第3章「最初の来訪者」
ある朝、空から人が降ってきた。
天使さんじゃない。翼がない。代わりに叫び声が聞こえた。
「うおおおおおおお!?」
草原にどすん、と落ちてきた。受け身もへったくれもない。顔面から着地していた。
——転生者だ。
私もあんな感じだったのだろうか。いや、私は気がついたら寝転がっていたから、もう少し上品だったと信じたい。
起き上がったのは少年だった。高校生くらい。制服を着ている——と思ったけど、あれはシステム支給の初心者装備だ。似たようなものか。短い黒髪で、目がきらきらしていて、いかにも「冒険するぞ」という顔をしている。
少年はきょろきょろ周囲を見回し、看板を読み、拳を握った。
「よっしゃ、異世界転生! スライム倒してレベル上げて、勇者になるぞ!」
元気だなぁ。前世でラノベとか読んでたタイプだ。私の同僚にもいた。
木箱から装備を引っ張り出して、短剣を構えて、意気揚々と草原を歩き始めた。まっすぐスライムを探しに行くあたり、チュートリアルの正しい進み方だ。私がおかしいだけで。
——問題は、この草原がもう「ただのチュートリアル」ではないことだった。
少年がスライムを見つけた。透明な子が三匹、草の上でぼんやり日光浴をしている。
「いたいた! スライム発見! いくぞ——」
短剣を振りかぶった瞬間。
地面が動いた。
正確には、茶色いスライムたちが一斉に集まって壁を作った。少年の前に、腰の高さくらいの土壁がにょきっと現れる。
「え?」
少年が固まった。壁の向こうから、青いスライムがぴょこんと顔を出して——顔はないけど——少年を見た。
次の瞬間、壁の上に赤いスライムが並んだ。ぽっぽと体を光らせている。「こっちには来ないでね」と全身で主張している。
誰に言われたわけでもないのに、スライムたちが仲間を守ろうとしている。
——すごいな、この子たち。
「な、なんだよこれ!? スライムが壁作ってる!?」
少年が別の方向に走った。そっちにもスライムの壁。反対側にも。ぐるりと囲まれて、少年は草原のど真ん中で立ち往生した。
スライムたちが組体操のように積み重なって、壁の高さを上げていく。少年の目線より高くなった。スライム防衛陣形だ。
「えっ、えっ、ちょ、攻略サイトにこんなの載ってなかった!」
攻略サイトがあるのかは知らないけど、載ってなくて当然だ。こんなチュートリアル、世界に一つしかない。
そろそろかわいそうになってきたので、出ていくことにした。
「はいはい、ストップストップ」
スライムの壁に声をかけると、私の前だけぱかっと道ができた。通用口みたいだ。どういう仕組みなのかは聞かない。聞いたら負けな気がする。
壁の中に入ると、少年が短剣を構えたまま立っていた。目が泳いでいる。
「だっ、誰ですか!?」
「私? ここの……なんだろう、住人?」
「住人!? チュートリアルに住人!?」
「うん。ていうか剣降ろしてよ、危ないから」
「あ、すみません」
素直だ。いい子だ。短剣を降ろした少年は、改めて見ると本当にただの男の子だった。緊張で肩がこわばっている。
「あの、ここチュートリアルですよね? スライムを倒して先に進む場所ですよね?」
「そうだよ」
「なんでスライムが城壁作ってるんですか」
「住んでるからかな」
「住んでる」
「私とスライムで。二週間くらい」
少年の表情が「理解が追いつかない」を全力で表現していた。気持ちはわかる。
「——とりあえずさ、ごはん食べない?」
「ごはん?」
「お腹空いてるでしょ。転生したてって空腹にならない? 私はなったよ」
少年のお腹が鳴った。本人が一番びっくりしていた。
スライムの壁が解除されて、少年を広場まで案内した。焚き火の周りにスライムたちがぞろぞろ集まっている。少年は半分怯え、半分驚きながらついてきた。
「これ、スープ。スライムが作ったの」
「スライムが料理するんですか」
「手が生えてきたの、最近。器用だよ」
料理スライムが土器の椀にスープをよそって差し出した。うにょんと伸びた小さな突起で椀を持つ姿は、かなりシュールだ。
少年はおそるおそるスープを受け取って、一口すすった。
「——うまっ」
「でしょ?」
「えっ、すごい。なにこれ。ちゃんと美味しい」
「薬草と木の実ときのこのスープ。素材が限られてるから凝ったものは作れないけどね」
少年がスープを二口、三口、四口と飲んだ。五口目で椀が空になった。料理スライムがすかさずおかわりを差し出した。
「……あの」
「うん?」
「俺、さっきまでスライム倒す気満々だったんですけど」
「うんうん」
「なんか、もう、ここでいいかなって……」
「早くない?」
「スープが美味しかったんで」
判断基準がスープ。清々しいほど単純だ。
「まあ、いてもいいよ。部屋はないけど」
「草原に寝るんですか?」
「私はずっとそうだけど。チュートリアルだから汚れないし、意外と快適だよ」
「へぇ……あ、そういえば俺、名前言ってなかった。ユウトです。高校二年——だったんですけど、死んじゃったみたいで」
「ひよりです。元OL。同じく死んじゃった組。よろしくね、ユウトくん」
「よろしくお願いします。……あの、ひよりさん」
「うん?」
「本当にスライム倒さなくていいんですか」
「いいよ。ここのスライムは住民だから」
「住民」
「名前もあるよ。この赤いのがホムラ、青いのがシズク、茶色い四角いのがレンガ」
「えっ、名前」
「あ、名前つけたのはスライム議会だけど。——議会の話は長くなるから明日にしよう」
ユウトくんが遠い目をした。情報が多すぎたらしい。わかる。
夕方、焚き火を囲んだ。
ユウトくんは結局、スープのおかわりを三回した。料理スライムがちょっと得意げに跳ねていた。
「ひよりさん」
「うん?」
「外の世界、行ってみたいとか思わないんですか。冒険とか、かっこいいこととか」
「んー、前世で冒険する体力は使い果たしちゃったかな。通勤で」
「……俺も、こっちのほうが合ってるかもしれないです」
ユウトくんが火を見ながら言った。
「前世、友達いなかったんですよ。学校では普通にしてたけど、放課後に一緒に帰る人もいなくて。異世界に来たらかっこよくなれるかなって、ラノベみたいに勇者になれるかなって思って、ちょっと張り切ってたんですけど」
「うん」
「でもスライムが壁作って守ってくれて、スープ出してもらって、名前教えてもらって——なんか、そういうのでいいなって」
ぷるるが、ユウトくんのそばにぽてっと転がった。ユウトくんの膝にくっついている。普段は私のそばから離れないのに、珍しい。
ユウトくんがそっとぷるるに触れた。
「あったかい」
「でしょ」
ぷるるがほんのりピンクになった。
住民第一号、着任。
翌日、天使さんがやってきて、ユウトくんを見て固まった。
「……なぜ転生者が二人いるんですか」
「住むことにしたんだって」
「スライムを倒していない転生者が二人!? 外では魔王が暴れているのに、ここでは呑気にスープを——報告書が——報告書が大変なことに——」
「ユウトくん、天使さんだよ。天界の中間管理職。たまに外の世界の愚痴を言う」
「うおっ、イケメン!」
「ですから私の名前は——いえ、もういいです」
天使さんが諦めの境地に達しつつある顔をしていた。中間管理職は世界が変わっても大変らしい。ちょっとだけ、前世の上司に同情した。ちょっとだけ。




