第66話 恋愛をすると誰しもが発症しうる病気…それはメンヘラ
翔と付き合って
気づけば、もう一週間が経っていた。
たった一週間
でも、不思議と短くも長くも感じる。
関係が変わっただけで、日常そのものは何も変わっていないはずなのに。
見える景色も、感じる空気も、全部どこか違って見える。
そんな一週間だった。
そして今、俺は――
教室、授業中
「――で、あるように――」
先生が何かを説明している
……はずなのに、まったく頭に入ってこない。
(返信……まだかな……)
ちら、と机の端に置いたスマホを意識する。
(いや、授業中だしな……来てるわけないか……)
(……でも、次の休み時間には……来るかも……)
そんなことばかり考えてしまう。
さっき送ったメッセージ
まだ既読すらついていなかった。
「あー……まだかぁ……早く……返信……来てくれ……」
気づけば、頭の中は翔のことでいっぱいだ。
次は何を送ろう?
放課後は何を話そう?
休日はどこに行こうか?
そんな、どうでもいいようで大事なことばかりがぐるぐると巡る。
「……なんか最近、ずっと頭ホワホワしてるなぁ……」
机の下で、そっとスマホを開いた。
トーク画面。
翔とのやり取りがずらりと並ぶ。
改めて見返すと――
自分でも少し照れるような文面が混じっている。
こ…これは…なかなか…むふふ…!
でも――
むず痒くて、でも心地いい。
そんな感覚に、胸がじんわりと温かくなる。
その時…
「それでは、前川さん」
「――っ!?」
「ここの回答を」
突然、名前を呼ばれた!!
「へ!?……あ、えっと……わ、分かりません……」
「そうですか。それでは、白石さん」
「はい、2番です」
「正解です」
うわ……やらかした……。
そして、昼休み。
「あ〜……恥ずかしい……」
「なはは!気にするな!私も分からなかったからな!」
「裕香さん、最近ぼーっとしてること多いけど……大丈夫?
ちゃんと寝れてる?」
「あ、うん……睡眠は、ちゃんと取れてるよ」
ピコンッ
「……あ!ご、ごめん……!」
慌ててスマホを開く。
「わ!……返信来た……へへ…」
翔からのメッセージ
それだけで、胸の奥がじんわり温かくなる。
最近はもう、これが一日の原動力になってる気がする。
「ゆかっち、すっかり恋愛女子になってるぞ〜!」
「ふふ……可愛らしいわね……」
桐谷さんと白石さんが、くすくすと笑う。
「ふむふむ……」
……あれ?
真桜さん……?
いつもなら、もっとズイッと踏み込んでくるはずなのに??
今日は妙に静かだった。
「ねぇ、ゆかっち」
「……? ん?」
「メッセージを楽しむのもいいけど…ほどほどにね!」
「…………え?わ、わかった……?」
ほどほど……?その一言に妙に引っかかった。
昼休みが終わり、五時限目。
黒板に書かれる文字を目で追いながらも、意識は別のところにあった。
ほどほどに……って、どういう意味なんだ……?
メッセージの頻度……?
それとも……翔のこと考えすぎ……?
いやでも……翔は「もっと甘えていい」って……
ぐるぐると考えが巡る。
けれど答えは出ない。
結局、そのまま授業は終わった。
放課後
いつものように、翔と並んで歩く帰り道。
「そんでさ!翔!今度一緒に行きたいとこあってな!」
「お、どこだ?連れてってやるよ」
「ここ!あとこことか……それと――」
「ふーん……なるほどな。近いし、いいじゃねぇか
結構リサーチしてるな」
「ふふーん……!授業の合間に考えてたのだ!」
「…………なるほどな、裕香にそこまで考えてもらえるとはな……嬉しいぞ」
「そ、そんな大したことじゃないって……!」
でも、頬は自然と緩んでしまう。
「……なんかさ、ずっと翔のことばっか考えてて……
恋って、こういうもんなのかなって……」
「恋にも色々あるが……まぁ、そんなもんだな。
俺も、裕香のこと考えてる」
「……!その言葉、待ってた!」
今日も――たぶん、かなり“それっぽい会話”をしてる。
夜
ベッドの上で、俺はスマホを握りしめていた。
「通話……してみたいな……」
「でも……最近また忙しいって言ってたし……」
「いやでもでも!……ちょっとくらいなら……」
しばらく悩んで
意を決して、送る!
