第98話 不可視の刃――観測者たちの限界
警告と同時だった。
気配も、魔力の予兆も一切ない。
ただ、極限まで圧縮された暴力的なまでの風が、木々を薙ぎ倒しながら野営地へと肉薄してくる。
「っ……『クレイウォール』!」
前衛のユークが咄嗟に片手剣を地面に突き立て、土属性の中級魔法を展開する。
分厚い岩の防御壁が隆起した。だが、それすらも紙屑のように粉砕される。
速度という絶対的な質量を乗せた一撃が、防御の要を容易くぶち破ったのだ。
「ぐぁっ……!?」
破片と共に吹き飛ばされるユーク。
「展開しろ、『レイバインド』」
ルクスが光の魔力で即席の障壁を構築し、同時にディオルが長年の経験と勘だけで剣を振り抜く。
暗闇の中で、不可視の刃と剣が衝突し、激しい火花が散る。
元・国家の最高戦力である二人の連携によって、辛うじて致命傷だけは防いでいた。
だが、完全に防戦一方だった。
相手は七騎士、風切りのシオン。
その超高速の移動は、常人の動体視力では残像すら捉えられない。
「くそっ。俺の無効化能力は、対象の魔器を明確に認識しなきゃ発動しねぇんだよ」
カインが、苛立ちに任せて舌打ちをする。
どれほど強力な能力を持っていようと、的を視認できなければただの的だ。
「ならば、私が」
イリスが『ブラインド』で一帯の視界を闇に沈め、自らも影へと溶け込む。
彼女の冷徹な分析眼が、空気を切り裂く微かな音から敵の構造を理解していく。
(空気抵抗がない。あのブーツの魔器は、自身にかかる摩擦をゼロにして加速している)
理屈は分かった。
イリスはシオンが旋回する死角を先読みし、闇の衝撃波『アビスブレイク』を放つ。
完璧なタイミングのカウンター。
しかし、シオンは空中で無理やり軌道を変え、闇の衝撃を紙一重で躱してみせた。
「っ……!」
反撃の隙すら与えない速度。すれ違いざまに不可視の蹴りがイリスの腹部を捉え、彼女の小さな体が地面へと叩きつけられる。
「いい観測だ。だが、物理的な反応速度がまるで足りていない」
四方八方の木々を反射するように飛び回りながら、シオンの嘲笑うような声が森に谺する。
「お前たちをここで全滅させるつもりはない。大結晶へ向かう足を止め、血と魔力を削り続ける。それが私の任務だ」
七騎士という圧倒的な格。そして、組織としての冷徹な戦術。
アルトが雷を纏って睨みつけるが、捉えるべき敵の姿はない。
「まずは一人、確実に戦闘不能にする」
シオンの殺気が、態勢を崩したユークへと向けられた。
ミレアの観測も、ラグの感知も追いつかない、最高速の突撃。
誰もが間に合わないと絶望した、その瞬間。
壁際で気怠げにしていたレインが、面倒くさそうに一歩前へと歩み出た。
「速すぎて見えねぇなら、見る必要なんてねぇだろ」
相手の姿を捉えようとするから、認識が遅れる。
敵の攻撃が物理的な近接攻撃である以上、最終的に必ず自分のパーソナルスペースへと干渉してくる。
ならば、敵ではなく、自分の周囲の空間だけを認識していればいい。
「勝手に通り過ぎな」
一切の構えもせず、レインはただ、自身の空間の前提を書き換えた。




