第86話 最下層の狂気――反逆の海図
光すらも届かない、王都地下牢獄の最下層。
冷たい石の床に這いつくばるようにして、ディオル・セインは幾重もの太い鎖に繋がれていた。七騎士の双璧から受けたダメージは深く、全身から流れる血が石畳を黒く染めている。
暗闇に、静かな足音が響いた。
鉄格子越しに現れたのは、この陰惨な場所には不釣り合いなほど、穏やかで整った身なりをした男だった。
「酷い怪我ですね。先々代殿」
学園長、コルセア・フェルド。
ディオルは血の混じる唾を吐き捨て、鋭い眼光で男を睨みつけた。
「白々しい真似はやめろ、フェルド。いや、今は学園長殿と呼ぶべきか」
先々代騎士団長と、先代騎士団長。
かつての世界大戦を終わらせた二人の英雄が、鉄格子を挟んで対峙していた。
「大戦を終わらせるためだと、俺はお前の生み出した兵器の存在に目を瞑った。だが、その中身が同胞の命だったとはな。お前はどこまで狂っている」
ディオルが忌々しげに吐き捨てる。騎士団の力となる魔器。その素材が、生きた異能者であるという真実。
だが、コルセアの穏やかな表情は一切崩れない。
「再現できないものを理解し、支配する。それこそが、真の平和と秩序への道です。無秩序な力は、資源として正しく管理されなければならない。私はこの国を、ひいては世界を完璧な形へと導いているのですよ」
揺るぎない、冷酷な支配者の思想。
「そういえば最近、私の庭に実に興味深い生徒が現れましてね」
コルセアがふと、思い出したように語る。
「レイン・ヴェリス。彼の力は再現不能であり、実に観察価値がある。いずれ必ず、私の秩序の中に組み込みましょう」
ディオルは内心で舌打ちをした。
(レイン、もうこいつの目に留まったか)
だが、その焦りを微塵も見せず、傷だらけの顔で不敵な笑みをこぼす。
「なら、せいぜい絶望に備えておくんだな。お前の狂った理屈で作られた安い秩序になんて、絶対に収まらない例外は必ず現れる」
コルセアは小さく息を吐き、冷たい目をした。
「老兵の妄言ですね。そこでゆっくりと、世界の完成を見届けてください」
足音が遠ざかり、最下層は再び重い静寂と暗闇に包まれた。
ディオルが痛む体を動かそうとした、その時だった。
「随分と威勢のいい爺さんだな。あの化け物を前にして、よく笑える」
隣の檻から、鎖が擦れる音と共に声が響いた。
若く、どこか飄々とした男の声。
ディオルは目を細める。彼こそが、この最下層に厳重に封じられている、魔器と異能を無力化する特級異能者だった。
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同じ頃、レジスタンスが用意した臨時の隠れ家。
大きな机の上に広げられた白紙の羊皮紙に、ミレアが猛烈な勢いでペンを走らせていた。
研ぎ澄まされた彼女の感覚は、遠く離れた王都地下牢獄の構造、看守の数、巡回ルート、そして見えない魔力センサーの配置に至るまで、そのすべてを脳内に完全に描き出していた。
「これで、地下三階までの構造と警備配置はすべてです」
ミレアがペンを置き、小さく息をつく。
完成したのは、国家の最高機密であるはずの牢獄の、完璧な見取り図だった。
「素晴らしい。これだけの情報があれば、十分すぎる」
クラウスが目を輝かせ、即座に見取り図の上に幾重もの人工魔法陣を展開していく。
光の屈折を利用した視覚の偽装。音の遮断。それらを看守の巡回タイミングと秒単位ですり合わせ、絶対に見つからない潜入ルートを構築していく。
「地下三階までは、僕の魔法陣による偽装と、ミレアのリアルタイム探知で完全にすり抜けられる。問題は、その先だ」
クラウスが地図の奥深く、最下層へ続くゲートを指差した。
「ここには、物理的な超重量の鍵と、高度な接触探知の魔力障壁が張られている。こればかりは、僕の魔法陣でも騙し切れない」
「なら、そこは俺がやる」
壁に寄りかかっていたレインが、静かに口を開いた。
接触の判定。鍵の構造。それらがどれほど強固であろうと、関係性をズラしてしまえば存在しないも同じだ。
「ミレアの目で道を見つけ、クラウスの頭脳で欺き、レインが壁を壊す。完璧な作戦だな」
アルトが拳を打ち合わせ、獰猛な笑みを浮かべる。
狙うは、敵の総本山。
反逆者たちによる、前代未聞の王都地下牢獄強襲作戦が幕を開けようとしていた。




