第92話 百花繚乱
【前回のあらすじ】一徹達はラヴァハラ城に辿り着き、謁見の間でまみえたのは老齢の女性領主、クラッスラだった。手作りのハーブティーと焼き菓子を振舞われ、早くもヴィオネは陥落。そこで一徹は報奨金を固辞し、代わりに仕事を求めた。これにクラッスラは、南部サウスネスト領に蔓延する小麦の病害「黄昏病」の調査、解決を依頼したのだった。
『ラヴァハラ領派遣特務官』として、サウスネストに赴く事になった一徹。領主であるクラッスラと視察の内容などの詳細を打ち合わせ、最後に羊皮紙の束にサインを書き終えた頃には、夕陽が執務室を茜色に染めていた。
クラッスラと別れを告げ、今はラヴァハラ城から出たヤーンスタット中央大通りを歩いている。
整然と敷かれた赤茶色の煉瓦の上を、四人はのんびりと進んで行く。後ろには影が大きく伸び、教会の鐘の音が遠くに聞こえた。
「ガッハッハ!!しかしまあヴィオネは恐いもの知らずだな!!!! 俺はあの人の恐さは嫌ってほど知ってるから……クックック、中々の見ものだったぞ。あの衛兵どもの顔ときたら……ガハハハッ!!!!」
まるで空気を破るような、豪快な笑い声が大通りに響き渡り「なんだなんだ」と人々は振り返った。だが、その声の主がゲルトールトだと分かると「ああ、隊長さんか」とまためいめいに歩き始める。
ゲルトールトが大声なのは、ラヴァハラの住人にとって当然だったし、また名物でもあったからだ。
その名物隊長の相手のヴィオネは、視線も何も気にする事なく「ピシッ」と一番前を歩いている。だが、ゲルトールトと横並びになっている一徹は気恥ずかしいのか、頰を掻きながら笑っていた。
六回めを最後に、教会の鐘が鳴り終わった。
ボールを担いだ数人の子供達が元気よく駆けて行くのを、そして、労働を終えた男達が笑いながら屋台で酒を飲んでいるのをじっと見つめてから、ヴィオネはチラリと後ろを振り返った。
「表向きがどんなものであれ大切なのは本質じゃ。そんな事を言っていてもお主が一番分かっておるじゃろ、クラッスラがどう言う人物か」
「そりゃそうだな。あの人が恐ろしいだけじゃねえのは、野良猫だって知ってる。今日の雰囲気だと、相当にお前さんらの事を気に入ったんだと思うぞ。まあ、お嬢が孫の年齢に近いのもあるだろうけどよ」
「ほほう、孫か。ゲルトールトは会った事があるのか?」
「ああ、確か三年前まではこの街に居たからな。しかし、あの人も回りくどいと言うか、素直じゃねぇんだよなぁ」
愉快そうに肩を揺らすこの大男を、不審な目で見つめるヴィオネ。僅かに刺さる視線を散らすように、咳払いをするゲルトールト。
「いやまあ、なんだ。とにかくサウスネストの視察を頼んだぜ。あそこは湾岸城塞都市バタとの交易拠点だからよ、皆んな期待してんだが「無駄髭」のせいで、今ひとつ成果が無くてなぁ」
「無駄髭? なんじゃそれは」
「細っこいのに髭なんぞ伸ばして、高尚ぶってるサウスネストの領主が居るんだ。街に着いたら面会になるだろうから、鼻の下にぶら下がってるのをからかってやると良い。焼けた薪枝みたいに真っ赤になってパチパチ吠えるだろうよ、ガハハハハッ!!」
なんだかよく分からないが、まあ良い。ゲルトールトの機嫌が良いところを見ると、今起きている事は悪くない。
明確に「サウスネストに行って小麦の病気を治す」と言う目的が出来たのだ。そして、この一連の流れは次弦調律者のヴィーナによってもたらされた。ならば単純に農業の問題ではなく、リグレッドの件や、『蟄出る月』の集会にも関りがある筈。間違いなく、運命は進んでいる、ならば後はーー。
心なしか足を早めるヴィオネの髪を、そよ風が揺らした。
******
ヤーンスタット中央大通りから脇の「木蔦避け通り」に入ると、若蔓亭はすぐそこだ。宵闇に包まれた煉瓦道は足元が覚束ないが、窓からの灯りが暖かく照らしてくれている。
慣れた動作で樫の古い扉を開き中に入ると、カウンターで記帳をしていたデボネアが、手を広げて迎えてくれた。
「おかえり、話はどうだったんだい? どうせあんたの事だから、また厄介事押し付けられたんだろ?」
テーブルに水の入ったグラスを並べながら、デボネアは人懐っこく笑う。それがなんだか、この街に自分が受け入れられていると感じられ、一徹も頰を緩ませた。
ヴィオネもゲルトールトも、アイフェルドも腰を落ち着けている。
