『碧の章』第38話:呪いと救い
意識が覚醒する。
まぶたをそっと開いて、ぼんやりとした視界。天井が近く、流石に訓練場から移動させられていた。
しかし、それほど時間は経っていないようで、窓の外に青空が見えた。
「リオ君、大丈夫?」
ネメルの声が聞こえた。
利緒が気絶している間、風を送っていたのだろう、その手にはうちわが握られていた。
利緒を見る表情には純粋に気遣う色だけが見えて、あのやりとりがネメルの本心で無かったのだろうと思わせた。
鈍い痛みの残る頭を持ち上げて、周囲を確認する。訓練場の控え室。据付のクッションを枕に眠っていたようだ。
「おう、カンナリオ。眼ぇ覚めたみたいだな」
書類に何やら文字を書いていたグウェイが顔を上げて、声をかける。
「……ご迷惑、おかけしました。」
「ふん、気にすんな」
口は悪いがグウェイも利緒を心配していたらしい。頭を下げる利緒に手を振って、やめるよう促した。
「ところでよぅ……」
【碧の魔法「魂写す翡翠の眼」】
グウェイの眼が僅かに碧色に近づく。
幾度と無く検査の中で使われてきた魔法。その結果が返ってくることは一度もなかったため、グウェイの行動に利緒は疑問符を浮かべる。
数秒経って、グウェイが纏っていた魔力が発散する。グウェイは皺だらけの顔を、さらにクシャクシャにして難しい表情を浮かべた。
「あの、なんですか?」
何か言いたげな、それでも黙っているグウェイが醸し出す空気に負けて、利緒が聞く。
それでも、しばらくグウェイは口を噤んだままだった。
利緒も一度聞いた手前、何度も確認するのは気が引けたため、黙って返事を待つ。
「……なぁ『アニマ』ってのはなんだ?」
何をいうべきか迷ったのだろう、グウェイの質問は彼が最も知りたいこととはズレていて、その回答を持って何かを伝えようとする迂遠なものだった。
利緒は、グウェイの普段と違うはっきりとしない態度に、モヤっとした思いを抱えながらその名前について知っていることを思い起こす。
「アニマは」
アニマとはなんだ。答えようとする利緒は考える。
利緒が知っていたのは、それがファンタズム・ゼノクロスのカードであること。
《蒼の仙客》という二つ名。
スキルを無効にする能力と攻撃寄りの能力値。
蒼の荒野を流離う精霊。
公式サイトで語られるストーリーでは、漠然と生きる生態系の頂点だった。
そのはずなのに、利緒の脳裏に知りもしない彼女が浮かび上がる。
興味深そうに料理を口にした。
数日離れるときには悲しそうな表情を見せた。
初めて送った服を大事そうに抱えていた。
まるで普通の少女のようで……。
「ああああああああああ!」
記憶と共に訪れる強烈な頭痛に利緒は倒れ込んだ。頭を抱えて、叫び声を上げることで必死に痛みに耐えていた。
「リオ君、大丈夫!?」
利緒の急変に対して慌てるネメルと対照的に、グウェイの行動は速かった。
ある程度、こうなることは予想出来ていたのだろう、「至王」の《盟符》を取り出して利緒へと突きつける。
『王の名を唱えよ。掲げし鉾は貴き嘆き。憐れみ全てを抱かんとする傲慢よ。塵芥と共に歩む超越者の業を知れ』
「盟約を果たせ【アッカイリティロイ】」
グウェイがその名前を唱えると同時に《盟符》から色が抜け落ちていく。
起動のために込められた魔力が、《盟符》を中心に陣を描いた。
「本当に、何なんだろうな」
グウェイは、利緒に手を向けたまま呟いた。
至王の《盟符》の契約は「救い」。
苦しみの要因を消すためならば、無限に魔力を変換し続けることの出来る狂気。
ここに、グウェイは必要最低限の魔力だけを残して、全てをつぎ込んでいた。
しかし利緒の持つ魔力の数十倍の力で起動されたはずの陣は、未だに宙に留まり続けている。
利緒を苦しめる呪いが、救いを拒絶する。
力が拮抗しているがために、この異常が維持され続けていた。
◇
グウェイが陣を維持している間、利緒は声を聞いていた。
『普通の学生が、見知らぬ世界にやって来た』
『でも魔法なんて力が使えて、今までしたこともない命を賭けた戦いにも参加した』
『他の人間に出来ないことが出来る』
『異能に眼、魔法とお前は本当に凄いな』
一方的に語りかける声は。
『どう考えたって異常だ』
苦痛に襲われていた利緒にもはっきりと認識できた。
それはカンナリオが異常である、と、断言した。
『カンナリオ』
その声は語りかけるように。
『この問いを忘れるな。『お前はいったい何なんだ?』』
存在理由、その意味を投げかける。この声を最後に、声は消えた。
声の消失と同時に「至王」の契約は果たされる。
留まっていた力が光となって利緒を包み込み、莫大な魔力が苦しみを取り除く。
激痛が消えて、泣き叫ぶ声が止まった。
「僕は……」
意識の混濁と涙でぼやける利緒の視界に映る少女の姿。それは脳裏に焼け付いた幻想が見せる幻。
時間と共に薄れていくそれを眺めながら、利緒は最後に聞こえた疑問を心に刻んだ。
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