第70話 狂気の設計図――理論の構築者
濁った液体の中、半身を結晶に変えられて眠る若者。
その姿を前にして、リュシアが弾かれたように前へ出た。
「今すぐ出さないと。私が治します」
両手に純白の光が灯る。だが、その光がカプセルのガラスに触れるより早く、クラウスが強く彼女の肩を掴んだ。
「やめろ、リュシア。君の魔法でも彼らは元には戻せない」
「どうしてですか。まだ心臓は動いて――」
「肉体の欠損や病気じゃないんだ。これは、肉体という物質そのものの変換だ。強制的に解呪を行えば、結晶化した肉体が耐えきれずに砕け散る」
クラウスの揺るぎない宣告に、リュシアの手から光がこぼれ落ちる。
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ。このまま見殺しにするってのか」
アルトが激昂し、分厚い鉄の壁を拳で殴りつけた。鈍い音が響くが、その痛みすら今の彼には何の慰めにもならない。
「感情で動くな」
静寂を切り裂いたのは、レインの平坦な声だった。
培養槽の列に一瞥もくれず、部屋の中央に鎮座する巨大な管理コンソールを指差す。
「目の前の人間を助けても、システムが残っている限り何も変わらない。クラウス、ここのデータを抜け。全部だ」
「ああ、分かっている」
クラウスがコンソールに歩み寄り、自身の魔力を流し込んで端末のロックを解除する。
空中にいくつもの魔力光のパネルが浮かび上がり、そこに無数の文字や数値が高速で羅列されていった。
「酷いものだ。素体番号、年齢、結晶化効率、抽出される魔力属性の適合率。人間の命を、完全に武器の部品として数値化している」
クラウスの独白に、ユークが吐き気を堪えるように顔を背ける。
だが、データを読み進めていたクラウスの指が、ふと空中でピタリと止まった。
「嘘だろ」
信じられないものを見たような掠れた声が漏れる。
「どうした、クラウス」
「この人体結晶化システムの基盤となっている、魔力圧縮の論文データだ。その基礎理論構築者の欄に、知っている名前がある」
クラウスが振り返り、重々しい口調で告げた。
「僕たちの学園の長、コルセアだ」
その名に、全員が息を呑んだ。
いつも飄々としていた、あの掴みどころのない学園長。彼が、この悍ましい人間工場の生みの親だというのか。
「あのおっさんが、これを!?」
ラグが信じられないというように声を荒らげる。だが、クラウスは冷静に首を横に振った。
「待て。論文の日付は数十年も前、世界大戦の頃のものだ。彼が魔器の技術で国を勝利に導いたのは事実だが、彼自身はあくまで純粋な技術者としての側面が強いはずだ。この非道な量産施設を現在進行形で運用し、異能者を狩り集めているのは、間違いなく現在の中央上層部だ」
直接の黒幕とはまだ断定できない。だが、この国の根幹が、コルセアの生み出した理論の上に成り立っていることだけは確実だった。
「データは全部抜いた。本局の通信網も物理的に切断する。これでこの施設は――」
クラウスが作業を終えようとした、その時。
通路の入り口を警戒していたミレアが、突如として顔面を蒼白にさせ、その場に膝をついた。
「ミレア!?」
リュシアが駆け寄るが、ミレアはガタガタと震える手で、地上へと続く階段の方角を指差した。
「来ます。私たちの痕跡を追って、地上の入り口から、何かが降りてきます」
彼女の探知が捉えたのは、先ほどの騎士団とは比較にならない、絶対的な異常。
「さっきの増援じゃありません。たった一人ですが、魔力反応の質が、密度が、規格外すぎます……ッ」
ミレアが警告を発した直後。
冷たい鉄の通路の奥から、静かで、しかし等間隔の重い足音が響き始めた。
コツ、コツ、コツ。
足音と共に流れ込んでくるのは、肌を刺すような圧倒的なプレッシャー。
その気配に、アルトの顔色が変わる。彼にはその魔力の波長に覚えがあった。かつて憧れ、目標としていた、国の最高戦力の気配。
「……七騎士」
暗闇の奥から、銀色の甲冑が姿を現した。
国家の剣にして、絶対の正義を体現する男。七騎士が一人、光刃ルクス。
反逆者たちを追撃してきた最強の刺客が、ついに地下施設へとその足を踏み入れた。




