第7章「チュートリアルの外へ…出ない」
スライムたちが出発する朝は、よく晴れていた。
志願兵——という言い方が正しいのかわからないけど——は、形変わりスライム十匹と色つきスライム二十匹の計三十匹。レンガが指揮官で、ホムラとシズクが副官。筋肉スライムのマッスルは突撃隊長に自分から立候補した。立候補の理由は「ふんっ!」だった。議事録に書けない。
テツは辞退した。「たたかうとは なにか、をかんがえる」と言って広場の隅に座っていた。哲学は戦場に向かない。
「みんな、気をつけてね」
広場で見送りをした。スライムたちが整列している。整列というか、わりとぐにゃぐにゃしているけど、本人たちは整列しているつもりらしい。
レンガが一歩前に出て、地面をとんとんと叩いた。
「いってくる。まもる。ひよりの、せかいを」
私は、ここが好きだからここにいる。でもスライムたちは、ここも、ここの外もまとめて、全部守りたいと言った。
この子たちの意思だ。命令もしていない。
止める理由がなかった。なんで私のためにって。そんなことしなくていいよって。思ってても。
「うん。行ってらっしゃい」
三十匹のスライムが、チュートリアルの境界を越えていった。
——私は相変わらずチュートリアルから出ない。
スライムたちが出張している間も、いつも通り朝ごはんを作って、畑の様子を見て、残ったスライムや住民たちと過ごしていた。
天使さんは毎日来てくれたけど、報告の内容がちょっと変わった。いつもの「スライムを倒してください」が消えて、代わりに外の戦況を教えてくれるようになった。
ただ、天使さんがどれだけ大変そうな顔をしても、内容はよくわからなかった。「第三拠点が制圧されました」と言われても私はどこにあるのか知らないし、「勇者の連合軍と合流しました」と言われても連合軍が何人かもわからない。
わかるのは、天使さんの表情が日に日に困惑から驚きに変わっていったことだけだった。
最初の交代組が帰ってきたのは、出発から十日後のことだった。
マッスルが突然、広場の真ん中に飛び出した。
「ふんっ!」
力こぶを作って、何かに向かって突進する動き。——もしかして、戦闘の再現?
レンガが地面をとんとん叩いて、石で陣形を描いた。ここが壁、ここが退路、ここに敵。
「てき。おおきい。つよい。ゆうしゃ、なんども、まけた」
——そんな相手に、うちの子たちが挑んだのか。
「まず、かべ」
茶色いスライムたちが集まって、広場の端に小さな壁を作って見せた。退路を塞ぐ壁の模型。議会で農業用水のルートを議論したあのスライムたちが、今度は戦術的に地形を作ったらしい。
「つぎ、みず」
シズクが地面に少しだけ水を撒いた。足元をぬかるませる。
「つぎ、ゆげ」
ホムラが合図でぽっぽと光って蒸気を再現しようとしたけど、スープの鍋から湯気を借りていた。再現の規模がちっちゃい。
湯気の中からマッスルがびゅんと飛び出して、中ボスの顔面に——代わりに置かれた大きめの石に——タックルした。石がごろんと転がった。
シズクが冷静に解説した。
「おどろく。すきに、あしを、とめた」
レンガが続けた。
「かこむ。うごけない。おわり」
殺さない。傷つけない。ただ動けなくする。壁を作って、水で足を止めて、蒸気で目を塞いで、囲んで詰ませる。
——この子たちの戦い方は、ここでの暮らしそのままだった。議会で鍛えた連携と、誰も犠牲にしない分業。チュートリアル式の戦い方だ。
「なにそれ楽しそう」
「たたかいです!」とユウトくんが横からツッコんだ。
天使さんが頭を抱えていた。
「世界がざわついています」
「ざわつくかなぁ」
「ざわつきます! スライムが中ボスを制圧したんですよ!? 各地の勇者たちから問い合わせが殺到しています! 『あのスライムはなんだ』『どこから来た』『なぜ連携が取れる』——」
