第72話 萌芽する予知――騎士の意地
叩きつけられた壁から、アルトがよろめきながら立ち上がる。
すかさずリュシアが後方から治癒の魔法を飛ばし、彼の痛みを和らげた。
ルクスは追撃を急がなかった。ただ静かに剣を構え、一切の隙のない構えで反逆者たちを見据えている。
だが、その圧倒的な実力差は、一行の心に重い絶望をのしかからせていた。
「速すぎる……。軌道が分かっていても、身体が追いつかねえ」
アルトが額の血を拭いながら唸る。
レインの干渉能力をもってしても、ルクスの速度と手数の前では後手に回らざるを得ない。このまま消耗戦を続ければ、遠からず全滅するのは明白だった。
「ミレア」
レインが、目を閉じている少女に短く声をかけた。
「奴が動く前に教えろ。俺たちが合わせる」
それは無茶な要求だった。相手の予備動作を見てからでは間に合わないからこそ、動く前に意図を察知しろというのだ。
だが、ミレアは否定しなかった。
深く息を吸い込み、自身の探知の精度を、脳の血管が焼き切れるほどの極限まで引き上げた。
暗闇の中で、ルクスの体内を巡る膨大な光の魔力が、精密な図面となって脳内に浮かび上がる。
筋肉の収縮、魔力回路の流動、視線の動き。
それらすべての情報を並列処理した瞬間。ミレアの脳裏に、ノイズのような奇妙な映像がフラッシュバックした。
それは、ルクスが左へ踏み込み、下段から剣を跳ね上げる、数秒先の幻影だった。
(見えた)
能力の限界を超えた先で掴み取った、未知の感覚。だが間違いなく、事象の予測だった。
「左へ踏み込みます! 下からの斬撃!」
ミレアが鋭く叫ぶ。
声が響き渡るのと同時に、ルクスの身体がブレる。ミレアの言葉通りの軌道で、白銀の剣が死角から跳ね上がった。
「ユーク!」
「分かってる!」
事前に軌道を知っていたユークが、ルクスの剣の延長線上に分厚い岩の壁を隆起させる。
岩壁は光の魔力を纏った刃によって容易く両断されたが、ルクスの剣速がほんの僅かに鈍った。
そこに、ラグが圧縮した暴風の塊を叩きつける。
ルクスは体勢を崩すことなく風を剣で弾き飛ばすが、その一瞬の防御の隙こそが、レインたちの狙いだった。
「捕まえた」
風の余波に紛れて肉薄していたレインが、ルクスの右腕の空間に手をかざす。
直接触れる必要はない。ルクスの腕の動きそのものを、空間的に数センチだけ強引にズラす。
流麗だった騎士の剣筋が、初めて不自然に歪んだ。
ルクスの体勢が僅かに前のめりに崩れる。その胸元のど真ん中、完全に無防備となった空間へ、待ち構えていたアルトが全身のバネを解放して飛び込んだ。
「これで……ッ!」
リュシアの強化魔法と、アルト自身の魔力を極限まで一点に集中させた、渾身の右正拳突き。雷光が拳の周囲で白く弾ける。
重い打撃音が地下施設に響き渡る。
白銀の甲冑に巨大なひびが走り、ルクスの身体が後方へと大きく吹き飛んだ。
ルクスは空中で体勢を立て直そうとしたが、予想外の威力に耐えきれず、激しい金属音と共に床を滑り、片膝をついた。
静寂が落ちる。
王国最高戦力である七騎士が、反逆者たちの前で初めて膝を屈した瞬間だった。
「見事だ」
ルクスがゆっくりと立ち上がり、ひび割れた胸当てに触れる。
その顔に怒りはなかった。あるのは、眼前の若者たちを討ち果たすべき強敵として認めた、純粋な騎士としての眼差しだった。
「私の太刀筋を完全に先読みし、一切の淀みなく連携を繋ぐとは。どれほどの死線を潜り抜ければ、それほどの絆が結べるのか」
ルクスが、深く息を吐き出す。
彼はカプセルの並ぶ部屋の奥へ一度だけ視線を向けると、目を伏せた。
「この忌まわしいシステムの中で、私は極力、この魔器の力を使うまいと誓っていた。だが、お前たちには出し惜しみは通用しないらしい」
ルクスが手にした長剣の柄。そこに埋め込まれた透明な結晶が、脈打つように禍々しい光を放ち始める。
彼が魔器の封印を解いた。
「王国の剣として、私のすべてをもってお前たちの正義を断ち切ろう」
長剣の刀身がまばゆい光に包まれ、次の瞬間、すべてを消滅させる巨大な光の刃へと変貌を遂げた。
地下の空気が、異常な熱量によってジリジリと焦げ始めている。




