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第5章「それぞれの進化」

 ある朝、目が覚めたら屋根があった。


 正確には、昨日まで屋根はなかった。草原で焚き火の横に寝るのがずっと日課だった。チュートリアルだから体は汚れないし寒くもないけど、なんとなく落ち着かない。


「屋根あったらいいなぁ」


 また呟いただけ。


 翌朝、レンガと茶色いスライムたちが、土と枝で小屋を建てていた。壁は土スライムの型取りで成形して、赤いスライムの熱で固めた。土器と同じ要領だ。屋根は元姫が枝を組んで葺いていた。


「姫、建築もできるの」


「庶民の暮らしには家が必要でしょう? ——城より居心地がいいのは、ちょっと複雑だけど」


 姫の庶民観はよくわからないけど、手際はすごかった。


 小屋が一つできると、次の日にはもう一つ、その次の日にはもう二つ。スライムたちが作り方を覚えてしまったのだ。一週間後には広場を囲むように小屋が並んでいた。


 住民全員分の家ができた。


 家ができると、暮らしが変わった。


 保存食や道具をしまう場所ができた。夜、焚き火じゃなくて自分の部屋で眠れるようになった。部屋といっても土壁の小屋だけど、前世のワンルームよりは広い。前世の部屋が狭すぎただけかもしれない。


 食事も変わった。


 畑が安定して、水路のおかげで収穫量が増えて、保存食のバリエーションも広がっていた。料理スライムの腕は日に日に上がっていて、最近はスープだけじゃなくて焼き物も作るようになった。


 ある日、料理スライムが薬草と木の実を並べて、じっと眺めていた。何か思いついたけど迷っている顔だ。顔ないけど。


「混ぜて焼いてみる?」


 できあがったのは、なんだかパンケーキみたいなもので、美味しかった。


「これ名前つけたほうがいいよ。スライムケーキとか」


「すらいむ、けーき」


 料理スライムが嬉しそうに跳ねた。新メニューが生まれた瞬間だった。


 木箱のパンはまだ毎日出てくるけど、最近は誰も手をつけない。自分たちで作ったもののほうが美味しいから。


 元商人が在庫表を作り始めた。保存食の種類と量、土器の数、建材の備蓄。


「食料は三ヶ月分の余裕がありますね。外の世界の小さな町より備蓄してますよ、ここ」


「そうなの?」


「商人の目は誤魔化せません。天使さんが教えてくれる外の情報と比べても、ここの暮らしはなかなかのものですよ」


 天使さんの愚痴は住民の間にもじわじわ広がっているらしい。最近の愚痴によると、魔王に立ち向かった勇者がまた一人、冒険を辞めたそうだ。「もう誰も正面から挑もうとしないんですよ」と天使さんがこぼしていたのを、元占い師が「星もそう言ってるわ」と妙な相槌を打っていた。


 暮らしが安定すると、余裕が生まれた。


 余裕が生まれると、スライムたちが変なことを始めた。


 広場の隅で、黄色いスライムが地面に泥で絵を描いていた。体から光を出して、泥の上に影を作っている。光の角度を変えて、影の形を変えて——何を描いているのかはわからないけど、なんだか綺麗だった。


