『碧の章』第37話:覚えのない記憶
「ネメル、気持ちは嬉しいけど《盟符》は使えなかったんだ」
利緒はグウェイから借りた9枚の《盟符》の事を話した。
「あれは先生がおかしいから成立しているだけだからね、リオ君には無理だよ」
一回につき5,000超という莫大な魔力を要求する魔法。それこそが、グウェイが王たちと交わした契約。
玖王の力を得た人間は、今、グウェイ以外にいない。それがどれほどの規格外である事か。
《盟符》自体はグウェイに貸与する意思があれば誰でも使えるが、それを起動できる人間はごく僅かしかいない。
使えないものを渡すグウェイは底意地が悪いのか、それとも利緒に賭けてのことか。
その真意は利緒にはわからない。
「ねえ、先生のを見たならわかると思うけど、作ったばかりの《盟符》は名前がないの」
確かに利緒の手元にある《盟符》には、ネメルの言うように紋様がない。
そして、感じられる力の質が圧倒的に違う。グウェイのそれは、大きな力を感じたが、ネメルのものにはそれがない。
封じられた人物の違いかと利緒は思っていたが、そうではないというネメル。
「魂の契約。お互いの誓いが交わされて初めて《盟符》は完成するの」
利緒の手から、《盟符》を回収して、紋様が書かれるであろう中程を指でなぞる。
完成させるために必要なピースが欠けている。
「それに契約の内容次第で、魔力の消費を減らすこともできるんだよ」
「魔法の威力を減らすとか?」
「それもあるけど、例えばさ……」
精気で支払うとか。
ネメルはゆっくりと近づいて、利緒の耳元で囁いた。
利緒は反射的にネメルの肩を掴んで押し離す。
「何言ってんだよ」
「あはは、私は夢魔だからね。そう言うのも出来るんだよ」
唇の端をペロリと舐めて、妖艶に微笑む。ネメルは左腕を胸の下に添えて、《盟符》は右手で胸に押しつけるように……。
思わず目を逸らす利緒の態度に、どういう想像をしたのかな、と目を細めた。
どういう想像か。利緒は自問する。
(どういうって、そりゃあ……えっ?)
エロいこと、などと考えようとした途端に、ずきりと頭が痛み、朧げな影が頭をよぎる。
得体の知れない感情が頭で渦を巻いて、それまでの考えを全て吹き飛ばした。
利緒は歯を噛み締めて、どうにか言葉を吐き出す。
「僕は、それを受け取ることはできない」
利緒は見知らぬ誰かへの謝罪を、頭の中で独りごちる。
訳のわからない心臓を締め付けるほどの想い。
(なんだよ、これ)
締め付けるような痛みがあるばかりで、その疑問に答えはなかった。
◇
「……ですって、ディスティマン先生」
ネメルは振りまいていた空気を和らげて、いつもの笑顔を見せた。
声は、リオの背後へと向けられている。
利緒はどうにか振り返って、そこに立っていたグウェイを見た。
「流石リオ君。甘い罠には乗らなかったですよ」
「どうせなら、無茶を押し通すくらいの気概が欲しいんだがな」
ネメルによるこの一連のやりとりは、グウェイの仕込みだった。
利緒は、ネメルの想像する理由とは全く異なる理由で罠を回避したのだが、そのことを察する人間はいなかった。
ひとまず、ネタばらしをしたところで、グウェイは具合が悪そうに、頭を掻いた。
「ネメル、悪かったな」
「いえ、先生には返しきれない恩がありますから」
利緒には理解できないはずの会話。
しかし、何故かその理由がわかった。
2人の過去。《堕ちたる夢魔》の意味、「キ」の名前がネメルに与えられた理由。
利緒は、知らないはずの知識が湧き上がり、その奔流に飲まれた。
「それでよう、カンナリオ」
「……」
グウェイが声をかけるが、利緒は気づかない。
「おい、カンナリオ聞いてるのか!?」
グウェイの怒鳴り声を、利緒は遠くに聞いていた。
利緒の不審な態度に、グウェイが肩を掴む。
「カンナリオ、どうした?」
少し心配そうに尋ねるグウェイの前で、利緒を支えていた線が切れた。
力なく崩れ落ちる利緒をグウェイが抑え、ネメルが慌てて体を支えた。
「どうした!?」
グウェイは利緒を揺すって声をかけるが、答えはない。
「……アニマ?」
答えの代わりに利緒が口にした名を、グウェイとネメルは知らない。
そんな2人の心配とは別に、利緒は今にも破裂しそうな頭痛の中で、影が形になった瞬間を見た。
泣きそうな少女の顔、利緒の身に覚えのない記憶。
その隣には、クーネアがいて余計に意味がわからなかった。
その言葉を最後に、利緒は意識を失った。
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