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第77話 ラブコメの王道中の王道のイベント

2月13日……夜。

いつもなら、とっくに布団に潜り込んでいる時間。

だが、今の俺はというと、リア充の恒例ビッグイベントのためにキッチンに立ち、せっせと作業をしていた。


チーンッ!


「お、焼けた」


オーブンから取り出した天板には、こんがりと良い色に焼き上がったクッキーが並んでいる。


「よし……! これでやっと、友達用の『友チョコ』代わりのクッキーは完成……! さて、ここからが本番……翔の分のチョコ作りかぁ」


俺はボウルに刻んだチョコレートを入れ、慎重に湯煎にかけ始めた。

とろとろと溶けていく甘い匂いが、キッチンに広がっていく。


「バレンタイン、かぁ……。非リアだった俺が、まさかこんなイベントに本格参戦する日が来るなんて、一年前は想像もしてなかったな」


ヘラでチョコをゆっくりと混ぜながら、思わずため息が漏れる。


「しかし……『もらう側』じゃなくて『渡す側』か。とほほ…」


そ、そりゃあ一応、俺は今、翔の『彼女』なのだ

これくらいの手間を惜しんではいけない。

ふと我に返り、エプロン姿でチョコをかき混ぜている自分を客観視する。


それにしても……俺もずいぶん、『女性』としての自分を自認するようになったなぁ……

いや、厳密には翔からもっといい『女』に見られたい…って感じかな?

あ〜……メス落ちってこんな気付かずに訪れるものなのか

でも、女の気持ちもわかってき出したから…まぁいいっか!

俺は翔のために、夜な夜な甘いチョコレートを作り続けた。




翌日、そして……ついにやってきた! バレンタイン当日!



朝から、教室の空気が明らかにいつもと違う…!

男子は執拗に自分の靴箱の中や机の引き出し、カバンの中を何度もない物ねだりするように確認し、女子たちはグループで集まってキャッキャ言いながらお菓子を渡し合いっこしている。


そして、廊下の隅の別の女子グループでは、今まさに想い人へ本命チョコを渡そうとしている子の背中を押している真っ最中だ。


「お前、今年チョコ何個?」


「2個やな!」


「うわっ!……爆発しろ!」




「こ、こわいよぉ……!!」


「大丈夫だって! ほら、行ってきな!」



「り、遼介……あの、これ……!」


「凛……あ……ありがと……」


あぁ……これぞ青春な光景だなぁ……ってええ!?

う……うおおおおおおお!! 大島くんと刈谷さん!!

え!? 君たち、いつの間にそんな甘酸っぱい関係になってたのか!!!?


(※67話参照)


ででも…と、とにかくめでたいな!




