるハァトがいる。彼からの質問に返答をすることは無く、我は思考に浸った。
この展開は知っている。どうやらスキルが覚醒する前段階では、エステルがこのハァトの命を守っているらしい。となれば、我はこいつを武力によって排除することはできないのかもしれない。これは少々面倒だった。
「ハァト……お前がエステルの庇護を受けていることはよくわかった。恐らくだが……彼女と会話もしたのだろうな……。そして……もう一度我の前に……戻すように頼んだのではないか……」
「……! ……ああ、その通りだ。俺は別に殴られるようなことをしていない。だが、もしお前がそうしようと思う事情があるなら、それを一旦聞いてみたいと思ったからここに戻すように言った」
その瞬間、我はもう一度、拳でハァトの顔面を打ち抜いた。いや、正確には、打ち抜こうとした。だが再び、拳が触れる直前にハァトは消え、そして離れた場所に佇んでいた。
「理由がない、と判断するぜ……」
怒りを含んだ声で、ハァトはこちらに凄んでいた。
再度我は打ち抜いた。また、同じことが起こる。
「理由がない、と判断するぜ……」
また同じこと。
「理由がない、と判断するぜ……」
また同じ……。
数度、それを繰り返してから、我は拳を打ち込むのをやめた。
「腹立たしいと思ったのは久しぶりだ……」
「……なんのことだ。腹立たしいのはこっちの方だ。さっきまで会話できていたと思ったのに、急に殴ってきやがって」
「……我がお前を殴ったのは何発だ?」
「は? 一回目に殴ってきて、俺が戻ってきてもう一発殴ろうとしたじゃないか」
「……都合の良いタイミングだけを覚えているようにしているな……」
「何を言っているんだ、お前」
オートセーブ・クイックロードをハァトの前で使う直前に、奴が「やってみろ」と言っていた理由が分かったような気がした。
既にあったこの世界の可能性は、好きなだけ潰すことができたとしても、途中参加したハァトに対しては、干渉しようとしても遡れる起源がここまでしかないのだ。ハァトはこの世界で生まれたわけではない。だからこそ、例えば血筋を絶ってこの世界に生まれさせないようにする、といった手法をとることが出来ない。
「では、これならどうだ」
「……?」
身構えるハァトの前で、我はもう一度オートセーブ・クイックロードを使用した。そして同時に、コンティニュー・グラインドと時の遡りも発動させた。
ハァトが降り立つ前に、コンラッドの街が出来上がる可能性を排除すれば、どうなるか。
我はその場に立ち尽くしながら、時間を遡っていった。我が奪った様々な可能性が、息を吹き返したかのように、周りを通り過ぎていく。様々な鳥、虫、植物が現れたり消えたりしていく。そうすると、次第に前方に立ち込めていた霧が遠のいていき、視界が開けていった。そして、城塞都市が姿を現し、我の立つ道の正面には、重々しい扉が見える。
昔のコンラッドの街だ。
「ふむ……」
軽く手をかざし、胸の内で念じると、爆音と共に我の手の先から光が迸った。そして、光が落ち着いた時には、目の前の街は無くなっていた。
「さて、どうなるか……」
我はもはやそこには何も無かったかのように更地になった場所を眺めつつ、時の速度を速めた。同時に必要なスキルのいくつかを再び再使用する。雲が流れていく様子により、時間の流れを感じつつ、更地がどう変化するのかを見守った。
しばらくは、何も変化が無かった。しかし、突然、更地が白い霧に覆われた。
「……」
我はそのまま、時を進め続けた。
そして……。
見知った若者が、霧の向こうからこちらに歩いてきた。それを目にした時、我は時を進めるのを辞めた。
「くそ……」
「こんにちは。そこで何をされているんですか?」
「……」
我が思わず漏らした呟きは、若者の耳には届いていなかった。警戒した表情で、こちらに声をかけてきた。先ほどから何度も見た表情、そして何度も聞いた声である。
「試行……とでも言おうか……。お前……霧の向こうからやってきたが……あの向こうには何がある?」
「え……霧? あ、本当だ。コンラッドの街が、見えない」
「……」
この若者―まだ今回は我に対して名乗ってはいないが―ハァトは、振り返ると驚きの声を上げていた。そして、その内容から、コンラッドの街が再び再建されていることもわかる。
スキル覚醒前のハァトはエステルの監視により、致死を回避することができる。それはスキル覚醒前に死んでしまっては、彼女の目的を達成できないからなのだろう。それに加えて、この世界に起源を持たないという背景により、我はこのハァトを排除することはできなくなっていた。そして、スキルが覚醒してしまえば、我から行う様々な働きかけは全て、届かないようにされてしまう。
そこまで整理してから、我は再び、コンティニュー・グラインドとオートセーブ・クイックロードを発動した。
次回も来週月曜更新!




