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第2章「スライム、増える」

 チュートリアル生活三日目。


 地味に気になっていたことがある。三日間同じ服で草原に寝泊まりしているのに、汗もかかないし、服も汚れない。髪だってべたつかない。前世なら一日でアウトだった。


 チュートリアルだから、ということなんだろうか? 不都合はないから、深く考えないことにした。深く考えなくていいの、最高。


 そして私は、三日目にして重大な事実に気づいた。


 ぷるるが増えた。


 正確には、ぷるるが仲間を連れてきた。朝起きたら、焚き火の周りに透明なのが五匹いた。全員無色透明で、全員ぷるぷるしている。


「……ぷるる、この子たちは?」


 ぷるぷる(友達)。


「友達? 友達を連れてきたの?」


 ぷるぷる(そう)。


 会話が成立しているかは正直怪しい。でもぷるるが嬉しそうにぽよんぽよんしているから、たぶん合ってる。


「えーと、いらっしゃい?」


 五匹がいっせいにぷるっと震えた。挨拶を返されたっぽい。


 翌日には十匹になっていた。その翌日には二十匹。ネズミ算ならぬスライム算で増えていく。草原のあちこちに透明なのがぷるぷるしている光景は、綺麗なんだか不思議なんだかよくわからない。


 困ったのは食事だ。


 スライムが何を食べるのかそもそも知らなかった。観察してみると、草の露を吸ったり、日光を浴びてぼーっとしたりしている。光合成? スライムって光合成するの?


「まあ、餓死しないならいいか」


 問題はむしろ私のほうだった。木箱には毎朝パンと水が補充される。ありがたいけど、三日間同じ味のパンはさすがにきついよ。固くて、素朴で、味がほぼない。社食の日替わりランチが恋しい。あれも大概だったけど、日替わりだっただけマシだった。


「お湯が沸かせたらなぁ」


 焚き火の前でぼんやり呟いた。お湯さえあれば薬草をお茶にできる。お茶になれば苦くても風味ということにできる。人間の味覚は気分で七割変わる。前世の上司が言ってた。あの人にしては唯一まともな発言だった。


 でもお湯を沸かすには器がいる。器はない。パンと水は出てくるくせに、鍋は出てこない。5分で通過する場所に鍋を置く理由がないから当然だけど。


「器がないんだよねぇ……」


 ぼやいた、だけだった。本当にただのぼやき。


 翌朝。


 焚き火の前に、何かがあった。


 土の塊——いや、器だ。いびつで、歪んでいて、左右非対称で、お世辞にも綺麗とは言えない。でも器の形をしている。


 そばに茶色いスライムがいた。体の表面が乾いていて、ちょっとしぼんでいる。疲れているように見えた。


「……もしかして、これ作ったの?」


 ぷるっ(そう)。


 茶色いスライムが誇らしげに——たぶん誇らしげに——震えた。


 後で別のスライムに聞いた——聞いたというか、身振りで理解した——ところによると、こういうことらしい。茶茶色いスライムが丸く座って、周りの泥を他のスライムたちがぺたぺた塗りつけた。泥が乾いたところで、茶色いのがぬるっと縮んで抜けた。