甘いギフトをそわそわしながら期待する人


勇気を出して、新たな恋の扉を開こうとする人


思わぬ関係が周囲に判明して、少し照れくさそうにしている人。


学生ながらつよい感情はひしめく特別な日

これが……『バレンタインデー』か




昼休み


「そんじゃ! 私たちもお菓子渡し合いっこしよっか!」


真桜さんの明るい声を皮切りに、俺たちはいつものメンバーでそれぞれ手作りのお菓子を交換し合った。


真桜さんは一口サイズの可愛いショコラ

白石さんはお店で売っていそうな綺麗なシフォンケーキ

桐谷さんは綺麗にデコレーションされたチョコパイ

いやぁ……みんな本当に器用だなぁ…


「ゆかっちは何作ったのー?」


「あ〜、私はクッキー。一番定番だけど……ははっ」


俺は少し照れくさそうに、ラッピングしたクッキーをみんなに配った。


「おおー! 懐かしいな!! ゆかっちが転校して間もない頃にも作ってもらったぞ! なはは!」


「本当ね……あれから、もう9ヶ月も経ってるんだね。裕香さん、あの頃は、まだあわあわしてたのが懐かしいわ。すっごく可愛かったなぁ」


「だねー! あと1ヶ月で、もう私たち卒業かぁ……!」



「ですね……」


そう。

俺が女の子になって、初めての生理で大パニックになっていたところを助けてくれた、この三人

そのお礼として必死に作ったのもクッキーだった。


あれから、もう9ヶ月。

色々なことがありすぎて、あっという間だったような、ずっと昔のことのような……不思議な感覚だ。


あと1ヶ月で……卒業、か


甘いクッキーの香りに、ほんの少しだけ、胸の奥がチクリと切なくなった。


3年生の3学期

すでに通常の授業は全て修了し、今は卒業式の準備や予行演習などでしか学校に登校しない期間に入っていた。

必然的に、こうしてみんなと顔を合わせられる日々も、残り少なくなってきている。


「卒業、か……なんだかんだあったけど……ほんとにここまで、楽しかったなぁ」


ふと、口を突いて出た本音。


「おおっ! ゆかっち、楽しかったか!! そりゃあ良かったぞ!!転校してからまだ1年も来てないのによく言った!」


「ふふっ、本当に楽しかったわね。……そういえば裕香さん、卒業後の進路は無事に決まったんだったかしら?」


「あ、うん……! 神宮寺製薬に就職することになりました……。コ…コネですが……」


「はーい! 神宮寺家総出で、ゆかっちを外堀からしっかり囲い込みました〜! ってことで、私とは卒業してからもずっと一緒だね! ゆかっち!」


「で……ですなぁ」


俺の言葉に被せるように、真桜さんが背後から俺に抱きついてきてピースサインを作った。

妹の真桜さんと同じ職場で仕事……。全く想像がつかないけど、絶対に毎日ドタバタする未来しか見えないや……。


「なははは! ゆかっちも、実質『家族への挨拶』は済んでるようなもんだな! 私と一緒だ! 卒業しても、また絶対にこのメンバーで集まるぞ!」


「そうだね!」


「ええ、もちろんよ」


桐谷さんと白石さんの言葉に、俺は力強く頷いた。


うん……卒業して大人になっても。やっぱりまた、この大好きなみんなで集まりたいな


残りわずかな高校生活。

寂しさはあるけれど、それ以上に温かい絆を感じながら、俺たちは昼休みの教室で笑い合った。


一方、1組。


教室へ戻ってきた翔は、自分の席を見て深くため息をついた。

机の上には、崩れんばかりに山積みされた綺麗にラッピングされたお菓子の山。


「はぁ……今年もかよ…こいつら、この机にわざわざ貼ってある『受け取り拒否』の紙が見えねぇのか……」


「おー。流石は学校一のモテ男だな」


「す……すごい量だね……」


他人事のように感心する飯田と、引きつった笑いを浮かべる久我。


「どいつもこいつも匿名で置きやがって。靴箱の中どころか、ご丁寧に横に回収用のカゴまで用意されてたぞ……神社のお賽銭箱かよ……」


「毎年……毎年毎年……高校最後のバレンタインまでコレか。俺には、裕香っていう心に決めた相手がいるってのにな…公開できないこといい事に…」


「どうせただのお菓子なんだろ? 構わず全部食っちまえばいいじゃねぇか」


「お前は、さっぱりしてて羨ましいわ……」


「ま、まぁ……僕もそこそこ貰ったけど、やはり神宮寺くんは規格外だね……」


そんな会話をしていると。 


「し……翔くん……大変ね……」


クラスメイトの神崎が、心配そうな顔をして翔の席へと近づいてきた。


「はぁ……一方的な愛情の押し付けってのは、どうも自分勝手で疲れる……今回も会社の職員にでも分けてやるか」


「手……手伝おうか? 持つの」


「大丈夫だ……いや、それより神崎……もしかして、お前も……」


「だ……っ、大丈夫!!」


神崎はビクッと肩を揺らし、慌てて両手と顔を振った。


「ゆかっちとの関係を知ってる翔くんに、チョコなんて……! も、もちろん作ってないよ!」


「おお、そうか。それは助かる……」


翔が心底安堵したように息を吐く。


「ゆ……ゆかっちからは……もう受け取ったの……?」


「あ、いや。裕香とはアイツの家で待ち合わせしてるんだ。学校終わりにな」


「そ、そうなんだ……それは良かった……! あ……私、2組の女子達に渡しに行く用事があるから……!」 


「おーう」


そそくさと、逃げるように廊下へと走り去る神崎。

少し離れた死角の曲がり角で、彼女は壁に手をついて大きく、長く息を吐いた。


(ふぅ……バレてない……よね? 私も、あの山のなかに匿名で、机の上に置いたこと……これ…くらい…はいい…かな?)


