第十七話 異形の正体。
「ム……」
白い奴は俺の前でそう言った。それきり、何も話さなくなった。聞き間違いでなければ、こいつは先に名乗ろうとしたはずだ。しかし、何も言わない。もしや、今放ったくぐもった音が名前なのだろうか。
「名乗らないのか……? それとも、今言った、『む』がお前の名前なのか」
相手が黙ったのは2秒ぐらいの間だった。それだけ沈黙が続けば、気になってしまう。しかし、俺がそのように声をかけても、この白い奴は名乗らなかった。代わりに、ため息のような音を発すると、空を見上げた。
「なんということだ……。ハ……ハ……ハ……。我は自らの名を忘れてしまったようだ」
「……」
白い奴は寒々とした音を出した。俺にはそれが自嘲気味に笑っているようにも思えた。そういう場合は、一緒になって笑ってやる気にはならなかった。
「……それは……なんというか……。悲しいことだな」
「悲しいこと、か……。そうかもしれない……。しかし……自然の摂理でもある」
「自然の摂理? どういうことだ?」
「使わないものは……失われていく。我は長い間、名乗ることも、呼びかけられることも無かったのだ……」
白い奴は淡々と語った。そこに関して、特に感情は伺えない。川が高所から低所に流れるのを目にした時のように、ごく自然に言っているように聞こえた。
「それなら、俺が名乗るとしよう。俺の名前はハァトだ」
「……」
相変わらず白い奴の頭巾の下の顔は分からなかった。しかし、その奥からこちらを注視しているのは感じ取れた。目があるかは確認できなかったが、意識を向けられていることは分かる。
「我に聞きたいことがあるようだったな……。今なら答えてやっても良いぞ……」
「ならお前は一体何者なのか、教えてくれ」
俺は即答していた。
「良いだろう……。名は思い出せずとも、我は自分が何者なのかは答えられる」
「……」
今度は俺が沈黙した。そして、目の前の異形は語りだした。
「我は、昔、この場所にエステルに連れてこられた」
俺は目を見開いた。連れて来られたというのは……もしや俺と同じ……?
「お前の心は読むことが出来ない……。しかし、何を考えているかはわかる。……その通り。我はお前と同じ、別の世界からこの世界にやってきた者だ」
異形は静かに言った。俺は黙ったままだった。まだ、当初の質問には答えをもらっていない。
「そして、我の目的は、この世界で自分が何ができるのか、その全ての可能性を試すことだった……」
「可能性を……試す……?」
「そうだ……。あらゆる可能性だ……。例えば、お前はコンラッドの街を出てきただろう……。しかし、出てこなかったらどうなっていたのか……。また違った人生になっていたかもしれない……。我はそういったことを、任意で体験できる……。記憶をそのままに、な……。望むなら、お前が先ほど我に向けた拳の一発一発に対して、どれを受け、どれを受けないかまで、選ぶことができる」
「そんな……それは……まるで……」
俺の脳内であるキーワードが浮かび上がった。この異形が言ったことに関しては、高校生活時代の自分の体験にも馴染みがある。正しくは、学校ではなく、家に帰ってからだったが。
そして、思い浮かんだ言葉を口にした時、それは異形の発する言葉と、一言一句違わずに重なった。
「「オートセーブ・クイックロード」」
異形は静かに俺を見ていた。表情は相変わらず分からない。しかし、その発する音は、最初に聞いた枯れ木を通り抜けるような寒々としたものではなくなっているような気がした。
「そんな……。まるで、ゲームをするみたいに、自分の人生を、好きなタイミングでやり直すことができるスキルってことか……?」
「その通りだ……。それも回数制限はない。我の人生は自動的に保存され、我がどのような状態になっていても、任意の場面から始めることができる……。これが、我が最初に得た力だ」
「……最初……?」
俺は異形の言葉を聞き返した。確かに、凄いスキルではあるが、俺と対峙した時に使った、あの地面をひび割れさせる力ではない。
不可解に思った俺の心情を知ってか知らずか、異形は腕を前に突き出した。そして、なにやら俺には正確には聞き取れない音を発した。すると、地面が盛り上がり、俺と同じぐらいの背丈の人形になった。顔の部分は丸い土のままであったが、目と口の部分には丸く穴が空いている。そして、鼻は無かった。
「……土人形を作成するのが得意な者に教わった」
「……まさか……」
俺は驚きで頭を殴られたように思った。
「お前、今まで俺の前で起こした様々なことは……そのオートセーブとクイックロードを使って全部、誰かに習ったっていうのか……!?」
「その通り……。我は自分がこの世界で何ができるか、試したかったと言っただろう……。目に入るものは全て試した……。目に入らぬものは、目に入らぬものを感知できるようになってから、試した……。誰かに話しかけるということは、その時間、他の誰かとは話さないということだ……。しかし、我はその両方の体験を選ぶことができた……。もちろん事前に調整をすれば、その両方とも話をすることもできた……」
「だ、だからって、何でもできるわけじゃないだろうっ!」
俺は思わず声を上げていた。
「才能とか、適正とかが、あるはずだ! それに、寿命だって! お前がいかに巻き戻ることが出来たとしても、ある一定の時間から先には行けないはずだ。人間なら、いつか体が衰えて、消化機能や代謝が落ちて、死ぬんだからな。試行回数を繰り返して、成功率を上げたり、機会損失を失くすことができるからといって、全能というわけじゃないだろう!」
俺は怖かった。怖さをなんとか抑えようと、大声を上げていた。意外にも、俺の問いかけに、異形は頷いた。
「そうだな……。全能かどうか、という問いに関しては、我も肯定することはできない……。しかし、お前が想像できないことは、まだまだたくさんある……。これを見てみろ……」
異形の手元の空間が揺らいだかと思うと、そこには一冊の本が握られていた。表紙には俺の読めない文字が書いてあったが、うねうねとそれが動くと、俺が知っている文字になった。『時の大賢者クツロークの日記』と読める。
異形は本を開くと最初の方にあるページを見せてきた。内容はごく普通の日常が書かれていたが、新しい弟子をとったことを喜ぶものだった。続いて、異形は中盤ほどのページを開き、また見せてきた。そこにはその弟子が死亡し、葬式に参列したことが書かれている。そして、異形は日記の最後のページを見せてきた。俺が覗き込むと、弱弱しい字で、日常を綴っているのが分かる。しかし、最後の一文に、死んだはずの弟子が、目の前に現れたことが記載されていた。
「これは……我のことだ。我はクツロークの前で死んだが、再び現れた。クツロークは時を飛び越える魔法を研究していた。我のオートセーブ・クイックロードが彼の研究の助けとなった。我もその時に、クツロークから得たのが、コンティニュー・グラインド……経験や体得したものを、時を飛び越えて引き継ぐことのできるスキルだ。我が死ぬ直前に、このスキルを得ることができた……。以降、我はオートセーブ・クイックロードとコンティニュー・グラインドを組み合わせて、様々な能力を時間をじっくりとかけて開発、体得することができたのだ……」
俺は空いた口が塞がらなかった。確かに、全能ではないかもしれない。しかし、一つだけはっきりしていることがある。俺が残りの寿命を全て使ったとしても、こいつに勝つことだけはできないのだと。
次回も月曜に更新します!