「今度、サウスネストに行く事になりました。現地で発生している小麦の病気に何か役立てないかと思って」
「へえ、そりゃ大変だ。小麦はウチでも毎日使ってるから、あんたが何とかしてくれるんねら安心さね。まあ、しっかりやんなよ」
まるで自分の息子にする様に「ポンポン」と、軽く背中を押すデボネア。長年この若蔓亭を切り盛りしてきた名女将の前では、誰もが家族同然なのかも知れない。
その笑顔には、人を安心させ、寛がせる不思議な力があった。
どんなに落ち込んだ客だって、この老舗宿の扉を出る時には晴れやかな笑顔になっている。これは街の人々の間では当然の事だと思われてる程に。
例えば、元気が欲しい時、一人が寂しい時。それだけではなく、誕生日や何かのお祝いにも勿論、デボネアは喜んでテーブルを空けておいてくれた。
そして、また一人の宿泊客が帰ってきたようだ。
「大丈夫ですか、バルサークさん!?」
一徹は立ち上がって、玄関へと急いだ。
何故ならバルサークは両手に抱えきれない程の、綺麗にラッピングされた箱や紙袋を持っていたからだ。それでも全く危うげがなく、歩きながらでも安定しているのは流石と言った所だろう。
一徹たちが座っていたテーブルに荷物を降ろすと、それはまるでタワーの様に積み上がった。
「凄いですね、これは……」
圧巻の物量に一徹が息を吐くと、バルサークはニコリと微笑んだ。
「みんなの買い物だ、イリア達は少しお茶を飲んでから帰ると言ってな。ならば身軽の方が良いだろうと、私が引き受けたんだ」
「ヘリントン靴店、スワッスナー婦人服、ピンクツリー帽子店……おまけにこの匂いはクッキーかのう。よくもまあここまで買い込んだものじゃな」
「これ全部、イリアさんとエリーナの物ですか?」
「いや、アンズとカリンの分も含まれている。こっちの世界に暮らすなら、服ぐらい要るだろうとプレゼントしたんだ」
一つ一つの箱はどれも上質な紙で作られており、精密な模様が印刷されている。どう見ても安い買い物ではないだろう。バルサークとイリアは資産家なので、痛くも痒くも無い、しかしそれとこれは別である。
一徹は軽く目眩を覚え、バルサークに頭を下げた。
「すみません、きっと店長がワガママ言ったんですよね……」
「ふふ、あんなに懸命にショーウィンドウに張り付かれては買わないわけにはいかないさ。なにしろ私達の世界の物を、それだけ認めてくれている証拠だからな」
会計を済ませ、それを杏に手渡した時のキラキラした顔を思い出したのだろう。バルサークは嬉しそうに頷いた。
「それで、他のメンバーはもう戻るのか?」
「すぐ帰ると言っていたからな、何かエリーナを仕上げるとか、どうとか。とにかく、もうじきだろう」
「うぬぅ、エリーナ……本気を出した様じゃな。衣装で勝負と言うならば、妾も星霊界からクローゼットを召喚するか」
腕を組んだヴィオネは、不敵に口の端を持ち上げた。
エリーナ陣営には参謀のイリアが居るのだ、間違いなく『ギャップ萌え』と言う最大戦力を投入してくるはず。ならばこちらも、イメージを変えて対抗するしかないだろう。
もはや衝突は避けられまい。頭の中でイメージを構築しながら、ヴィオネは作戦を練るのだった。どうも一徹は自分の事を『守るべき対象として』しか見ていない、それでは困るのだ。見た目は十二歳程度の幼さだが、中身は数百を超えている。いずれかこの星を統べる精霊神は、お年頃なのだ。
そうこうしている間に、うず高い荷物は片付けられ、夕食の準備が着々と進んでいた。
正方形のテーブルを三つ縦に繋げ、真っ白なテーブルクロスを掛ける。デボネアの指示のもと、給仕のジェシカが手際よく皿やカラトリーを配置していく。燭台には火が灯され、フィンガーボウル、ナプキン、最後に一輪挿しに紅玉草が彩られた。
「あの子達が戻って来たらすぐ、みんなで暖かいご飯食べるだからね。さぁ座った座った!!」
声を張り上げ、パンパンと両手を叩くデボネアには何人も逆らえない。用意の間、立っていた一徹達は席に戻った。
「うーん、店長たち遅いなぁ。また迷惑かけてないと良いんだけど」
「もうすぐだ、気配が近づいているからな」
「おい、アイフェよ。カリンがベッピンになってても驚くんじゃねぇぞ? ガハハハハ!!!!」
「じ、自分はいつも通りであります!!それに、カリン殿はいつでも綺麗でありますし……いや、決して邪な気持ちでは無くてですね!!」
「ぬ、帰って来た様じゃぞ!!」
