第52話 訪問――日常と過去
森を抜け、視界が開けた先にその家はあった。
古い石造りの小さな平屋。
壁には蔦が這い、庭先には手入れの行き届いた薬草園が広がっている。
「……ここ」
ミレアが足を止めた。
ラグが軽槍を肩に担ぎ直し、感心したように声を漏らす。
「へぇ、結構まともな家だな。もっと隠れ里みたいな場所かと思ったぜ」
「そんな大げさなものじゃないよ」
ミレアは淡々と返し、古びた扉を押し開けた。
家の中は、濃密な薬草の香りに満ちていた。
乾燥させた葉、煮出した液体の匂い。それらが混ざり合い、奇妙に落ち着く空間を作っている。
「母さん、ただいま」
部屋の奥。
椅子に腰掛け、刺繍をしていた女性がゆっくりと顔を上げた。
ミレアと同じラベンダー色の髪。少し顔色は優れないが、その瞳には確かな生気がある。
「おかえり、ミレア。……あら、お友達?」
「……うん。少し手伝ってもらった。学園の人たち」
ミレアの言葉に、レインたちは軽く会釈をする。
ユークは騎士らしい礼儀正しさで、クラウスは棚に並ぶ瓶を値踏みするように、イリスは相変わらず無言で親子を観察していた。
「少し、待ってて。すぐに薬、仕上げるから」
ミレアはそう言うと、作業場に立った。
そこからの彼女の動きは、先ほどの採取以上に異常だった。
秤を使わず、目分量で薬草を千切り、沸騰した鍋に投入していく。
「おい、そんな適当で大丈夫なのか?」
ラグが心配そうに覗き込むが、ミレアの手は止まらない。
だが、レインには見えていた。
(……いや、違う)
彼女は適当にやっているのではない。
湯気の中に溶け出す成分、色の変化、そして「完成までの線」が見えている。
一滴の狂いもないタイミングで火を止め、ろ過する。
数分後。
透き通った琥珀色の液体が、小さな瓶に満たされた。
「……できた。飲んで」
ミレアはそれを母親に手渡す。
女性は一口ずつ、慈しむようにそれを飲み干した。
「……ありがとう。本当に、この子には助けられてばかりで。あの日、あんなことがあったのに、この子が薬を視つけてくれなければ、私は今頃……」
あの日。
母親の言葉に、ミレアの動きがわずかに止まった。
「……昔、村が襲われたんだ。何者かに」
ミレアが、感情を削ぎ落としたような声で言った。
「火が放たれて、全部壊されて……逃げる途中で、母さんは深い傷を負った。毒も回ってた。誰も、治し方が分からなかった」
彼女の視線が、わずかに遠くなる。
「だから、視ることにした。どこが悪いのか。どうすれば治るのか。そうしたら……見えた。理屈は分からないけど、助かるための線が」
略奪と蹂躙の過去。
理不尽に奪われる世界の中で、たった一つ、母親という「真実」を繋ぎ止めるために、彼女は世界の構造を視るしかなかったのだ。
その言葉は、レインの心に重く響いた。
(……同じだ)
レインは自らの手を見つめる。
自分も、生きるために「外す」しかなかった。
「……レイン?」
不意に、ミレアと視線が交差する。
彼女は、何かを見透かしたような目でレインを見つめていた。
「あなたも……知ってるんだね。理不尽に、書き換えられる感覚」
明言はしない。
だが、確信に近い共鳴。
レインは一瞬だけ口を開きかけ、そして短く答えた。
「……かもしれないな」
沈黙。
だが、それは不快なものではなかった。
学園という偽りの序列の中にいた彼らにとって、この小さな家で見せた「守るための力」は、あまりに重く、そして静かだった。
風が窓を叩く。
ミレアは再び作業に戻り、レインはそれを見守る。
日常の中に潜む、壊れた理。
その欠片が、今、一つに繋がろうとしていた。