「みた?」


「見たよ。すごいね」


「もっと、つくる」


 黄色いスライムはそれから毎日、広場の壁に泥で絵を描くようになった。


 その隣で、変なものを見つけた。


 スライムが一匹、じっと動かずに座っている。灰色と紫の中間くらいの色。体の形がおかしい。丸くなくて、平べったくて、角がある。


 本の形をしていた。


「……なにこれ」


「われ おもう。ゆえに われ あり」


「哲学!?」


「かんがえた。かんがえすぎた。こうなった」


 考えすぎて本の形になるの、進化として正しいのかどうかわからない。


「えっと……名前は?」


「なまえ。なまえとは なにか」


「じゃあ仮に、ソクラテスとか……」


「それは おもい」


「テツ」


「かるい」


「軽いくらいでいいんだよ」


 テツは不満そうにぱたぱたとページのような体を揺らした。


 近くで見ていた天使さんが、ぼそっと言った。


「……名前というのは、この世界では少し特別な意味があるんですけどね」


「そうなの?」


「いえ——今はいいです。忘れてください」


 忘れてくれと言われても気になるけど、天使さんが話を切り上げたので深追いはしなかった。


 その隣に、もっとおかしなものがいた。丸い体のはずなのに、やけにゴツゴツしている。表面に筋肉の筋が浮いていて、小さな腕の先に力こぶが——


「……ムキムキじゃない?」


「ふんっ!」


 石を毎日持ち上げて筋トレした結果らしい。スライムの体で石を持ち上げるの、物理的にどうなっているのか全然わからない。でも持ち上がっている。


「マッスル、とかどうですか」とユウトくん。


「ふんっ!」


「気に入ったっぽいね」


 絵を描くスライム、哲学するスライム、筋トレするスライム。生きるのに必要なことじゃない。でもお腹が満たされて、屋根があって、水に困らなくて——そうなって初めてできることだ。


 ユウトくんがスライムたちをじっと見ていた。レンガが地面に図を描いて、ホムラがそれを見て、何かを相談している。いつもの光景だ。


「……俺にも何かできないかな」


「教えてみる? 字とか」


「え、俺がですか?」


「うん。前世で学校行ってたんでしょ」


 ユウトくんはスライムたちに字を教え始めた。地面に棒で文字を書いて、スライムたちが真似する。レンガは真面目に練習している。ホムラは飽きてぽっぽと光っている。シズクは「むずかしい」と言いながらも繰り返している。マッスルが力こぶで文字を書こうとしていた。テツは「もじとは なにか」と言って参加を拒否していた。


「ユウトくん、先生みたいだね」


「学校では教わる側だったんですけどね。教えるほうが楽しいかも」


 文字を覚えたスライムたちは、議会の議事録を自分たちで取るようになった。地面に書くから時間が経つと消える。でも記録を残そうとすること自体が大事なのだと思う。


 天使さんがそれを見て、長いこと黙っていた。


「……外の世界では、読み書きができるのは一部の人間だけです。文字を持たない種族もたくさんいる」


「うん」


「スライムが、議事録を書いている」


 その時、空がぱちっと光った。小さく、一瞬だけ。初日にも同じことがあった気がする。


 天使さんが空を見上げていた。


「……今、光りませんでしたか」


「やっぱり光った? 気のせいかと思ってた」


「…………」


 天使さんは何か言いかけて、やめた。お茶を飲み干して、報告書を書いて、帰っていった。いつもより考え込んだ顔をしていた。


 夕方、高台に登って集落を見下ろした。


 小屋が並んでいる。焚き火が何箇所にも灯っている。水路が夕焼けを反射してきらきら光っている。畑がある。広場がある。議場がある。壁に泥の絵がある。


 二ヶ月前は看板と木箱しかなかった草原だ。


「……すごいことになってきたね」


 隣のぷるるに話しかけた。ぷるるは変わらず透明で、変わらず小さくて、変わらず私の隣にいる。


 レンガが図を描いている。ホムラが火を調整している。シズクが水路を見回っている。テツが哲学している。マッスルが石を持ち上げている。みんなそれぞれの場所を見つけた。


 ぷるるは私の足元で、ぷるっと震えた。いつもと同じ。最初の日からずっと、同じ。


「ぷるるは、何か困ってることとかない?」


 ぷるっ。


「やりたいこととか」


 ぷるっ。


「……このままでいい?」


 ぷるるがほんのりピンクに染まった。私の気持ちが伝染したんだろうか。それとも自分の気持ちなんだろうか。


 まあいいか。このままでいいなら、このままで。


「……外の世界、大変なんだって?」


 ぷるっ。


「まあ、うちはうちか」


 夕焼けが綺麗だった。


 前世では夕焼けを見る暇もなかった。定時が日没より遅かったから。


 ここでは毎日見られる。毎日見ても飽きない。

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