彼女には絶対に敵わないと分かっているけれど

それでも、せめてもの、ほんの少しの乙女よ悪戯心だった。




そして……放課後。


想い人へ、恋人へ

各々が特別な本命チョコを渡していくこの日

もちろん、俺たちも例外ではなく……


時刻は午後8時すぎ


ピーンポーン……


「き……来た!」


インターホンの音に心臓を跳ねさせながら、俺は急いで玄関へと向かった。


ガチャ……


「お……お、おつかれー……って、翔……?」


「おお……裕香……お疲れ様……」


ドアの向こうに立っていた翔は、いつも完璧に整っているはずのオーラが消え失せ、見たことのないレベルで疲労困憊していた。


「ど……どうしたんだ!? すっごいゲッソリしてるけど!」


「学校で、ちと山積みの『お菓子の処理』にな……それに、今日は研究室の手伝いも諸々重なって忙しくてな……。腹減った……死にそうだ……」


「おおおぉ……! そ、それは……本当に大変だったな! ご飯温めてあるから、とりあえず上がってくれ!」


靴を脱いだ翔を急いでキッチンへ案内しようと、背中を向けた瞬間だった。


ギュッ……!


「ほ……ほぇ!? しょ、翔!?」


背後から、長い腕が伸びてきて俺の身体をすっぽりと包み込んだ。

そのまま、翔は俺の肩に深く顔を埋めてくる。


「あ〜……!! 至福……いい匂い…すまん、暫くこのままでいさせてくれ……」


「あ……うん……」


翔が俺を強くハグしてくる。

でも、その腕の力はいつもの強引なハグより少しだけ弱くて、彼が本当に疲れ切っているのが伝わってきた。


翔も、無敵の超人ってわけじゃないんだよな……

俺は少しだけ照れくささを感じながらも、翔の頭にそっと手を回し、優しく撫でた。


「うん……今日一日、本当にお疲れ様。翔」



俺が作った手作りの夕食を、翔はあっという間に綺麗に平らげてくれた。

そして、食後の落ち着いた時間。


俺は深呼吸をして、冷蔵庫から綺麗にラッピングした小さな箱を取り出した。


「翔……それ……じゃ。こ……これ……っ!」


少し震える手で、テーブル越しに箱を差し出す。


「ふふ……待ってたぞ……裕香……」


翔は疲れた顔をパァッと明るくさせ、まるで子供のように嬉しそうに箱を受け取った。


「そ……そんな、大したものじゃないぞ……?!」


翔は普段からオシャレで、舌も肥えている。

無難な普通のチョコを渡すのも味気ないかなと思い、俺なりに動画を見ながら必死に工夫して作ったのだ。


ホワイトチョコとストロベリーチョコ、そしてビターチョコを使って、マーブル状のトリコロールデザインに仕上げた特製チョコ。

味だけでなく、見た目も頑張ってみたけれど……

き気に入ってくれるかな……?


「おお……! すげぇぞ!? 裕香、これめちゃくちゃオシャレじゃねぇか?! どうやって作ったんだ? 凝ってるなぁ!」


箱を開けた翔が、目を丸くして大絶賛してくれた。


「よ……良かった……。味のほうは……?」

翔がチョコを口へと運ぶ。

ゆっくりと味わうように目を閉じ、そして、心底幸せそうなため息をついた。


「……最高だ。うまいに決まってる」


俺に向かって、翔がとびきり優しく微笑む。


「あ〜……今日初めて口にするお菓子だ。……俺は、本当に幸せ者だな」


「お……お菓子の……処理……??」


「あぁ……。机に『受け取り拒否』の紙を貼ってるってのに、勝手に置いていきやがってだな」



「むぅ……それは、翔に迷惑すぎるぞ……! 学校では秘密にしてるとはいえ、ちゃんと俺っていう彼女がいるのに……!」



「ははっ……独占欲出してくれる裕香も可愛いな。……そうだな。でも、俺は『裕香の作ったもの以外食わない』って決めてるから安心してくれ。とは言いつつも、食べ物を粗末にするのは後味が悪いから、うちの会社の職員たちに全部配ってきた」


