第97話 野営の火――迫る風切り
王都の北西にそびえる、険しい山脈。
国家機密、大結晶を隠すその領域には、強力な隠蔽結界や、自然を利用した悪辣なトラップが幾重にも張り巡らされていた。
だが、一行の行軍は極めて静かで、かつ迅速だった。
「右前方、魔力の淀みがあります。迂回を」
最後尾から、ミレアの静かな声が飛ぶ。彼女の探知が罠の起点を完璧に暴き出していた。
「ああ、風の流れも不自然だ。足元に気をつけな」
前衛を歩くラグが、槍の柄を肩に担いだまま同意する。風の違和感から異常を察知する彼の感覚と、ミレアの観測の連携は、不可視の死地においてこれ以上ない道標となっていた。
夜の帳が下りる頃、岩陰に身を潜め、小さな野営の火を熾す。
明日の決戦を前にした、束の間の休息。だが、そこに油断や無駄な諍いは一切なかった。
「元・最高幹部殿。大結晶の防衛戦力について、想定はついているか」
カインが、揺れる炎越しにルクスへとフラットな声で尋ねる。
「詳細は秘匿されている。だが、施設の重要度を考えれば、私と同等以上の力を持つかつての同胞と刃を交えることになるだろう」
ルクスの静かな、しかし確かな覚悟を帯びた返答。七騎士レベルの戦力が待ち受けているという現実に、場にピンと張り詰めた空気が漂う。
「相手が誰だろうと、関係ない」
アルトが、与えられた新しい防具の留め金を強く握りしめた。
「過去に変えられなかったものはある。でも、これ以上、誰かの命が理不尽に奪われるのを見過ごす気はない」
かつて、目の前で守れなかった命。その重い記憶を乗り越えようとするアルトの言葉に、ユークも無言で深く頷く。
大義と使命。そして贖罪。
それぞれの重い決意が交錯する中、少し離れた岩に背を預けていたレインが、不意に大きな欠伸を漏らした。
「正義だの使命だの、重苦しくて面倒だな」
手ぶらのまま、夜空を見上げて気怠げに呟く。
「俺は、そんな立派な理由で動く気はない」
「……レイン?」
リュシアが不思議そうに首を傾げる。レインは視線を下ろし、燃える焚き火を真っ直ぐに見つめた。
「ただ、あいつらの勝手な都合で、俺の周りの人間が素材扱いされるってのが、どうにも気に食わない。だから、あいつらが踏ん反り返ってる前提ごとブッ壊す。俺の理由はそれだけだ」
世界のためでも、大義のためでもない。
ただ、自分の手の届く範囲の理不尽を、自身のルールで叩き潰す。
誰が定めた常識だろうと知ったことではない。理屈も魔法も意に介さない彼らしい、どこまでもエゴイスティックでブレないスタンス。
その言葉に、ルクスもカインも、毒気を抜かれたように微かに口角を上げた。過剰な緊張が解け、一行の意思が自然と一つに収束していく。
「……さて、火を消すぞ。明日に備え――」
ディオルが立ち上がろうとした、その時だった。
見張りに立っていたラグの顔から、ふっと余裕が消え去った。
同時に、ミレアが弾かれたように夜の闇へ顔を向ける。
「来ます。異常な速度です!」
警告と同時だった。
気配も、魔力の予兆も一切ない。
ただ、極限まで圧縮された暴力的なまでの風が、木々を薙ぎ倒しながら野営地へと肉薄してくる。
超高速の不可視の刺客。
七騎士、風切りのシオンが、一切の慈悲なく一行の背後へ迫っていた。