アイフェルドは真っ赤になって花梨との関係を否定しているが、「全く興味がない」と言わんばかりのヴィオネが首を外に向けると、キャッキャッとはしゃぐ声が聞こえ、イリア達が中になだれ込んできた。
「ただいまーー♫ ありがとうバル、荷物重かったでしょ?」
「いっくん、見て見て!! これプレゼントしてもらったの!! ほら、花梨もこんなに可愛くなっちゃったんだよ!?」
「私は別に、その、嬉しいけど……」
「もー、皆んな可愛すぎて色々迷っちゃったわ!! うふふ」
「あ、ほら! アイフェルドさんがすっごい見てるよ花梨!!声かけようよ!!」
「やめてよ杏ねぇ!! 後で……後で話すんだから!!」
「どうかしら? アンズとカリンのアドバイスを聞いて地球風にしてみたの!!」
まるで黄色い嬌声をバケツからひっくり返したように、それぞれが賑やかに声を弾ませている。
イリアは裾の広いクロップトパンツにハイヒールブーツ。短めのシャツにやや落ち着いたジャケットを羽織っている。グレーと赤を基調にした大人の雰囲気だ。
杏は控えめなフリルのついたワンピースに、長い袖のフード付きコート。足元はストライプのレギンスにショートブーツ。頭にはベレー帽がちょこんと乗っかっている。
花梨は星をモチーフにしたジャケットに、ワンポイントに模様染されたインナー。ミニスカートにニーソックス、編み上げのブーツ。首元にはストールを巻いている。
現代の雰囲気も取り入れつつ、やはり異世界のファッション。誰もが似合っていると、一徹は感心した。
三人が良く見えるようにクルクル回ると、食堂が途端に華やかに明るく感じる。イリアは軽くバルサークの頰にキスした後、一徹に意味深な笑顔を向ける。
「ただいま、イッテツ」
「お、お帰りなさい、イリアさん」
まるでとっておきの悪戯を隠し持った小悪魔のような、その笑み。
「さてさて、それじゃ準備は良いかしら?」
一瞬、何の事か分からず、一徹は困惑した。
「じゅ、準備、ですか?」
「そうよ、『心の準備』よ。絶対ドキドキしちゃうんだから、 覚悟してよね。うふふ♫」
パチっとウインクして、イリアは入り口まで行くと扉に手をかけ、ゆっくりと開いて見せた。何が起きるのか、いつの間にか両手を握っていた一徹の喉が鳴った。
まず、空気が、変わった。
香りだ、この甘く透明な瑞々しさは芍薬か。
目に飛び込んだのは、天女が舞い降りたと錯覚しそうな薄いヴェールと、艶かしい光沢のあるコーラルピンクのワンピースドレス。それにかかる蜂蜜色のウェーブがかった髪、一部は丁寧に編み込まれ、花の飾りが揺れている。
ベビーピンクのルージュ、長い睫毛は恥ずかしげに下を向いて、瞳は潤み頰は紅潮していた。
少女の濡れた唇が、ゆっくりと開かれる。
「その、私⋯⋯変じゃない、ですか? イッテツさん」
「へ、変、じゃ⋯⋯ない、よエリーナ」
一徹の首に掛けていたナプキンが、「パサッ」とテーブルに落ちた。
この朝に別れるまで、エリーナはいつものエリーナだった。素朴で、草花や動物が好きで、優しくて穏やかな、年頃の少女。それが今やどうだろうか、まさに開かんとする花弁の妖艶さを含んだ、時を止めてしまう儚い美しさがあった。
いつの間にか空けられた隣の席に、エリーナはゆっくりと座る。髪をそっと耳元にかきあげ、恥ずかしげに上目で見つめる瞳。肩と肩が触れそうなほど近く、一徹は思わず冷たいグラスを手にとって飲み干した。
体が熱い、また喉が乾く。
「⋯⋯今日は、どうでしたか?」
「え!? 今日は、領主様に会った、んだけど」
「はい」
「今度、サウスネストに行く事になったんだ、仕事を依頼されてさ」
「そうですか、私も嬉しいです」
「小麦の病気を治しに⋯⋯その、エリーナ?」
「はい」
「ち、近くないかな、いつもより」
「いえ、近くないです」
「そ、そうかな」
どうにか頷くと、再び注がれた水を一徹はあおった。おかしい、いつものエリーじゃない。いつも通りじゃないのは自分もそうだが、だったら、そう感じるだけで実際は近くないのか。
一徹の胸中をよそに、事実、二人の距離は近かった。向かいに座る参謀がアイコンタクトで指示を出していたからだ。杏も、その他の面子もニヤニヤと楽しんでいる様子。唯一、ヴィオネだけは悔しそうに唇を突き出していた。
「さあさあ、それじゃ料理を出すからね!! 」
デボネアが声を張り上げる、夕食は始まったばかりだった。