「そ、そうか……そう……なんだな……」


正直、山のようにお菓子をもらっている翔にちょっとだけモヤモヤしていたけれど。

俺の知らないところで、翔はそんなにも俺を一途に想い、誠実に行動してくれていたのだ。


「翔……俺のほうこそ……幸せ者だよ……ありがとう、そんなに尽くしてくれて……」


「ははっ、裕香がそんなこと言ってくれるとはな。俺もだよ。お前にはいつも尽くしてもらってる」


「て……照れるな……そういうの」


暫く、甘くて温かい沈黙が続く。


「し……翔! このままじゃやっぱり釣り合わない! 俺、なんでもするから……! いってくれ!」 


「ど……どうした! 急に……」


「俺……恋愛なんて初めてで……でも、折角翔の彼女になれたんだ……! もっとこう……尽くしたいというか……!」


勢い余って身を乗り出す俺に、翔は少し戸惑っていたが……


「十分だっつのに…………そうか。なんでも……か……」


「…あ…あぁ……な……なんでも……だ!」


「よし……言ったな? 裕香……」


その瞬間、翔の疲労困憊だった目に、爛々とした謎の活力が戻った……!


ふふ…!俺は知ってるぞ! アニメや漫画で『なんでもする』とは言うが、実際に彼氏が頼んでくるのは、意外と肩もみとか、ハグとか……結構健全でいじらしいのが最近のセオリーなのだと……!


数時間後 


「は……はは……は……はひ……!」


「……………いい……非常に……いい」


俺は、髪を高い位置でポニーテールに結ばれ、体育祭のパフォーマンスで使ったあの『チアガールのユニフォーム』を着せられていた。


「あ〜……! 卒業前にもう一度拝みたかったんだよな! おおおお! めちゃくちゃ元気出た!!」 


「ココココ、コスプレかよ!! 翔!!」


な……『なんでも』って言われて、まさかダイレクトにこっちの煩悩ルートを選ぶ奴がいるか!?


「なんでも……って言っただろ? ふふふ……お前のビジュアルは無限の可能性を秘めているんだ。……そら!!」


翔がいつの間にか用意していた二つのアタッシュケースを開く。

その中には、まぁ、もう……大変素敵なコスプレ衣装の数々が、美しく収納されていた。 


「ひぃっ!!! へ……変態!!」


「ふっ……好きなだけ言え。そら、『なんでも』はまだ続いてるぞ? 次は裕香、お前に選ばせてやろう!」


「ううううう………!! 勢いで余計な事言うんじゃなかった!!」


甘いバレンタインの夜は、たちまち俺の地獄のコスプレショーへと変貌してしまったのだった……


俺は顔を真っ赤にしながら、渋々とアタッシュケースの中から衣装を物色する。


ま、まぁ、自分で言い出したことだし、約束は守らねばな。俺のビジュアルがどうとか言っているが、これで本当にコイツの疲れが取れるなら……

ふと、アタッシュケースの底に畳まれていた、一つの衣装に目が止まった。


「これ……メイド服……?」


「うおあっ!? ………あ……すまん……。いや、裕香……ソレばかりは、無理に着なくても……いいぞ?」


「でも……コレを着た俺が……翔の……好きになる『きっかけ』になったんだろ……? ………着るよ、俺」


「ま……まじか……?」


「うん……。翔が、喜んでくれるなら……」


俺は、そのメイド服を持って着替えに向かった。

あの頃は、短い男の髪を隠すためにウィッグを被っていたけれど。

今は、地毛がその時の長さぐらいに伸びている

これはもう、女装……ではなく……『正装』だ。


リビングに戻り、翔の前に立つ。


「…………ど……どう……かな?」


「う……うう……まさか……またコレが見れる日が来るなんて……!! ううっ……」


「…!? 翔!?」


翔は、その端正な顔をくしゃくしゃにして、じわりと喜びの涙を流しながら俺に優しく抱きついてきた。

よほど……嬉しかったのか……?


「裕香……ありがとう……。もう、胸がいっぱいだ……。お前のおかげで、明日からも頑張れる……。本当に、ありがとう」


「うん…翔がそういうなら……良かった」


あの頃は、無理やり着せられたメイド服。

それが原因で、俺の人生は狂い、人間不信になった。


でも……これのおかげで、俺は翔の本当の気持ちを知り、今の幸せに巡り会うことができた

なんて複雑で、因縁深いコスプレ。


でも、翔の温かい腕の中にいる今はもう……不思議と、悪い気はしなかった

あと1ヶ月で、俺たちは卒業する。


「裕香。卒業までにしたいこと、なんでも言え……。全部、一緒に楽しむぞ……」


「そうだな……! ま……まずは……!」


その夜、バレンタインの甘い空気の中、俺と翔は寄り添いながら『卒業までに二人でやりたいことリスト』を作ったのだった。


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