【翔、夜にごめん。通話いいかな?声聞きたい】
「わわわ!……お、送っちゃった……!」
送信ボタンを押した瞬間……
ピロロロロ――
「はやっ!?」
『よう、裕香。珍しいな。どうした?』
「あ……えっと……その……声が…聞きたくて…」
『今、研究の手伝い中だから長くは話せないけど、それで良ければいいぞ』
「え!?あ……ご、ごめん……!忙しいのに……!」
『気にすんな、ちょうど気分転換したかったとこだ。ゆっくり話そう』
「う、うん……!」
優しすぎる…!
――こんな恋人、いていいのか。
そして、翌日。
「う……うーん……」
再び……机に突っ伏す。
「ありゃ〜!ゆかっち寝不足だぞー!起きろー!」
「また何かあったの?裕香さん?」
「いや……大丈夫……ちょっと……寝れなかっただけ……」
(……昨日の通話、楽しかったな……)
思い出すだけで、また少し顔が熱くなる。
「ふーむ……ちょっと、まずいかもなぁ〜……」
「ん?真桜?なんか言ったか?」
桐谷さんが首をかしげる。
「いやいや!なーんにも!」
けれど――
昨日からずっと、どこか引っかかる。
こういう時のシリアス真桜さんは大体、何か見抜いてる。
な、何があるんだ……?
昼休み、一組の教室。
「…………さて……どう切り込むか……」
翔は腕を組み、珍しく深く考え込んでいた。
「神宮寺くん、どうしたんだい?ずいぶん真剣な顔だけど」
久我が静かに声をかける。
「ん?……ああ、ちょっとな」
「なんだ翔、この前まで“オキシドール”ってニヤついてたのに、もう切れたのか?」
「お前な……まぁいい……実はな――」
軽く話す翔
「裕香さんが……依存気味になってる、かもしれない?」
「依存?それって……メンヘラってやつか?」
「そこまでじゃないが、……どうも日常の優先順位が、俺中心に寄り始めてる気がする」
「あー……なるほどね。付き合い始めってのもあると思うけど…」
「裕香さん……元々、自己肯定感が低い部分もあったし
そういう人は、特に依存する傾向がありそうだ」
「……だよな。久我、お前はどうだった?」
「白石と付き合い始めの頃だ」
「僕は……最初から距離感を意識してたかな。
お互いに余裕があるように心掛けて」
「だから、そこまで不安にはならなかったよ」
「なるほど、飯田は?」
「俺?俺と光はそもそもサッパリしてっからな」
「お互い好き勝手やってるし、“相手が全部”って感じじゃねぇな」
「2人共、彼女はかなり魅力的なほうだが他の異性とかの距離は気にならないか?」
「別に?そん時は、俺がその程度の男だったってだけだろ」
「僕は……多少は気になるけど、基本は信頼かな」
達観した2人の意見に翔は関心する。
「高校生にしちゃお前ら大人恋愛してんなぁ」
そして翔と久我の話は続く
「でも、裕香さんから見た神宮寺くんは……かなり不安になりやすい相手かもしれないね」
「ああ、俺もそれを懸念してる。依存に至る過去もあるし、何より余計な女が近寄ってしまう…!
なんて思ってるかもしれねぇ…変な誤解を生まなきゃいいんだが」
「だね、それで依存寄りになってる、と」
「多分な。それに、この状態の相手に、下手に距離を改めようなんて言えば余計に不安を煽るだけだ」
「……あー、それはあるな」
飯田が頷く。
「まぁ、恋なんて他人同士で試行錯誤して、上手くいくように調整していくもんだ。良いように考えるさ」
「おーう、難しい事はわかんねぇががんばってくれ」
「そうなればベストだね…!」
飯田と久我は短く返す。
だが、翔の思考はさらに深く潜っていた。
(……いや、ぶっちゃけ…ぶっちゃな…??)
(めちゃくちゃ嬉しいんだが……???)
(あの裕香が……あんなに一途に……
今まで、俺のこと“友達”としてしか見てなかったのによ??)
(昨日だって……通話したいなんて言ってきてさ……
あ〜……可愛かった…!!乙女みたいになっちまって…)
(多少依存気味でも……俺は全然困ってないだがなぁ〜)
(…………が、それじゃダメだ!!)
