第62話 とてもとても怖い過去
12月3日、水曜日
2組の教室
「おはー!みんな!」
「なはは!おはよう!」
「おはよう……真桜」
いつも通りの朝、何も変わらない………はずだった。
「……あれ?」
桐谷がきょろきょろと教室を見回す。
「ゆかっちは?」
「まだ来てないな!珍しい!」
「うーん……昨日、一緒に帰ってた時に……急に帰っちゃって……やっぱり体調、崩してたのかしら」
「ありゃま〜、寝不足続きだったからねぇ」
この時点では
まだ、よくある光景の範囲だった。
キーンコーンカーンコーン
学校の始まりのチャイム
「おわぁ、ゆかっち遅刻だ」
「今日は休むのかな?」
少し珍しい光景となるがまだ不自然ではない。
昼休み
「昼休みだ!……って、ゆかっち結局来てないな」
「でも担任、何も言ってなかったわね。連絡もできないくらいの不調……?」
「珍しいね。ゆかっち、なんだかんだ毎日来てたのに」
「後でメッセージ送っとこ〜」
少しずつ、何かがズレ始める。
でもまだ誰も深刻には捉えていなかった。
1組
「おーう翔、メシ食おうぜ」
「……ああ。その前に、ちょいと2組行ってくる」
「お?話つけにいくのか?」
「だ、大丈夫なのかい?神宮寺くん」
久我が、静かに問いかける。
「ああ、大丈夫だ。行ってくる」
(まずは謝罪だ、それで、その後は時間をかけて償い
関係を修復する……大丈夫だ、丁寧に話せば……きっと)
(だだだだ……大丈夫だ!!)
「すげーなアイツ。さっきまでコルチなんたらとか言って迷走してたのによ」
「立ち直ってよかったよ」
(……膝、ちょっと震えてたけど)
廊下
(ぐ……!!やはり緊張はする……)
(落ち着け……俺は神宮寺翔だ)
(今まで、どんな問題も解決してきた)
(やれる……!俺ならやれる……)
歩みは堂々と
呼吸も整っている。
だが――
(ああ……どうか……どうか……!)
(友達としてでもいい)
(裕香……俺はなんでもするから……頼む…!!)
――ガラッ
祈りを込めながら2組の扉を開ける。
「お!兄ぃだ!おつ〜!」
「真桜……って……ん?」
キョロキョロする視線が
いつもいるはずの席
そこに――いない。
「…………んん?」
翔は一歩近づき、真桜に小声で聞く。
「……裕香は?」
「今日は休みっぽいよ?なんか昨日、ずっと机に伏せてて体調悪そうだったし」
「………………!…な……なんだ……って……?」
「私が保健室まで連れてったのだ!」
桐谷が胸を張る。
「あ……えっとね……寝不足が続いてたみたいで……でも、その……翔くん!裕香さんも……会おうとしてたの!でも、限界だったみたいで……今は休んでるんだと思う……かな?」
(気まずい…!内情を知ってる私は…どこまで言えばいいのかしら…!)
白石は慌ててフォローを入れる。
「!?……俺に……?」
断片的な情報が、頭の中で組み上がる。
「寝不足…体調不良…保健室…限界……そうか」
組み立てていたプランが、崩れ落ちた。
翔は何も言わず、そのまま踵を返す。
「すれ違ってるなぁ、兄ぃとゆかっち」
「なはは!ラブコメの神様がちょっと意地悪してるのだ!」
「そんなのいるわけないでしょ。ただタイミングが悪かったのよ」
(……どうか……どうか……上手くいきますように……!)
廊下
さっきまで無理やり貼り付けていた自信も、勇気も
すべて、剥がれ落ちていた。
「……おい……おいおいおいおい!……まじかよ……」
「裕香の体調不良の原因……俺以外にあり得ない……」
「よほど……精神的にショックだったのか……?」
「くそ……そこまで追い詰めてたなんて……申し訳ねぇ……!」
ガラッ
1組
剛、久我、そして神崎が揃っていた。
「おう、早いじゃねぇか……って、目死んでんぞ?」
「あ……あちゃ……もしかして……」
「し、翔くん……その……大丈夫?」
表情を見て察した三人に翔は答える。
「あー……まぁ……欠席だった……ぽい」
「まじか、俺はてっきりフラれたのかと思ったぞ?」
「ちょ、ちょっと飯田くん!?そういうのは……!」
「気にするな、俺は神宮寺翔だ。あらゆる問題を克服してきた」
「うわぁ……露骨に落ち込んでる……」
(ゆかっち……欠席はさすがに意地悪すぎるよ……翔くん可哀想だよ…?)
「そんで、また明日か?」
「まぁ……そうなるな。ただ、向こうも俺に何か話そうとしてたらしい…つまり、会話の余地はある」
「少なくとも……避けられてるわけじゃない……と信じたい」
「そうなの!?それならきっと大丈夫だよ!
向こうも誤解を解こうとしてたはず……翔くん、頑張って!」
「……はは、ありがとう」
(そうだ……落ち込むのはまだ早い…
(会話しようとしてた……つまり交渉はできる)
(会話だ……会話さえできれば……)
拳を軽く握る。
(明日……完璧に対応してやる……!)
――翌日
12月4日
2組、昼休み。
「け……欠席ぃ?……2日続けて……?」
翔の顔から、血の気が引く。
「うーん、そうみたい。珍しいね」
「ゆかっち〜!私はさみしいぞー!」
「真桜……メッセージはきてないの?」
白石が心配そうに真桜に尋ねる
「それがね?既読はついてるんだけど……返信がないの。どうしたのかな?」
「………………」
(おい……まじか……)
(真桜のメッセージに……返信してない……?)
