第十四話 女神との再会。そして提案。
俺は息を止めていた。
視界は真っ暗で、聞こえてくるのは自分の心臓の鼓動だけ。
死んだのか? 息が苦しい。だけど死んだのなら、苦しいこともないはずだ。
しばらくそうしていて、どうしようもなく胸が痛くなった。どうして、胸が痛いんだ? 痛みが来るのなら、背中か頭蓋じゃないのか?
「ぶはっっ!!」
誰の声だ? ……これは……俺の声?
目を見開くと暗い地面が見えた。胸の痛みは消えていて、肺に残された空気が声と共に吐き出され、代わりに新鮮なものと入れ替わっていく。
いつの間にか地面に手を付いていたようだ。冷たい感触が手のひらに伝わってくる。ガラスのようにつるつるとして……。
ここで、俺は自分が膝をついて、手で触れている地面の向こう側に、夜空のような闇と星が見えることに気づいた。
「……あ……?」
思わず顔を上げれば、先ほどまでいた場所ではなく、暗い闇の中に星がちりばめられた空間にいた。頭上にも、体の下にもそれはあり、まるで宇宙に放り出されたようだった。
もう一度手元を見る。硬い感触がそこにはある。透明な床があるようだ。
「いったいここは……」
「和人さーん! 羽畑和人さーん!」
俺の耳に聞いたことのある女性の声が届いた。前に聞いた時からそれほど時間は経っていないはずなのに、もう随分と聞いていなかったような気がする。それから、自分がかつて和人という名前だったことを思い出した。まだハァトと名乗るようになって少ししかたっていないはずなのに、懐かしく感じた。
俺は透明な床に立ち上がった。目に見える確かな床では無かったので、緊張はしたが、呼びかけられた声にはこちらへの親しみが感じられた。そのおかげだろうか。俺も声の主の姿を探そうと、思ったのだ。
「こっちでーす!!」
暗闇の星々の空間の中で、声が聞こえてきた方向に目を凝らすと、少し先に小さな灯りが見えた。そちらの方に一歩一歩、慎重に歩いていく。そうすると、黒い影が見えてきた。椅子と机、そして机の上にある花の形をした小さな照明、そして椅子に座っているのは長身で長い髪を後ろでまとめた人物だ。
「エステル……」
「はーい!」
エステルは銀髪を揺らしながらにこにこと笑顔で返答をしてきた。前回会った時は、浜辺でバカンスを楽しんでいるような格好だったが、今回は長くて紺色のローブに身を包み、同じく紺色のとんがり帽子をかぶっていた。更に、縁が黄緑色の眼鏡をかけている。
「久しぶり……? ……だな?」
俺は彼女を目の前にして色々聞きたいことが出てきていた。ここはどこなのか。俺と対峙していた白い輩は何者なのか。そして、俺に与えられたらしいスキルについても。しかし、口を開いてでてきたのはそんな言葉だった。
「そうですか? ……うーん……まあ、そうかも? ですね?」
エステルの気の抜けたような返答を聞きながら、どうしてか、俺はほっとしていた。直前まで死の危険に晒されていたからかもしれない。彼女を見ていると、今いる場所が安全であるのだろう、と思える。そういえば、白い輩に殴られたことによる痛みも、逆に殴りつけたことによる痛みも、全て消え失せている。
「座って、いいか?」
エステルの傍までくると、俺は空いている椅子を見ながら質問した。エステルは長テーブルの短辺に一席だけ置いてある椅子に腰掛けていた。
「いいですよ!」
エステルは朗らかに笑うと、自分の席に一番近い、長辺の端の席を指さした。俺はそれに腰を掛けると、彼女はさらに口を開いた。
「私と別れてから、どうでした?」
「……」
俺は質問された内容を頭の中で反芻しながら、何と返事をしようかと考えた。自分が考えたこと。感じたこと。誰と、どんな出会いをし、何を聞き、何を思い、そして、街の外に出たこと。どれを話しても、良いだろう。しかし、その全てを話すことは大変だ。それに……。特に話したい、とは思わなかった。話したくないのではないが、聞かれていないのに話したくなるほどのことではなかった。