「連携は議会で鍛えたからじゃない? あの子たち議論好きだし」
「議会で鍛えた戦術って何ですか?!」
それからも交代組が戻ってくるたびに、新しい再現劇を見せてくれた。どの拠点でも同じやり方——地形を作って、動きを封じて、囲んで詰ませる。暴力じゃなくて工夫。誰も死なない。スライムも敵も。
天使さんいわく、魔王軍の中にも噂が広まっているらしい。
「『チュートリアルに化け物がいる』と」
化け物。うちの子たちが化け物。
ぷるるを見下ろした。相変わらず透明で、相変わらず私の足元にいて、ぷるぷるしている。
「……化け物かなぁ」
ぷるっ。
「だよねぇ」
全然化け物じゃない。お茶を淹れて、議会を開いて、畑を耕して、たまに哲学して、たまに筋トレして。それだけだ。ただ、ちゃんと暮らしていただけ。
暮らしの中で身につけたものが、戦場でも通用した。それだけのことだと思う。
交代組は翌朝、また出発していった。再現劇で使った石を几帳面に元の場所に戻してから。律儀だなスライム。
広場がまた静かになった。
ユウトくんが広場の端に座っていた。スライムたちが文字の練習をしていた地面をぼんやり眺めている。書いた文字は、もう半分消えかけていた。
しばらくして、こっちに来た。
「ひよりさんは行かないんですか。みんな、ひよりさんが来てくれたら心強いんじゃないですか?」
「私が行ってもレベル1だよ?」
「レベルは——」
「それに、帰ってくる場所がないと困るでしょ。ここで待ってるよ」
ユウトくんが何か言いかけて、やめて、笑った。
「……そうですね。じゃあ俺も残ります。ひよりさん一人だと、朝ごはん作りすぎるから」
「作りすぎてない。適量だよ」
「五十人分は適量じゃないです」
まあ、半分は出張中で留守だから、確かに多いかもしれない。
夜。焚き火の前に一人で座っていた。
ユウトくんは小屋に引っ込んだ。テツは広場の隅で「まつとは なにか」と考え込んでいる。残りのスライムたちもそれぞれの寝場所に散って、広場には私と焚き火とぷるるだけだった。
お茶を淹れた。いつも通り。
ほこほこ湯気が上がっていて、ほっとする味だけど、飲む人がいない。
あの子たちが出発する前、みんなが忙しくしてる横でもお茶を淹れていた。誰かが来て、一口飲んで、また戻っていく。それでいいと思ってた。
でも誰もいない焚き火の前でお茶を淹れても、ただ冷めていくだけだ。
——あの子たちのところに行きたいな。
そう思ったけど、ふと胸がつかえたような気がした。
……覚えがあるな、こういうの。上司に「もうちょっと頑張れる?」って聞かれて「無理です」が言えなかったやつ。周りが忙しそうにしてて、自分の手が空くと不安なやつ。
自分で止まれなくなって、そのまま止まったんだった。永久に。
心配だから行きたいのか、ここにいる意味がわからなくなって不安なだけなのか、わからない。わからないから……やっぱり行かない。
……考えすぎると哲学スライムになるな。やめよう。
ぷるるが膝の上に乗ってきた。体が青くなっている。私の気持ちが伝染したんだろう。
「……ごめんね。大丈夫だよ」
ぷるるは青いまま、小さな体を私の手にくっつけた。あったかかった。何も言わない。何もしない。ただ、ここにいる。
答えは出ない。でも、ぷるるの体があったかくて、焚き火がぱちぱち鳴っていて、それでいいかと思った。いいかどうかもわからないけど、少なくとも今夜はこれでいい。
ぷるるの青が、ゆっくり、ピンクに戻っていった。
チュートリアルは静かだ。空には星が出ている。お茶はちょっと冷めた。
でもみんながいないと、ここはなんだか、少しだけ広く感じると思った。




