第二話 異世界到来。間合いの取り合い。
いい匂いだ。
うっすらと意識が戻ってきて、最初に思ったことはそれだった。
暖かい陽だまりの中に感じる、やわらかくてのどかな自然の香り。
このまま目を開けずに、ずっとこうしていたいような気持ちになる。何も気にせず、何も考えず、ただただ四肢を伸ばしたまま。
がやがや、と人の声がする。
うるさいな、と思った。もう少しゆっくりさせてくれればいいのに。そんな俺の思いとは反対に、声はだんだんと大きくなってきた。一人の声ではない。どんどん声を上げている人が多くなってきているみたいだ。怒号のような、おびえたような……。
「おい、聞こえないのか!」
突然、足首が凄い力で握られた。俺の意識は一気に覚醒する。
「な、なんだ!?」
身体は危機を感じて、強張った。しかし、目を開けても暗い。何かが顔の上に乗っている。俺はわけもわからずに声を上げるしかなかった。
「おら、引っ張れ!」
先ほどの声が再び、聞こえた。次の瞬間、俺は背中と顔がちくちくとした何かに擦れて、思わず悲鳴を漏らしてしまった。
「なん……っ!? いてててて!!!」
一気に視界が開ける。青い空が見えた。そして、口の中にたくさんの草も入ってきた。そのまま、俺は身体が宙に浮く感覚を覚えた後、地面に投げ出された。
「おおっ!? ぐっ……いったあ!!!」
盛大にお尻を打ち付け、涙目になる。じーんという痺れを逃がすことができず、ただただ俺は身もだえするだけだった。
「おい、お前。どこから入り込んだんだ」
俺の前に、男が立ちはだかった。先ほどから大声を出している者だと、声で分かった。
痛みをようやっと堪えながら顔を上げると、どうやら周りに人だかりができている。そして、自分が干草を積んだ荷車の前に、座り込んでいることも分かった。
チャキ……。
何が起こったか、わからなかった。瞬きを何度かした。そして、今の音は、首元に突きつけられた槍が、刃先と柄のつなぎ目のわずかなズレが立てたものだと理解した。
「答えろ。お前は何者だ」
槍をもった男は低い声で言った。俺はその男が、体に軽装ながらも鎧をまとっており、羽のついた兜を装着していることを認識した。それが分かったときに、俺の口は咄嗟に叫んでいた。
「アァアヤしい者ではございィイませんんん~~~~!!!!!!!!」
目の前の男よりも大きな声を出す。そのことしか考えていなかった。同時に両手を挙げた。しっかりと。肘を90度に曲げ、手のひらを見せて。ついでにできるだけ背筋を伸ばして、胸をそらせた。身体の反応は無意識だった。これで何がどうなる、という算段があるわけでもなかった。ただ、もしこれで信じてもらえないならもうしょうがない、と声を出しながら思った。
沈黙が流れた。
今まであった、人々のざわめきは静まり返っていた。そして、槍を持った男は、戸惑った顔をしながらこちらを見ていた。
「ふう……」
俺は伸ばしていた背筋を元に戻した。別に身体を鍛えていたわけでもないので、ずっとピンと張りつめているのは無理だったのだ。その様子を見ながら、槍の男は無言で槍を構えたままだった。
「それで、ここは貴方の私有地ですか? もしそうだったら、勝手に入ってしまって申し訳ないです」
相手が何も喋らなくなってしまったので、とりあえず何か意識を散らしたいと思った。首に突きつけられた槍が怖くて仕方がなかった。男がくしゃみ等をしたついでに、刃先が突き刺さるなどすればたまったものではない。
それに……。
ここが男の私有地でないことは明確だった。どう見たって街中だ。今いる場所は大通りに面した広場で、中央には噴水も見える。俺を囲んでいる人たちの格好は、それぞれが柔らかで淡い色合いで作られた衣服だった。そんな人たちが大多数を占める中、一人だけ武装したこの男は、街の警備を担当している者だろう。
質問が返ってくる前に、俺は観察した。こうやって返答を待っている間は、危ない目にはあうことはあるまい。相手が返答をするまもなく武器を振り回す輩でなければの話だが。……でも、こっちは丸腰なのだ。相手の方が有利なのだから、相手は余裕を持っているはずだ。
「お前は誰だ。名前を言え」
槍の男改め、俺の見立てでは警備の男は再度口を開いた。
