第53話 予兆――熱の気配
家の裏手から続く緩やかな斜面を抜けると、視界が開けた。
丘の上。遮るものがない。足元には銀色の草地が広がり、遠くに城下町の輪郭が霞んでいる。
「ここ、一番よく見えるから」
ミレアが丘の端で立ち止まった。
ラグとユークたちは少し離れた場所で警戒に当たっている。今ここには、レインとミレアの二人だけだ。
風が吹き抜ける。ラベンダー色の髪が、レインの視界を横切った。
「何が見えるんだ」
ミレアはしばらく答えなかった。ただじっと、世界を見つめている。
「繋がってる線が、全部」
ぽつりと呟く。
「風がどこから来て、どこへ行くか。明日、どの花が咲くか。誰が、どこで消えるか」
淡々とした声だった。感情が乗っていない分、かえって重かった。
「疲れないか」
ミレアが、少し驚いたようにレインを見た。
「視えすぎるのは、いいことばかりじゃないだろ」
「少し、ね。でも止まらないから。視ないふりは、できない」
少しだけ目を細めて、ミレアはレインの手元に視線を落とした。
「あなたも、そうでしょ。誰も気づかない場所で、少しだけ世界を外して歩いてる」
レインは否定しなかった。
「さっきの時、あなたのズレが私の線と重なった。あんな感覚、初めてだった」
ミレアの声に、わずかな熱が宿る。
「私の視る世界に、あなたが介入する。そうすると、重かった線が少しだけ軽くなる気がする」
風が止んだ。
そのときだった。
ミレアの肩が、びくりと震えた。
「熱い」
「ミレア?」
彼女の瞳から色が消えた。薄紫の瞳が急速に濁り、深い闇を映し出すように淀む。
「何かが来る。嫌な、熱。全部を焼き切るみたいな、どろどろした線」
ミレアが自分の腕を抱くようにして震え出した。
レインも、同時に感じ取った。
(何だ、これは)
周囲の空気は変わらない。魔力の揺らぎもない。だが、自分の感覚が、かつてないほど激しく波打っている。世界に無理やり火を押し付けたような、異質な感触だ。
「ラグ! ユーク!」
鋭く呼ぶ。離れていた二人が即座に反応し、ラグが軽槍を構える。ユークが剣を引き抜く。
「どうした!」
「来る。普通じゃないものが」
レインはミレアを背にかばい、森の奥を見据えた。
鳥の声が止んでいた。虫の音もない。不気味な静寂。
次の瞬間、空気が歪んだ。
視界の端、空間そのものが熱で溶けたように揺らぎ、そこから一つの影が歩み出てくる。
全身を包む、深紅の重装甲。背に担いだ巨大な大剣。その全身から溢れているのは魔力による炎ではない。存在そのものを焼き尽くすような、どす黒い熱だ。
(人か。いや)
形は人だ。でも、その中身が違う。ただ「火」という役割だけを押し付けられたような、空虚な塊。
「火の、騎士」
ミレアの震える声に応えるように、騎士がゆっくりと剣を抜く。
その瞬間、草原一面が熱波に呑み込まれた。
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