(これじゃ恋人としては……長く続く形じゃない)
(裕香の過去を考えれば、そうなるのも分かる……)
(ネグレクトで自己肯定感が低くて、拠り所を見つけたら……そりゃ寄る)
(“甘えていい”……あれがトリガーになったか……)
(どこかで、一度……客観視させる必要がある)
「あの……神宮寺さん……」
「……ん?」
振り向くと、クラスの女子が一人、少し緊張した様子で立っていた。
「お昼休みに……ご、ごめんなさい……!」
「ちょっと……生徒会の経費のことで相談があって……」
「俺は生徒会じゃないが……まぁいいよ。」
「あ……ありがとうございます……!」
ほっとしたように、顔を綻ばせる女子。
その頃、昼休みも、そろそろ終わる頃。
(……ちょっとだけ……)
俺は、トイレに行くフリをして廊下に出ていた。
頭では分かってるが
でも…でも、ちょっとだけなら……!
胸の奥が、そわそわと落ち着かない。
「ふふ……翔目当てで、ふらっと1組覗く女子もいるしな……」
「いわば……俺も、その一人……」
「チラ見だけなら……大丈夫だよな?バレないよな?」
俺は、できるだけ自然を装って――1組の前を通る。
そして
ほんの一瞬だけ、中を覗いた。
「翔……どこ…………え……?」
視界に入ったのは
他の女子と話している、翔の姿。
「助かりました!神宮寺さん……!流石会社を引っ張ってるだけあります…!」
「いや、大したことじゃないが、それに
引っ張ってるのは俺じゃなくて父さんだ」
……距離が、近い…??誰だ?あの子は…?
いや、実際はどうか分からない。
でも…近い……
そう“見えてしまった”。
胸の奥に、ずしん、と重い何かが落ちる。
「え……えぇ……」
息が、少し詰まる。
さっきまでの軽い気持ちが、嘘みたいに消えていく。
とても嫌な感覚が膨らむ
俺は、すぐに目を逸らした。
そのまま、何も見なかったことにするみたいに。
足早に、教室へ戻る。
その一瞬を
翔は、見逃さなかった。
(な……っ……!?)
(裕香……!?おいおいマジかよ…!)
ほんの一瞬、視線が合う。
そして、逸らされる。
(まずい……今のは……完全に誤解を招く……!)
「……あの、神宮寺さん?」
「ああ、悪い。話の途中だったな」
表面上は、何も変えない。
だが内心では――
(くそ……ここまで来てたのか…覗きにか?…想像以上に……深いな……)
五時限目、教室。
「…………」
俺は、机に向かっていた……はずなのに。
黒板の内容は、ほとんど頭に入ってこない。
さっきの光景が――何度も、何度も再生される。
翔と、あの女子
近い距離
穏やかな声
優しい表情
(……あれくらい、普通だろ……)
(翔だし……誰にでも優しいし……)
(でも……なんか……すごい……嫌な感じ……)
分かってる
分かってるのに…!
胸の奥が、ざわざわして落ち着かない。
翔は、そういう人じゃない。
誰にでも優しくて、困ってる人がいれば自然と手を差し伸べる。
それは、ずっと見てきたし、尊敬してる。
それなのに――
(なんでだよ……なんだ…これ?)
胸の奥から、黒い感情が滲み出てくる。
翔に向けたはずのそれは、すぐに矛先を変えて――
自分自身に突き刺さる。
(そうだよな……)
(翔からしてみれば……女子なんて星の数ほどいる……)
(俺なんか……その中の一人に過ぎない……)
(翔……俺のこと……本当に好きなのかな……?俺のどこが好きなのかな?)
考えたくないのに、勝手に浮かんでくる。
授業の声は、もうほとんど耳に入ってこない。
――逃げるように。
俺は、机の下でスマホを開いた。
なんとなく、SNSを流し、意味もなく画面をスクロールする。
その時
目に止まった投稿。
【この漫画のヒロインクセ強すぎ!!でも今の子達こういうの刺さるわ!】
見覚えのあるアカウント。
なんとなく相互になっただけの相手
あんまり投稿とかしてないのに…
珍しいな、と思いながら――
軽い気持ちで、リンクを開いた。
そこにあったのは、重めの恋愛漫画。
ヒロインは
過去に裏切られて、人を信じられなくなった少女。
ようやくできた彼氏に、過剰なまでに執着して
(今、話してた女誰!?友達?)
(どうせ私のこと、どうでもいいんでしょ!!)
(やだ……捨てないで……!私、あなたしかいないの……!)
