第61話 すれ違いの恋にしてもあまりにも神様は意地悪すぎる。
場面は戻り、裕香の部屋
それから、どれくらい時間が経ったのだろうか
布団に潜り込んでいるはずなのに、
まったく、眠れない。
理由は、わかりきっている。
「ええと……えと……えと……翔は……俺の……こと……
わわわわ……やばい……寝られない……!!」
胸の奥が、ずっと落ち着かない
もしかして
いけるかもしれないって、こういう感覚なのか?
「お……落ち着け……俺……とにかく……落ち着かねば……!」
深呼吸…大きく息を吸って…吐いて…
だめだ!全然意味がない!!
むしろ意識すればするほど、変に鼓動が早くなる。
「そうか……翔はTSものが好きなのか……」
「俺が……性癖を解放させてしまったのか……??」
「そ……それなら……責任……?とってやろうかな……?なんて…へへ……えへへ…」
いや、何を言っているんだ俺は
深夜テンションも相まって、
自分でも引くレベルの思考にたどり着いてしまう。
妙な緊張と快感がみなぎりながらも…
結局、俺は――
一睡もできなかった……
そして、翌日
12月2日、火曜日。教室。
「…………うぅ……眠い…限界…」
またもや…寝不足
「おわ〜、ゆかっちまた机に伏せてるな!大丈夫か!?」
「……だ……大丈夫……です……」
「いや、全然大丈夫じゃなさそうね……」
「ゆかっち、2日続きで寝不足かな?」
桐谷さん、白石さん、真桜さん。
三人が心配してくれているのが、ぼんやりと伝わってくる。
でも、もう限界だった。
頭が回らないし、痛い、体が重い
視界もぼやけている。
「昨日の事もあるけど、一体2人はなんなんだ?真桜」
「うーん、兄ぃに聞こうと思ったけど“1人にしてくれ”って言われてさ。私もよくわかんないや」
「……そ、そうね…何があったんでしょ…ね…?」
白石さんは誤魔化すように相槌
知ってるけど、何も言わないでいてくれる
優しいな……。
でも、見た目ほど実は気持ちは沈んでいない
むしろ逆だ。
(皆……大丈夫……俺は……もう……)
ただ寝不足と、
そして――
翔のことを考えすぎて、限界なだけだ。
(う……うーん……そろそろ翔に……言うか……?)
(でも……なんて言えば……)
(俺もTS読んでるぞー!気にするな!……いや違う…なんか違う…)
(それに翔のことだ……普通に“大丈夫”って言っても……気を遣わせるだけな気がするし……)
(う……気分悪……)
(……ちょっと……後で考えよう……)
思考を手放すように、
俺は再び、机に額を預け、すやすやしてしまった。
キーンコーンカーンコーン――
昼休み
「ぬおー!やっと昼だー!みんな食べるぞ!」
「もう……そろそろ静かにしてほしいわ……私、何回も言ってるのに……」
「ヒカはマイペースだからねぇ〜!」
いつもの、四人での昼ご飯。
……の、はずだった。
「……ん……」
箸を持ったまま、手が止まる。
食欲が、まるで湧かない。
胸の奥が、ずっとざわついている。
落ち着かない。
「ゆかっち〜、ご飯食べなきゃ身体壊すぞ〜?」
桐谷さんの声
優しいのに、どこか遠くに聞こえる。
だめだ…!待てない!
ガタッ……!
「……行かなくちゃ……翔……翔……」
俺は立ち上がった
翔に会うために。
足元が、ふらつく。
それでも、止まれなかった。
限界的な寝不足と、
どうしようもない鼓動が重なって――
今すぐ、会いたい
この空気を、終わらせたい。
あわよくば、もう…!
「ん……ちょっと……行ってくる……」
「ちょちょちょ!!!ゆかっち!」
「ゆ、裕香さん……!待って!」
「おぉ〜……なんかすごい大胆になったね、ゆかっち」
フラァ……
「あ……っ……!」
視界が揺れ
身体が、前に崩れる――
ガシッ!!