(それって……かなり……深刻なんじゃないのか……?)
(ぐっ……これは……まずい……)
(本当にまずい……!!裕介時代の不登校が再発してしまった…!)
(これは……絶縁ルートか??……そ、それだけはいやだ…!!)
(いや…!とにかく今は……裕香の様子を把握しなければ……!!)
ざわつく2組の女子達と翔
「何か、裕香に変わった様子はなかったか?寝不足以外で」
「むー……私は特に知らないかな。翔くんがどうこうくらい?」
「私もだね〜。むしろ兄ぃが把握してないのが意外」
桐谷と真桜が軽く答える
そして白石は、相変わらず返答を選んでいた。
「わ、私は……同じく……」
「あ……そういえば……裕香さんと一緒に帰ってた時……すれ違った知らない男性を、見てたような……」
「そこから……急いで帰っていったようにも見えたかな……」
「「………………!?」」
ほんの些細な情報
だが…
翔と真桜の表情が、明らかに変わる。
「なぁ……白石……」
「その男性の見た目……覚えてるか?」
「え……!?えっと……」
「ガタイが良くて……スーツ着てて……なんか……胡散臭い感じ……だったと思う……」
「……ねぇ、兄ぃ」
「……ああ」
二人は同時に動く。
「ごめん、ヒカ!レイ!私達、今日早退する!あと明日休むかも!」
「え!?ちょ、真桜!?翔くん!?」
状況が飲み込めないまま、二人は教室を飛び出した。
残された桐谷と白石。
「……なんか、大変なやつなのか?」
「……わからない……でも……少し、嫌な感じがするわね……」
廊下…足早に進む二人。
「俺は塚本さんに連絡する……!」
「りょ!私もちょい準備!」
夜…神宮寺家、リビング。
コンコン
「どうぞ」
ガチャ
入ってきたのは、一人の男。
年齢は四十代後半から五十代前半。
スーツ姿なのに
空気が違う場数を踏んできた人間特有の、静かな圧。
「翔くん、お疲れ様
依頼されていた情報、ひとまずまとめておいた」
「お疲れ様です。ありがとうございます……塚本さん」
――塚本
元・公安警察
対テロ、諜報、組織犯罪対策に従事していた男。
神宮寺家の極秘研究を知る、数少ない人物でもある
現在は、神宮寺家専属の護衛。
翔と真桜
そして――裕香。
その三人を、表に出ることなく守る影の存在。
少し前には、神崎のストーカー事件も処理している。
「まずは状況からだ、社宅と学校の監視カメラを確認したが、拉致や接触の形跡はない」
「彼女は帰宅後、一度も外に出ていない」
「さらに、部屋の電気とガスの使用履歴も正常に動いている」
「つまり、引きこもっている状態と見ていい」
「……わかりました。助かります」
翔は短く頷く。
「それと、竜鬼会だが……
先週からこの周辺で動きが確認されている。
目的はおそらく前川さん。もとい、前野裕介の捜索だろう」
「……やはり、そうですか」
「対象の男も割れている。下っ端だ
捕らえて情報を吐かせるくらいなら、難しくはない」
だが――
翔は首を横に振る。
「いえ。そこを潰しても意味はありません
竜鬼会は規模が大きい。仮に壊滅させたとしても、神宮寺製薬へのリスクが大きすぎる」
「それに……裕香のトラウマの“根本的な解決”にはなりません」
「……だね。表立って関係を持つのは、それだけでリスクだ」
「……可哀想だね。先週まで、普通に笑っていたのに」
「……はい」
翔は視線を落とす。
「塚本さん……もう一つの情報は?」
「ああ、問題ない。見つけてきたよ」
「ありがとうございます」
塚本は軽く頷き、そのまま部屋を後にした。
静寂がリビングに広がる
「……裕香は……うちの会社でも極秘中の極秘だ」
「下手をすれば、国単位で動かれてもおかしくない存在……」
「塚本さんの護衛がある以上、ただのヤクザが手を出せる相手じゃない」
拳を握る。
「でも問題はそこより…裕介時代の……あのトラウマだ……」
ドンッ!!
机を強く叩く。
「くそ……!!」
「どれだけ……裕香を……裕介を……苦しめるつもりだ……!」
「最低のゴミ両親……それと竜鬼会……!!」
息が荒れる。
「……この展開は、予想していた
でも……できれば来てほしくなかった」
「裕香に……重たい選択をさせることになるからな……」
数時間後。
翔はスマホを手に取り、メッセージを打つ。
【気まずい中、突然の連絡ですまない
白石から事情を聞いて、状況は大方把握した】
【裕香……怖かっただろ?
家から出たくないと思うのも、無理はない】
【でも、もう大丈夫だ】
【明日、12時にインターホンを鳴らす
無理なら出なくていい】
【ただ、裕香を安心させる方法を持ってきた
話だけでも聞いてほしい】
送信
翌日
12月4日、木曜日。
正午
社宅の一室の前。
翔と真桜が立っていた。
「……出てくれるといいがな」
「大丈夫だよ、既読、すぐついたんでしょ?」
「ああ……よし押すぞ」
インターホンに手を伸ばす。
――ピンポーン
静寂。
「「………………」」
時間が、やけに長く感じる。
――ガチャ
ゆっくりと、扉が開く。
「……翔……真桜さん……」
そこに立っていたのは――
明らかに、疲弊しきった裕香だった。
顔はやつれ、身体は震えてる
明日自分の命があるかどうか、そんな表情をしているようだった。