お、重てぇ〜…
画面越しでも分かる、重さ。
「いや……このヒロイン……めちゃくちゃ面倒くさいな……!!」
コメント欄も、案の定だった。
《重すぎて無理》
《こういう女リアルにいるよな》
《女ってだいたいこれ》
ズラッと並ぶ、否定の言葉。
(まぁ……そうなるよな……)
少し冷めた目で眺めながら、俺も頷く。
(こういうのって……叩かれるよな……)
(ヒロインムーブっていうか……お姫様気分っていうか……)
どこか他人事みたいに、そう思った。
――そのはずだった。
ふと、指が止まる。
(……いや……待てよ……?)
(今なら……わかるぞ……!?)
(人から捨てられた過去がちらついて…依存に走る…この感じ!!)
「俺……あのヒロインと……同じこと……考えてた……?」
一気に、血の気が引く。
「あわ……あわわわわ……俺……翔に……なんてこと……!」
「面倒くさい」と思っていた存在。
その輪郭が
そのまま、自分に重なる。
放課後、いつもの待ち合わせ場所。
その中で、翔はひとり腕を組んでいた。
「ふぅ……まずは、裕香の精神状態を把握して……落ち着いてカウンセリングをだな……」
「翔ぉ!!大変だ……!!」
「うぉ!?裕香!?」
勢いよく駆け寄ってきた裕香が、肩で息をしながら訴える。
「俺……俺!とうとう女になってしまったかもしれない!!」
「お、落ち着け!!お前は半年前から女だ!!」
「そうじゃない!いや、そうなんだけど!そうじゃなくて!」
数分後。
「……なるほどな……漫画のキャラに共感を抱いた、と」
「そうなんだ……怖いのはさ……“面倒くさいなこいつ”って思ってのが、段々とあ〜わかるって……なっちゃったことなんだよ……」
「……」
翔は、黙って聞く。
「俺……多分、翔にすごい依存してたと思う……」
「さっき、教室で女子と話してるの見て……なんかこう……」
「……嫉妬、みたいなのが……出てきてさ……」
「お、おぉ……そうか……」
「それで気づいたんだ。翔は俺に色々してくれてたのに……」
「いつの間にか、してもらって当たり前みたいに思ってて……」
「なのに俺は……あんな一瞬のことで……」
「……ごめん……!」
俺は翔に謝罪をした。
――少しの沈黙。
「…………裕香」
「……ん?」
「偉い」
「……え?」
「偉すぎるぞ!お前!」
「え、えぇ……?」
「依存気味になってるのは、俺も指摘しようと思ってた
でもその前に、お前は自分で気づいた
しかも逃げずに、ちゃんと整理して、謝れた」
「それがどれだけ素晴らしい事か……分かってるか?」
「い、いや……だって…い、一応…恋人だし……
自分勝手にならないように、相手のこと考えて、なんとかするの……普通じゃないのか……?」
「はは、そうだ。そうなんだよ………しかし、その“普通”ができるやつ、大人でも出来ない奴は少なくないんだ…」
「……そうなんだ……」
「歴代の彼女に見習わせてぇくらいだな」
「はは……そこまで……?」
少しだけ、空気が軽くなった
俺は続けて話した。
「多分……俺が気づけたのは…
男の思考が、まだ残ってるからかも……」
「ほう?」
「男の苦労とか…プライドとか…大事な人には弱い所見せたくないし…わがままもできる限りは聞いて上げたいし…なんて男の立場が理解できる…から」
「それは強い。凄い強いぞ!両方の視点持ってるってことだろ?
恋人として、かなり優秀だぞ」
「も、もうやめてくれ……!!恥ずかしくなってきた……!」
それでも、照れ隠しながら小さく付け足す。
「……翔……いつも、ありがとう……」
「こちらこそ、だな」
さっきまでの重さは、もう残っていなかった。
しばらくして。
二人は並んで歩き出す。
どこか、さっきよりも少しだけ自然な距離感で。
やがて、二人の背中が遠ざかっていく
それを見届けてから。
物陰から、ひょこっと顔が覗いた。
「ふぅ…ヘタレ兄ぃ、本当にうまくやっていけんの?」
その手には、スマホ。
画面には、さっきの“相互フォロー”のアカウント。
「ま、ひとまずゆかっちが
元気になってくれて、よかったかな!」
どこか満足げに
そしてまた、何事もなかったかのように
日常の中へ溶けていった。