「色々なことがあったけれど、割と楽しかったぜ。だけど、ここに来る直前に出会った、白い奴だけは、本当に意味不明だった」
「なるほど、なるほど……」
エステルは頷きながら、紙とペンのようなものを取り出すと、それに何かを書き込み始めた。俺に隠すようには書いていないので、内容は覗き込むことが出来る。しかし、書かれている文字は俺には理解できないものだった。
「なあ、エステル……俺はさ、どうなったんだ?」
ぽつり、と俺は呟いた。その言葉を自分の耳で聞いてから、多分、一番聞きたかったことが、これだったのだ、と自覚した。
「……」
エステルは俺の質問を聞いて、ぴたり、と動きを止めた。そうして口をもごもご、と動かした。
「それはですね……そのですね……」
「……やっぱりあの白い奴に殴られて、俺は死んだのか?」
淡々と、俺は質問をした。もし死んでいるとしたら、それで今回は二度目となる。そう考えると、特に感慨深いものではない。
「ええっとですね、ちょっとはっきり言えなくてですね」
「はっきり言えない? それは分からないってことか? それとも分かっていて、俺に気を遣って言わないようにしているってことか? もし気を遣っているのなら、そんなのはいらない。俺に真実を教えて欲しいんだ」
「うう……」
俺は席を立つと、歯切れの悪いエステルに詰め寄っていた。しかしエステルはなおも言い淀んでいる。
そんな彼女の態度に、俺は次第に苛立ちを覚えた。
「分からないなら、分からないって言えよ。そうでないなら、お前は何かを隠しているってことじゃないか。気を遣っているのだとしたら、それは俺自身が不要って言っているんだから、別に良いじゃないか。どうして何も言わないんだ。それとも、女神であるお前でさえ抗えない何かによって口止めされているっていうのかよ」
「うう~……」
エステルはただただうめき声をあげて口をもごもごさせるだけだった。美人なのでそうしている表情も、ギャップがあって可愛いと思えてしまうが、今は関係無い。しかし、これだけ言っても、答えは返ってこないということは、この質問は諦めるしかないようだ。別に彼女を痛めつけてまで聞き出すつもりは無い。
「はあ……ならいいよ。じゃあ、別のことを教えてくれ。……俺はこの後どうなるんだ? このまま一生お前とこの謎の空間でお喋りするだけの存在になるのか?」
「お望みでしたら、それもできますよ! そうしますか!?」
エステルは急に元気を取り戻してそう言った。ただ、それは俺と一緒にいるということを喜んでいるというよりも、答えに窮する質問から逃れられたということに、喜んでいるようだった。
「いいや、聞いてみただけだ。他には?」
俺は冷めた目でエステルを見ながら、他の選択肢を促した。しかし、エステルはまたもや困った顔をすると、もごもごと口を動かした。
「うう~……それはですね……その……何か提示してくれたら、それが出来そうかどうかは判断できるんですけど……」
「……なに? 俺が決めていいのか?」
「それはもちろん! 和人さんの人生ですので!」
「人生ね……少なくとも、俺は二回死んでいるっていうのに、それを決める権利がまだあるなんてな」
エステルの方をちらり、と見ながら、俺は鎌をかけてみた。一回目の死は、高校の図書室で起きているが、二回目の死は定かでは無い。あの白い奴に殴り殺されたかどうかは、エステルは答えなかった。
「うふふ……和人さん、私が口を滑らすのを期待しているんですね! でもだめでーす!」
……こいつ、気が抜けているのだか、そうでないのか、よくわからない。にこにことした笑顔をこちらに向けてくる女神に対して、目を細めながら、俺は自分の試みの失敗を自覚した。
「まあ、死んだ回数については置いておいて……」
「はい!」
「……エステル……あの白い奴、排除できるか?」
次回も来週月曜日に更新しまーす!




