第81話 虚空の球体
装甲の内側、生身の腹部へと直接叩き込まれた衝撃に、ガドラムの巨体が大きくよろめいた。兜の隙間から溢れた鮮血が床に滴り、鉄の焦げるような臭いの中に生々しい鉄の香りが混じる。
だが、七騎士の一角を担う男の闘志は、その一撃で折れるほど脆くはなかった。
「なるほど。小細工ではなく、理を組み替えたか。貴様、ただの学生ではないな」
ガドラムは低く、地鳴りのような声で漏らす。折れかけた膝を強引に跳ね上げ、再び巨大な盾を床へと叩きつけた。
その瞬間、先ほどとは比較にならないほどの漆黒の魔力が、盾の結晶から溢れ出した。
重力。それはもはや領域を制圧するための圧ではなく、触れたもの全てを無に帰すための破壊的な引力へと変質していた。
中枢車両の鋼鉄の床が飴細工のように丸まり、天井の鉄板は重圧に耐えきれず次々と剥がれ落ちていく。列車そのものが断末魔を上げるような激しい軋み音が響き渡り、アルトたちは立っていることさえ許されず、再び床へと押し付けられた。
ガドラムが全魔力を注ぎ込んだ、最大出力の重力場。
だが、その中心で、レインは倒れることなく右手を天にかざしていた。
「まだ、足りない」
レインは自らにかかる絶大な重圧を、そのまま自らの力へと転化させていた。
周囲に渦巻く重い事象の波を、一滴も逃さぬように指先へと集約させる。空間を歪ませ、引き寄せ、逃げ場を失うほどに一点へと詰め込む。
レインの指先で、異常な光景が展開された。
あまりに強大な重力エネルギーが極小の領域に押し込められたことで、そこにあるはずの光が歪み、吸い込まれ、完全な闇へと塗り潰されたのだ。
そこに現れたのは、直径数センチほどの漆黒の球体だった。
光さえも届かず、反射もせず、ただ周囲の物質を際限なく飲み込もうとする世界の穴。この場にいる誰も、その現象の正体を知らない。だが、その漆黒の球体が放つ異質さに、ガドラムですら本能的な戦慄を覚えた。
「消えろ」
レインがその漆黒の球体を、無造作に放り投げた。
速度はない。だが、球体が描く軌道上の空気は吸い込まれるように歪み、空間そのものが削り取られていく。
ガドラムは咄嗟に、王国が誇る最強の盾を正面に構え、持てる全ての魔力を防御装甲へと注ぎ込んだ。絶対に砕けぬはずの盾の魔器、そしてそれを覆う幾重もの土の障壁。
しかし、その絶大なる守護すらも、虚空の球体の前では無意味だった。
球体が盾に触れた瞬間、衝撃音さえも発生しなかった。
ただ、まばゆい火花が散ったかと思った次の瞬間には、ガドラムが誇る巨大な盾の半分が、そして彼の肩を覆っていた分厚い装甲の一部が、巨大な獣に食いちぎられたかのように跡形もなく消失していた。
「我が盾が、消えた、というのか」
理解を超えた事象に、ガドラムの声が震える。
漆黒の球体は、盾と装甲の大部分を飲み込み、その存在を消滅させたところで限界を迎え、ふっと露のように霧散した。
魔器としての機能を完全に失った盾の残骸が、重い音を立てて床に転がる。
同時に、車両を支配していた狂気的な重力もまた、霧散するように消え去った。
重圧から解放されたアルトたちが、大きく息を吐きながら顔を上げる。
その視線の先には、絶対の防御を誇る装甲を無惨に剥ぎ取られ、生身の肉体を晒したガドラムの姿があった。
だが、彼は崩れ落ちなかった。残った装甲を自ら引き剥がし、折れた盾の柄を投げ捨てると、岩山のような拳を構え直す。
魔器に頼らぬ、剥き出しの闘志。
不動と呼ばれた騎士の真の強さを証明するかのような重圧が、今度はその肉体から放たれ始めていた。




