第56話 反撃――託されたもの
静寂が、丘を支配していた。
空に消えた青白い光の残滓だけが、そこにあったはずの存在を証明している。
アルトは膝をついたまま、自らの拳を見つめていた。指先は熱で焼け、微かに震えている。
(動けなかった)
幼い頃から叩き込まれた格闘術と、その誇り。だが本物の力を前にして、それは文字通り届かなかった。肉体の痛みよりも深く、その事実が彼を苛んでいた。
「ミレア!」
静寂を切り裂いて、一人の女性が駆け寄ってきた。ミレアの母親だった。彼女は丘の上で娘の姿がないことに気づき、その場に崩れ落ちた。
「あの子が……連れて行かれたのね。また、あの力のために」
レインが反応した。
「また、とは」
「あの子が視るものは……この国にとって、あってはならないものだったのよ」
母親は震える声で語った。かつて彼女たちが住んでいた村は、騎士団によって滅ぼされた。ミレアが持つ、あらゆる事象を精緻に把握し先の結果を導き出す力が、原因だった。
「あの子を助けて。お願い」
その言葉が夜の空気に溶けていく。重苦しい沈黙の中、クラウスが口を開いた。
「ヴァルガは、ミレアに拘束魔法をかけていなかった。そのまま連れ去ったんだ」
「それがどうした。どこに連れて行かれたかも分からないのに」
ラグが苛立ちを吐き出す。だがクラウスは首を振った。
「逆だ。拘束もせず、あれほどの力を持つものをいきなり本部へ入れるはずがない。組織として、リスクが高すぎる」
アルトが顔を上げた。騎士の家系として育ち、騎士団の内部規程を耳にしてきた彼の中に、一つの仮説が浮かぶ。
「まずは近くの拠点で、魔力の封印処理を行うはずだ。ここから北に十キロ、北方第三関所がある。検疫と封印の設備が整っている」
一度は折れかけた瞳に、かすかな光が宿る。
「関所での処理が終われば、護送車に入れられて王都へ消える。そうなれば、二度と手は届かない」
「行くしかないな」
レインが立ち上がった。敗北の影はない。次になすべきことだけを見据えている。
「待って。これを持って行って」
母親が家の中から数本の瓶を持ってきた。
「あの子が作った回復薬と魔力活性薬よ。万が一に備えて手元に残していたもの」
レインはそれを受け取り、迷わず口に含んだ。喉を焼くような苦味とともに、霧散しかけていた力が内側から呼び覚まされていく。
「行こう。連れ戻す」
アルトたちが立ち上がる。
夜の帳が降りる中、一行は北へと走り出した。




