第57話 境界の夜――静かなる侵入
夜風が冷たさを増していた。
北方第三関所。巨大な石造りの城壁が、闇夜の中で黒々とした威容を誇っている。
城壁から少し離れた岩陰で、ラグが目を閉じていた。彼の周囲だけ、微かに空気の流れが違う。風属性の知覚拡張。空気の淀みから、異常を読み取る。
「見えた」
ラグが薄く目を開け、低い声で告げる。
「壁の上の巡回は四人。ただし、等間隔じゃない。東側の塔の下だけ、風の抜け方が不自然だ。感知型のトラップが張られてる」
「妥当な配置だ」
クラウスが冷静に言う。
「人の目を減らし、術式で補う。だが、描かれた魔法陣ならば構造は計算できる。トラップの正確な位置と範囲は」
「塔の真下から半径十メートル。魔力を帯びたものが触れれば鳴る」
クラウスは懐から小さなガラス瓶を取り出した。中に青光りする液体が揺れている。
「術式の魔力回路をショートさせる。猶予は十秒だ」
「行くぞ」
クラウスの合図とともに、影が走る。月が雲に隠れた瞬間だった。
クラウスが指先で魔力を練る。石壁に刻まれた魔法陣の結節点に向け、無音の水弾が放たれた。
微かな蒸発音。青白い光を放っていたトラップの輪郭が、一瞬だけブレて消えた。
「今だ」
ラグが風を纏い、足音一つ立てずに壁に張り付く。ユークとイリスがそれに続く。アルトが最後尾を固める。
レインは歩くような足取りで、しかし誰よりも速くその空間をすり抜けた。
クラウスが心の中でカウントを終えるのと同時に、全員が城壁の内側、物資搬入用の倉庫の影へと滑り込んだ。直後、背後でトラップの光が復旧する。
「外殻は抜けたな」
ユークが息を吐き出す。
だがここはまだ入り口に過ぎない。巨大な関所の内部には、冷たい人工的な光が点在し、重厚な鉄の扉が幾重にも連なっている。
「ラグ、中の気配は」
「最悪だ」
ラグの顔から、いつもの軽さが消えていた。
「風が通らない。地下へ向かうほど空気が重くて、血の匂いがする。それと、とびきり嫌な魔力の塊が一つ、最深部に居座りやがってる」
レインは倉庫の影から立ち上がり、地下へと続く重厚な扉を見据えた。
「案内しろ。一番早いルートで」
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地下へ続く階段は、冷たい石造りだった。等間隔に配置された魔力灯が、青白い光で通路を照らしている。
「止まれ。何者だ」
角を曲がった先。巡回中の兵士四人と鉢合わせた。その手には魔器が握られている。
「侵入者だ! 鳴らせ!」
その声が通路の奥へ届くことはなかった。
「させない」
ユークが前に出た。床を強く踏み込む。
『ストーングレイブ』
兵士たちの足元の石畳が隆起し、岩の柱が突き上がる。体勢が崩れ、視線が下へ向く。
その瞬間、イリスが動いた。
『ブラインド』
闇属性の魔法が兵士たちの視界を黒く塗り潰す。混乱が広がるよりも早く、短剣の刃が閃く。鎧の隙間、首元。意識を刈り取るための最小の動き。
一人、二人、三人。次々と石の床へ崩れ落ちる。
「……処理完了」
最後の一人をユークが柄で打ち据え、通路に静寂が戻った。
「助かった」
「ここからが本番よ」
イリスは短剣をしまい、再び闇に身を隠す。
レインは倒れた兵士たちを一瞥することなく歩みを進めた。
「急ぐぞ」
地下のさらに深部から、嫌な魔力の気配が濃くなっていく。