「ぬるっと抜けたの?」


 ぷるっ(ぬるっと)。


「大丈夫だった? 痛くない?」


 ぷるるっ(ちょっと疲れただけ)。


 犠牲ゼロの陶芸。すごいなスライム。


 器を焚き火で焼いてみた。火の近くにいた赤いスライム——いつの間にか赤くなっていた——が、焚き火をじっと見ていた。火に興味があるらしい。


「火加減、やってみる?」


 赤いスライムがぽっぽと光って、焚き火に近づいた。なぜか火加減を調整できている。なんでできるのかは謎だけど、本人が楽しそうだからいいことにした。


 できあがった土器は、相変わらずいびつだった。でも水を入れても漏れなかった。


「やった。やったよぷるる。鍋だよ」


 ぷるるがピンク色にぽよんぽよん跳ねた。


 お湯を沸かした。薬草を入れた。


 ——お茶だ。


 異世界初のお茶。味はちょっと苦い。でも器から作ったお湯で淹れたお茶だ。前世のオフィスの給湯室で飲んだインスタントコーヒーより、ずっといい。


「天使さんにも飲ませたいな」


 言ったそばから、天使さんが降りてきた。毎日来る。律儀な天使だ。


「おはようございます。今日こそスライムを——」


「お茶飲む?」


「——倒して……お茶?」


「淹れたの。飲んで飲んで」


 土器のカップを差し出した。天使さんが困惑しながら受け取った。一口飲んで、目を丸くした。


「……意外と、美味しいですね」


「でしょ」


「いえ、美味しいかどうかではなく——どうやってお茶を? ここに茶器はないはずですが」


「スライムと作った」


「スライムと」


「うん。土のスライムが型になって、火のスライムが焼いてくれた」


 天使さんが土器をまじまじと見た。それからスライムたちを見た。それから私を見た。


「……あなたは、チュートリアルで文明を興すつもりですか」


「そんな大げさなものじゃないよ。お茶が飲みたかっただけ」


「お茶のために陶芸を発明しないでください」


「発明したのはスライムだよ。私はお湯が欲しいって言っただけ」


 天使さんが深いため息をついた。最近この人のため息に慣れてきてしまった。


「……報告書に何と書けばいいんでしょうか」


「『進捗:お茶』でいいんじゃない?」


「よくないです」


 天使さんがお茶を飲み干した。文句を言いながらちゃんと飲み干すあたり、この人は根がいい人だ。


「……外の世界では、魔王と呼ばれる存在が暴れていましてね。それに立ち向かう勇者たちも人手不足で。なのにここでは転生者がお茶を淹れている」


「美味しかったでしょ」


「美味しかったですけどそういう話じゃなくて!」


 天使さんの愚痴だった。魔王。勇者。なんだかすごい単語が出てきたけど、私には関係ない。お茶が美味しいほうが大事だ。


「それで、スライムが明らかに増えていますが」


「うん。毎日増えてる」


「何匹いるんですか」


「えーと……三十? 四十? 数えてない」


「数えてください。報告書に何匹と書けばいいんですか」


「無理だよ、みんな似てるし。あ、でも最近色が変わってきた子がいるの。ほら、あの赤いのと、あの青いの」


 天使さんが赤いスライムと青いスライムを見て、さらに眉間のしわが深くなった。


「……色が変わるのは、スライムの進化の兆候です」


「進化するんだ! すごいね」


「そういうことではありません。チュートリアルのスライムが進化した前例はないんですよ」


「でもレベルは1のままでしょ? じゃあ別にいいじゃん」


「レベルの問題ではありません。私の報告書がもう三枚に——」


「書類仕事大変だねぇ。前世を思い出すよ」


「あなたのせいです」


 ひどい。私は何もしていない。お湯が欲しいと言って、お茶を淹れただけだ。


 それから数日が経った。


 天使さんは毎日来た。毎日「スライムを倒してください」と言って、毎日お茶を飲んで、毎日ため息をついて帰っていった。もはや日課だ。


 スライムたちにも変化が出てきた。ある朝、赤いのと青いのと茶色いのを中心に、透明な子たちがぐるりと円を描いているのを見かけた。何かの会議みたいだ。


 赤いスライムがぽよんと跳ねて、焚き火のほうを向いた。青いスライムがぷるっと震えて、井戸——正確にはスライムたちが掘った浅い水溜め——のほうを向いた。茶色いスライムが、地面をとんとん叩いた。


 相談しているのだ。今日は誰が何をするか。


 私は何も言っていない。「やれ」とも「こうしろ」とも言っていない。お湯が欲しいと呟いただけ。スライムたちが勝手に考えて、勝手に動いて、勝手に役割を見つけている。


「——なんか、会社みたい」


 いや違う。会社は上から降ってきた仕事を片付ける場所だった。ここのスライムたちは、自分で仕事を作っている。全然違う。こっちのほうがずっといい。


「ぷるるはどうする? 何かやりたいことある?」


 足元のぷるるに聞いてみた。


 ぷるるは透明なまま、ぷるっと震えた。何もしない。私の隣にいるだけ。


「うん、それもいいよね」


 それもいい。全員が何かの役割を持つ必要なんてない。そばにいるだけでいい子だっている。


 夕方、焚き火を囲んでお茶を飲んだ。


 スライムたちはお茶を飲まない(飲めない)けど、焚き火の周りに集まるのは好きらしい。火の近くに赤いの、水溜めの近くに青いの、地面の上に茶色いの。それぞれ居心地のいい場所に散らばって、でもなんとなく輪になっている。


 三十匹か四十匹か数えていないスライムと、一人の元OLと、いびつな土器の鍋。


 集落、と呼ぶにはあまりにもささやかだった。


 でもまあ——始まりなんて、だいたいこんなものだと思う。


「明日は何しようかなぁ」


 誰に言うでもなく呟いた。


 スライムたちが一斉にぷるっと震えた。それがなんだかおかしくて、笑った。ぷるるがピンクになった。


 チュートリアル生活、一週間。たぶん順調。たぶん。


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