第59話 触れられぬ絶望ーー空を斬る拳
アルトが石畳を蹴った。
雷を脚に収束させた、鋭い踏み込み。狙うのはガルグの顔面。
だが、ガルグは避けない。薄ら笑いを浮かべたまま、無造作に左腕を掲げた。
拳が命中する。
その瞬間、アルトの視界が白く飛んだ。
殴りつけたはずの右腕から、異様な感触が伝わる。筋肉が引き裂かれる感触。骨にヒビが入る振動。激痛が一拍遅れて脳を焼く。
アルトは体勢を崩し、膝をついた。右腕がひきつったように震えている。
(俺の攻撃が、俺自身を壊した)
血を吐きながら顔を上げるアルトを見下ろし、ガルグは腰の魔器を叩いた。
「理解できないか。俺の周囲には極小の振動の層が張られている。俺に触れれば、その衝撃はお前の肉体を粉砕する」
近接しか持たないアルトにとって、それは極めて絶望的な相性だった。
「お前が俺を殴るたび、お前自身が自滅していく。底辺の異能者一匹のために、ご苦労なことだ」
容赦のない蹴りがアルトの腹部を捉える。体が床を転がり、壁に激突した。
薄れゆく意識の中、脳裏に過去の光景が蘇る。
幼い自分を庇い、血の海に沈んだ背中。
(あの時は、手が届かなかった)
アルトは激痛を放つ右腕を庇いながら、ゆっくりと立ち上がった。
その瞳に絶望はない。
「まだ、終わってない」
左拳を強く握り込む。全身の魔力回路を強制的に開いた。
「『スパークコンプレッション』」
黄金の雷光が、再びアルトを包み込む。
「馬鹿の一つ覚えか。何度やっても同じだぞ」
ガルグが迎撃の構えをとる。
アルトが地を蹴った。先制の左ストレート。ガルグは腕を交差させ、振動の層で受け止めようとする。
だが。
アルトの拳は、ガルグに触れる数ミリ手前で軌道を変えた。
意図的な空振り。拳が空を切り、風圧だけが頬を撫でる。
「恐怖で狙いがブレたか」
ガルグが嘲笑う。
アルトは無言で連撃を繰り出した。蹴り、肘打ち、裏拳。そのすべてが、当たる寸前で空を斬る。
一度、二度、三度。
回避されるたびに、雷は蓄積される。それがアルトの魔法が持つ絶対の法則だった。
空振りを繰り返すごとに、雷光が異常な密度へと膨れ上がっていく。黄金色だった光が、極限まで圧縮されて白く染まる。
周囲の石畳が、雷の余波だけで融解し始めていた。
ガルグの顔から、ついに笑みが消えた。




