第80話 崩れぬ盾への穿孔
中枢車両を支配する異常な重力は、もはや単なる足止めや制圧といった生易しいものではなかった。
目に見えない巨大なプレス機のように、空間そのものを上下から圧縮し、領域内にいる者の命を容赦なくすり潰しにかかる圧殺の檻だった。
「が、は……っ、ぐ」
床に叩きつけられたアルトの口から、苦悶の血が漏れる。リュシアの強化魔法を受けている彼の強靭な肉体をもってしても、全身の骨が悲鳴を上げ、立ち上がることはおろか指一本動かすことすらできない。
後衛にいるミレアやリュシアは息をすることすら困難になり、ユークが辛うじて隆起させようとした岩の防壁も、形を成す前に自重に耐えきれず粉々に砕け散っていく。
列車の分厚い鋼鉄の床が、彼らの身体の形に合わせてひしゃげていく。
その光景の中央で、不動ガドラムは巨大な盾を床に突き立てたまま岩山のように立ちはだかっていた。
「抗うな。我が領域に踏み入った時点で、貴様らの生殺与奪は既に我が手の中にある」
兜の奥から響く、感情の読めない重い声。
だが、その絶対的な死の重圧の中にあって、ただ一人、顔を上げている者がいた。
「空間が、随分と歪んでいるな」
レインは自身の全身の血管が浮き上がり、肉体がミシミシと軋むのを感じながらも、その平坦な瞳に一切の絶望を浮かべてはいなかった。
思考は、極限状態の中で極めて冷静に目の前の事象を分析していた。
(重力。引き寄せる力、あるいは上から押し潰す力。現象としては厄介だが、結局のところ、それは空間の歪みに過ぎない)
レインは震える右手を、強引に床から引き剥がした。
かつて炎獄ヴァルガと対峙した際、彼は広範囲に広がる炎の熱量を自身の前に一点集中させた。その原理を、今度は目に見えない重さへと応用する。
(空間の歪みなら、俺の力でいじれない理由はない)
レインが目の前の虚空へと右手をかざす。
直後、彼の指先を中心に、空気が不自然な渦を巻き始めた。車両全体に均一にかかっていた凄まじい重圧のベクトルが強引に書き換えられ、一箇所へと引き寄せられていく。
「……何をしている」
ガドラムの声に、初めて微かな疑問が混じる。
その言葉と同時に、アルトたちの身体を縛り付けていた不可視の鎖が、嘘のように消え去った。レインが周囲の重力を自身の前に集約させたことによる、副次的な作用。
重力から解放されたアルトが、弾かれたように立ち上がり、大きく酸素を吸い込んだ。
「重力が自慢なら、自分自身で味わってみろ」
レインは、目前の空間に極限まで圧縮された重力の塊を、ガドラムへと真正面から解き放った。
それは不可視の巨大な鉄球にも等しい、規格外の質量攻撃だった。
さしもの不動の騎士も、自身の放った重力エネルギーを凝縮して叩きつけられては耐えきれない。分厚い装甲に凄まじい衝撃が走り、ガドラムの巨体が大きく体勢を崩して後退する。
その反動で床に突き立てられていた巨大な盾がズレ、魔器による重力空間の制御が完全に途切れた。
「今だ! 畳み掛けろ!」
ユークの叫びを合図に、死線を越えた仲間たちの反撃が爆発した。
ラグが圧縮した暴風の刃を死角から放ち、ユークが床から鋭利な岩槍を連続で突き上げてガドラムの足元を崩す。体勢を崩している巨漢の胸元へ、イリスの鋭い刺突と、アルトの雷を纏った正拳突きが同時に叩き込まれた。
怒涛の波状攻撃。ガドラムはたまらず片膝をつき、その不動の姿勢を大きく崩す。
だが、どれほどの猛攻を浴びてもなお、彼を覆う分厚い土の魔力装甲には僅かなひびすら入っていない。魔器の力が途切れても、騎士自身の魔法による絶対的な硬度は健在だった。
(外側がどれだけ硬かろうと、関係ない)
ガドラムの体勢が崩れたその決定的な隙に、レインが肉薄する。
彼は、ルクスの極光すらもすり抜けさせたあの不可解な力を、攻撃の軌道やエネルギーに対してではなく、目の前にある分厚い装甲そのものへと適用した。
レインが放った右拳は、絶対に砕けないはずの土の装甲にぶつかることなく、まるでそこには最初から何もないかのように完全に通り抜け、その内側にあるガドラムの生身の腹部へと、一切の減衰なく深くねじ込まれた。
「なっ……!?」
ガドラムが初めて驚愕に目を見開く。
重い打撃音が、装甲の内側でくぐもって響く。
ガドラムの巨体が激しく痙攣し、兜の隙間から鮮血が吐き出された。
分厚い壁に守られた七騎士の絶対的な防御が、初めて内部から打ち破られた瞬間だった。




