少しのズレは、静かに積もっていく
朝の教室は、いつもより少しだけざわついていた。
「……あれ?」
自分の机の上に、見覚えのない紙切れが置かれている。
開くと、たった一行だけが乱暴に書かれていた。
“身の程をわきまえなさい”
胸がきゅっと縮む。
けれど、誰が置いたのか見当もつかない。
「アイリーン、どうしたの?」
明るい友人 イレーヌ が覗き込む。
私は慌てて紙を隠した。
「う、ううん。なんでもないよ」
「ほんとに? 顔色悪いよ?」
「大丈夫……だと思う」
言いながら、自分でも自信がなかった。
◆不可解な出来事は続く
午前の授業が終わり、私は図書塔へ向かった。
昨日、王子 クリストファー に助けられた場所だ。
階段を上がろうとした瞬間――
「きゃっ!」
足元が滑った。
見ると、階段に透明な油のようなものが塗られている。
「危なっ……!」
後ろから腕が伸び、私の体を支えた。
「おい、気をつけろよ!」
幼馴染の カール だった。
「アイリーン、これ……誰かがわざとやったんじゃないか?」
「そ、そんな……」
否定したかった。
でも、階段に油なんて偶然じゃありえない。
カールは険しい顔で階段を見つめる。
「最近、お前に変なことが起きてないか?」
「……」
私は答えられなかった。
机の上の紙切れのことを思い出してしまったから。
◆心のざわめき
図書塔の窓際で、私は深呼吸をした。
(どうして……?
私、誰かに恨まれるようなこと、したかな)
思い返しても、思い当たる節はない。
ただ、昨日――王子に助けられた。
(まさか、それが原因……?)
そんなはずない、と自分に言い聞かせる。
でも、胸の奥の不安は消えなかった。
そこへ、静かな声がした。
「……また困った顔をしているね」
振り向くと、王子 クリストファー が立っていた。
「殿下……!」
「昨日の階段のこと、気にしていたのか?」
「えっ……どうして……」
「君が転びかけたときの顔、忘れられなくてね。
今日も同じ場所で立ち止まっていたから、気になった」
心臓が跳ねる。
どうしてこの人は、こんなに自然に距離を縮めてくるのだろう。
「アイリーン、何かあったなら言ってほしい。
僕は――君を守りたい」
「ま、守るなんて……そんな……!」
「君は、誰かに狙われている気がする」
その言葉に、背筋が震えた。
「……どうして、そう思うんですか?」
「君の机に置かれていた紙切れ。
あれ、僕が先に見つけたんだ」
「っ……!」
「君を傷つける言葉だった。
だから、僕は――許せない」
クリストファーの瞳は、静かに怒っていた。
その優しさが、逆に胸を締めつける。
(どうして……どうして殿下は、こんな平民の私に……)
言葉が出ない私の前に、別の影が差し込んだ。
「殿下。アイリーンを困らせないでいただけますか」
冷静な声。
宰相の息子 ケビン だ。
「彼女は今、混乱している。
殿下の言葉は、時に重すぎる」
「……ケビン、君はいつも厳しいな」
「事実です」
ケビンは私に向き直る。
「アイリーン。
もし嫌がらせが続くようなら、僕に相談しなさい。
感情ではなく、証拠で守るのが僕の役目です」
その言い方は冷たいようで、どこか安心感があった。
◆
(どうして、こんなに色んな人が私に関わってくるの……?)
カールは心配してくれる。
クリストファー殿下は優しすぎるほど優しい。
ケビンは冷静に助け舟を出してくれる。
でも――
(私はただ、静かに学園生活を送りたいだけなのに)
胸の奥に、言葉にできない不安が渦巻いていた。
そしてその不安は、次の瞬間、現実になる。
図書塔の扉が勢いよく開き、怒りに満ちた声が響いた。
「アイリーン! あなた、殿下に何をしたの!?」
公爵令嬢 エミリア が、真っ赤な顔で私を指さしていた。




