第92話 理不尽の流転
圧倒的な熱量と、凍てつくような冷気。
通路を二分する極限の圧力が、ルクスとアルトを確実に削っていた。
「逃げ回るだけのネズミが! その程度で我々に勝てると思ったか!」
ヴァルガが吠え、周囲の空気が灼熱に歪む。
頭上に顕現したのは、極限まで圧縮された太陽のような炎の球体。
上級魔法『インフェルノブレイカー』。
広範囲を焼き尽くす爆炎を、あえて閉鎖空間に収束させた必殺の一撃。
「逃がしません」
セリスの冷徹な声が響く。
足元を覆っていた水流が突如として壁と天井を這い上がり、アルトたちの退路を完全に塞ぐ巨大な檻へと変貌した。
「ダメ、完全に塞がれた! 安全圏がない!」
後方で観測を続けるミレアが悲痛な声を上げる。
逃げ場のない水の牢獄。
そこに放たれる、回避不能の極大魔法。
「終わりだ、反逆者ども!」
ヴァルガが腕を振り下ろす。
通路のすべてを飲み込む爆炎の津波が、二人に迫る。
防ぐことも避けることも不可能な、絶対の終焉。
――その時だった。
「熱いな。少し頭を冷やせ」
気怠げな声と共に、レインがゆっくりと前衛に歩み出た。
手ぶらのまま。構えすら取らない。
目の前に迫る業火の壁を見据え、ただ虚空に向かって右手を払った。
彼が見ていたのは、炎の熱量ではない。
自分たちを焼き尽くすという、魔法に与えられた軌道と目的地。その関係性そのものだった。
直後、一行を飲み込むはずだった極大の爆炎が、見えない巨大な壁に弾かれたように不自然な直角カーブを描いた。
レインが炎の軌道をズラし、別の方向へと流したのだ。
「なっ……!?」
ヴァルガが驚愕に目を見開く。
レインが炎の矛先を空間ごと繋ぎ合わせた先。そこには、セリスが展開していた逃げ場を塞ぐための水の檻があった。
極大の炎と、絶対の拘束水。
二つの魔法が、放った本人たちの全く意図しない形で正面衝突を果たす。
密閉空間で大量の水が限界を超えた熱量に触れた結果起こるのは、純粋な物理現象だった。
鼓膜を叩き潰すような、大質量の衝突音。
凄まじい水蒸気爆発が通路を吹き荒れる。
逃げ場を失っていたのは、レインたちではない。放った魔法を同士討ちさせられたヴァルガとセリスの方だった。
高温の蒸気と暴風が双璧を直撃し、二人の体が為す術もなく壁へと吹き飛ばされる。
「今だ、アルト!」
ルクスが叫び、光の刃で蒸気の壁を斬り裂いて道を作る。
その道を、赤紫の雷を極限まで纏ったアルトが疾走した。
「これで、終わりだッ!」
度重なる回避によって威力を限界まで蓄積し続けた『スパークコンプレッション』。
その全魔力を乗せた拳が、体勢を崩したヴァルガの腹部に深々と突き刺さった。
視界を白く染め上げる閃光。
遅れて、空気を切り裂くような雷鳴の咆哮が轟く。
防壁の魔力ごとすべてを貫く一撃を受け、七騎士の双璧が、ついに暗い石畳の上へと崩れ落ちた。




