第89話 特級の檻――例外の解錠
地下牢獄の最下層、その最奥。
冷気に包まれた空間に、二つの頑丈な鉄格子が鎮座していた。
一つの檻の中には、無数の鎖に繋がれた若い男。
もう一つには、全身に深い傷を負いながらも、静かに胡座をかくディオル・セインの姿があった。
「まさか、お前がここへ来るとはな」
ディオルが薄く目を開き、一行の中にいるルクスを見据える。
かつて王国最強と謳われた老兵の視線を受け、ルクスは静かに首を振った。
「国が定める完璧な正義は、すでに死にました。私はこれから、私自身の光に従う」
明確な反逆の意志。それを聞いたディオルは、痛む頬を歪めて不敵に笑った。
「感動の再会は後にしよう。厄介なことになっている」
クラウスが忌々しげに、もう一つの檻を睨みつける。
鎖に繋がれた青年を囲むように、極めて高密度な純粋魔法の結界が張られていた。
「なぜ異能者の檻に魔器を使わない」
「俺の力が異能と魔器を殺すからさ。だが、発動は自動じゃない。俺の意志で引き起こすものだ」
青年が自嘲気味に笑う。
「それに、俺の力は普通の魔法には効果がない。だから国は、ただの分厚い鉄格子と高位の結界で俺を繋いだ。笑えるだろ」
アルトが一歩踏み込み、拳に赤紫色の雷光を纏わせる。
強烈な雷撃が結界を叩き打つが、表面で光が弾け飛ぶだけで、傷一つ付かない。
クラウスが展開した人工魔法陣も、結界の表面で無惨に霧散した。
「無駄だ。それは極めて強固な多重封印術式。特級の攻撃魔法ですら破ることは不可能だ」
ルクスの言葉に、重苦しい空気が漂う。
魔器が使えない青年にとって、純粋な魔法と物理の牢獄は、絶対に越えられない壁だった。
「なるほどな。なら、話は早い」
重い空気を切り裂くように、レインが気怠げに前へ出る。
結界を魔法で打ち消そうとはしなかった。ただ、虚空に向かって右手を伸ばす。
結界を構成する魔力の流れ。空間との繋がり。
レインの瞳は、その結界が世界と噛み合っている関係性の構造を正確に捉えていた。
無造作に腕を引く。
空間そのものが悲鳴を上げるような、軋み音が響き渡った。
直後、絶対に破れないはずの高密度魔法結界が、古い布切れのように構造ごと引きちぎられた。
その余波で、青年を閉じ込めていた強固な鉄格子すらも根本からひしゃげ、通路へと吹き飛ぶ。
青年が驚愕に目を見開いた。
「おいおい。俺の能力も使わず、魔法で相殺したわけでもない。結界を、素手で引きちぎっただと」
「邪魔だったから、退かしただけだ」
レインは事実だけを端的に返し、そのままディオルの檻へと振り返る。
虚空を掴み、軽く指を弾く。ただそれだけで、ディオルを縛る無数の鎖と鉄格子の接触判定が空間からズレた。
重い金属音と共に、堅牢な戒めのすべてが床に崩れ落ちる。
背後で、鎖から解放された青年が面白そうに喉を鳴らした。
「はっ、規格外にも程があるな。俺はカインだ。助かったぜ、例外のあんた」
「まったく出鱈目な力だな」
ディオルも苦笑しながら立ち上がる。
ついに、全ての目的が果たされた。
だがその直後、最下層全体を揺るがすような警報音が鳴り響いた。
結界の消失を、国側が完全に検知したのだ。
通路の奥から、重武装の特務看守たちが無数に殺到してくる。彼らの手には、異能者を素材にして作られた装備型の魔器が握られていた。
アルトが拳を握り込み、ルクスが光の魔力で刃を形成しようと身構えた、その時。
「助けてもらった礼だ。お前らは少し休んでな」
カインが、ゆっくりと一歩前に出る。
右手を開き、静かに指を鳴らした。
特務看守たちが構えていた魔器の刃から、一斉に光が失われる。
内部の魔力が沈黙し、武具としての機能が死滅する。国家の誇る強力な魔器が、ただの重い鉄くずへと変わった瞬間だった。
絶対の優位性を失い、看守たちの足が止まる。
反逆者たちによる、王都地下牢獄からの強行脱出戦が幕を開けた。