俺は心の中で、ガッツポーズをした。よかった。まだ殺されていない。それどころか自己紹介をさせてもらえるようだ。そうして、口を開こうとしたときだった。
俺は自分の格好と、ここにいる人々の格好の違いに気が付いた。俺は学校の制服だった。明らかに異質なものを着ているように、彼らからは見えているのだろう。おそらく文化が大きく乖離しているのだ。そういえば、ここの人たちは多種多様な髪の色をしている。俺と同じ黒髪もいるにはいるが、服装が似ている者は誰一人としていない。だから、彼らはこちらに怯えているのだろう。
異質なものは、排除したくなるのが人間だ。でもこれは、増えすぎたコオロギの話とは少し違う。許容量をオーバーして淘汰されるのとは違う。異質ではないかという、認識論の話だ。であれば、異質でないと思わせれば良いのだ。
「はい、僕の名前は、羽畑和人です」
はばたかずと、と、しっかりと聞こえるように俺は言った。
周りの者たちは、顔を見合わせている。聞きなれないのだろうか。しかし、これは俺の本名だから仕方がない。むしろ、堂々と言った方がよいだろう。俺の名前は、俺の両親がくれたものだ。それで高校生まで生きてきたんだ。死んだけど。……ああ、両親は悲しんでいるだろうか。……父さん、母さん、俺は今、見知らぬ土地で槍を突き付けてくるおじさんに自己紹介をして元気でやっているよ。まあこの後どうなるかはわからないけれど、とりあえず今は元気だよ。
「あなたは?」
「何?」
「あなたのお名前は?」
「……」
返事はない。別におじさんの名前に興味があったわけではない。しかし、こっちが名乗ったのだから、答えてくれてもいいだろうに、と内心思った。槍を突き付けられていなければ、口に出していたかもしれない。しかし、相手の気分を逆なでするようなことを、今の状況でわざわざすることもないだろう。
「あー……。まあ、答えたくなかったら答えなくて良いですよ。それよりも、あの、俺ちょっと、お昼ご飯食べていなくてですね。よかったら、どこかお店とか、教えてもらえたらなって思っているんですけれど」
ここが重要なポイントだった。俺はここから離れることが許されるのかどうか。
「……」
相手は相変わらず黙ったままだった。
「……そうですか。じゃあ、自分で探すしかないかぁ」
そうやって俺が立とうとして。再び喉元に槍が突きつけられる。冷たくて、硬い。ちょっと刺さっているような気がしないでもないが、たぶん気のせいだ。そうだと思いたい。父さん、母さん、俺は元気でやってないです。
「ちょ……流石に酷くありません? 僕がご飯を食べちゃいけない理由でもあるんですか」
そんな理由があってたまるか、と思いながら質問した。いや、ご飯が相手を捕食するとかなら、理由にはなるか。しかし、今はそれは当てはまらないだろう。そうであってくれ。俺は貴方たちを食べるつもりなんか毛頭ないんだ。米とか、パンとか。そういう穀物由来の、ごく普通の優しい食べ物を食べる生き物なんだ。
「あ、もしかして……。ここは食料難だったりするのでしょうか。それだったら……確かに、あなた方の蓄えにありつこうというのは許されないですよね……」
俺は続けてそう言った。しかし、これも絶対ありえない。俺の目に映る人々みんな、痩せて飢えている様子ではない。ただ、俺の発言に何人かが、ざわめいた。警備のおじさんは相変わらず槍を構えたままだったが、周囲で俺を見ている日焼けした男たちの集団は難しい顔をしながら、互いに目くばせをしていた。
しかし、それだけだった。何かしら、事情はあるのかもしれない。しかし、再びこの場には沈黙が停滞した。
その時だった。
「ちょっと、ねえ、あなたたち。入口のそばでそんなに集まらないでください」
女性の声だった。
俺が振り返る間もなく、誰かが背後から俺の腕をつかんで立たせた。
「おい、ルーシー!」
警備のおじさんが声を上げる。
「ほら、入ってください」
俺は首を動かして、腕をつかんでいる人を見た。俺よりも少しだけ背の高い人だ。正面のおじさんや風景だけをみていたが、俺の背後は少し大きめの建物だった。どうやら、俺たちは、この女の人の言う通り、建物の入り口に集まってしまっていたらしい。
「あ、あの……!」
俺が続きの言葉を開くよりも先に、建物の扉が開かれ、俺は中に連れ込まれてしまった。
次回も月曜日更新です!