「ギリギリセーフだ!!」
「ほっ……危なかった……ありがとう光」
「ヒカ、ナイスキャッチ!ゆかっち大丈夫?」
「…………スゥ……スゥ……」
「なはは!寝てるのだ!」
「限界だったみたいね……」
「ありゃ〜寝不足続きだったみたいだね。ヒカ、ゆかっちを保健室に連れていこうか」
「私一人で大丈夫だ!ゆかっちの寝顔拝みつつ、レディを丁重に送るぞ!」
こうして俺は――
桐谷さんにお姫様抱っこされながら、
保健室へと運ばれていったのだった。
同時刻――1組・昼休み
屋上
翔は一人、フェンスにもたれながら、
静かに景色を見下ろしていた。
「………………」
昼だというのに、何も食べていない
それでも、空腹すら感じない
頭の中は、あの件で埋め尽くされていた。
ガチャ……
「ここにいた……」
「神崎か……まぁ来るだろうと思ってたが」
神崎は、少しだけ距離を置いて立った。
「つけ回すようでごめん…その……今、どうなのかなって……」
「翔くん…少し上の空になってて心配でつい…」
翔は、ゆっくりと息を吐く。
「…………ふぅ…そんなに分かりやすいか俺…」
「まぁ、神崎ならいいか……しくじった……恥を晒してしまった……」
「……へ……?な、なんで……?」
翔は視線を外したまま、続けた。
「ある意味、お前と一緒だな……」
「好意が強くなりすぎて……必要以上に、悪い方向に近づきすぎた」
「そんな……な……何があったの……?」
「……すまん……そこは内緒だ」
「だけど今は……少し、考えたい」
それ以上は語らない。
神崎も、それ以上は踏み込まない。
暗い沈黙が、二人の間に落ちた。
「はぁ……完璧に見せたければ、見せたいほど……コケた時は痛いもんだな」
ぽつり、と翔が呟く。
その声は、神崎にとって珍しくもどこか自嘲気味になっていた。
「ふふ……よくわかる……
プライドって……積み重なった分……ほんとに重いよね……」
「崩れた時の絶望と来たらもう辛い辛い…」
「ああ……よく理解してるな……神崎は…少し……嬉しいよ」
「だって……貴方をストーキングして、見つかったからね……!」
「それはそうだな…懐かしい……ちょっと、楽になった。ありがとう」
「大したことしてないよ?」
「いや…俺の弱い部分を、気軽に話せるのは……今は神崎しかいない」
「翔くん……」
(……こんなに落ち込んでるの、初めて見た……)
(本当に……大丈夫かな……?)
神崎は、言葉を選ぶように一拍置いて
「翔くん……だ、大丈夫だよ」
「あの時、私を許してくれたみたいに……きっと、上手くいく」
少しだけ、不器用な励まし
でも、それは確かに届いていた。
「はは……今は……そういう根拠のない話が、染みるな」
さっきよりも、空気が少しだけやわらかく感じた。
完璧であろうとすることを、今は手放し何かにすがりたかった。
放課後
「う……うぅ……恥ずかしい……私……なにしてんだろ……」
「今日はゆっくり休もう、裕香さん……!」
白石さんが、優しく隣を歩きながら言う。
「ぐっすり寝て……明日、翔くんと話せば大丈夫!」
「……うん……」
俺は昼休み以降、ずっと保健室で眠っていた。
そのおかげで、眠気はもうない
頭も、少しはスッキリしている。
……でも
心の方は、まだ落ち着かないままだ。
校門を出て、いつもの帰り道。
結局、今日は
翔に、会えなかった。
会いに行こうとして
その途中で、倒れて
何も言えないまま、一日が終わってしまった。
「ところで、裕香さん。なんであんなに焦ってたの?」
「え?……あ、あ〜……えっと……」
「とにかく……話がしたくて……なんか、必死になっちゃって……」
「ふふ……もう純愛だね」
「うっ……なんか……恥ずかしい……」
でも――
会えたとしても……何を話せばいいんだ……?
結局、そこに戻ってくる。
よし、今日は……ちゃんと考えよう!!
何を伝えるか……どう伝えるか……
待っててくれ、翔!
俺が……この空気、終わらせてやる!!
ぐっと拳を握る。
そのまま、思考に沈み込んでいく。
だから、気づかなかった
目の前の存在に。
ふと、誰かとすれ違う。
その瞬間
「……似てるんだけど……違うな」
「………………!」
思考が、止まる
一瞬で、体温が落ちた
さっきまでの高揚が、嘘みたいに消えていく
冷たい何かが、背中をなぞる。
「……え……なんで……?」
振り返る
男は、もう遠ざかっていた。
でも――後姿でも
忘れるはずがない!
あの声、あの雰囲気、あの体格
あれは……
あの男は……
俺のアパートに、二度も来た
竜鬼会の男…
ガタガタ……ガタガタ……
手が震える
足が、動かない
呼吸が浅くなる。
「裕香さん……どうしたの?立ち止まって……さっきの人、知り合い?」
白石さんの声が、遠く聞こえる。
「…………ごめん……私……ここで帰る」
「え!?ど、どうしたの!?」
返事をする余裕なんて、なかった。
ただ――逃げる。
震える足で、社宅へ向かう。
――部屋
急いで、ドアを閉め鍵をかけ、カーテンを下ろした。
「……はぁ……はぁ……はぁ……!!」
息が荒れる
心臓が、うるさい。
「怖い……怖い……!!」
なんで?
なんで、今…?
なんで、こんなタイミングで?
「なんで……なんでなんでなんでなんでなんで……!!」
頭が回らない
思考が、ぐちゃぐちゃになる
鼓動だけが、やけに大きく響く。
「はぁ……はぁ……!」
息がうまく吸えない
――いや
あれ……?
息……できてる……?。
胸が締め付けられる。
パニックが、さらに加速する。
折角忘れかけていたのに
折角新しい人生を、歩き始めていたのに
「……っ……」
脳裏に浮かぶのは、あのアパート
あの時の恐怖
前野裕介は……
まだ、終わってない……
この世界に、確かに残っている。
追われる“存在”として。
膝から力が抜ける
その場に崩れ落ちる。
「俺は……もう……」
「もう……外に……出られない……」
部屋の中
静まり返った空間
さっきまでの“未来”は、全部消えて
ただ、“過去”だけが、そこにあった。




