第91話 城塞の主人
【前回のあらすじ】……若蔓亭で朝を迎えた一徹たち、和気藹々とした食卓の中で一徹はエリーナに街の案内を頼んだ。それを聞いた杏の提案により、エリーナの服選びに出かけることとなった。
一方、一徹とヴィオネはゲルトールトとアイフェルドの案内によりラヴァハラ城に向かう。道中で内心エリーナに一徹を独占される事を心配したヴィオネに、即席のコサージュをプレゼントした一徹。そして四人はラヴァハラ城へと足を踏み入れた。
四本の巨大な石柱で構成された見上げる程のラヴァハラ城の入り口をくぐり、葛折りに曲がりくねった大理石の回廊を通り抜け、ようやく謁見の間に辿り着いたのはちょうど正午の鐘が鳴った時だった。
屈強堅固な数千の兵士に守られ、ラヴァハラ周辺の領民を合わせれば数十万の民の治世の中枢。
だが城塞都市としての性格を表しているのか、頑強な石造りの広い空間は無機質と言えるほどに飾り気が無かった。普通なら豪奢なステンドグラスが嵌められているだろう縦に長い飾り窓も、ごく当たり前の板ガラスのみ。
そんな中、乳灰色の大理石のタイルに一分の隙もなく真っ直ぐ敷かれた赤い絨毯を一徹達は進んでいた。
良くも悪くも、空間というのは持ち主の性格を表す。
一切の虚飾を排したであろう城内、そして塵一つなく完璧に磨かれた調度品類。そのどれもが黙しても静かな圧を感じさせる。それはまるで聖堂にも似た雰囲気だった。
赤い一本の道を歩いて行く一徹の喉が緊張で鳴ったのを、ゲルトールトは聞き逃さなかった。
「なんだ、そんなに固くなるこたぁねぇ。俺も付いてる、真っ直ぐ顔を上げてりゃ大丈夫だ」
ニィっと白い歯を見せて笑うゲルトールト、一徹は何とか頷き、もう直ぐそこまで迫っている玉座へと目を向けた。
ちょうど昼の陽射しが逆光になり、その姿をうまく捉えることは出来ない。
両横に控えていた二人の兵士が前に進み出て、確認の為か一徹達の前に立ち止まった。ゲルトールトと顔見知りらしく、頷きあうとまた直ぐに横に道を譲った。それはゲルトートが信頼されている証であった。
玉座まで約三メートル、時間が止まったかのような静寂が満たされる。
「ラヴァハラ駐屯憲衛隊大隊長、ゲルトールト。勅命によりカガ・イッテツ様、ヴィオネ様を此処にお連れしました!!!!」
雄々しくゲルトールトが胸を張り、玉座に向い直立不動で敬礼した。それに合わせ、謁見の間に配置された数十人の兵士達も拳を胸に当てる。
ゆっくりと、立ち上がるラヴァハラ城主。そして、一歩ずつ一徹達に向かい歩みを進める。
まるで光の中の陽炎だったその姿が、徐々に明らかになっていく。
ついに距離、一メートルと僅か。そこに立っていたのは一徹の予想に反し、白髭をたくわえた厳しい王などでは無く、一人の老齢の女性だった。
白髪の混じったグレーの髪を後ろに束ね、どう見ても高価ではない、だが品のある木綿のシンプルなドレス。皺の刻まれた、やや痩せた細い顔。
風貌だけで言えば、家庭教師と言われた方が誰もがそう思うかも知れない。
だが、銀縁の眼鏡の奥の鋭い眼光が、王の資質を物語っていた。まるで白峰の銀世界に咲く一輪の百合のような、どこまでも気高く、気品を感じさせる強い双眸。
「ゲルトールト、ご苦労様でした」
落ち着いた、厳しさと温かさを同時に感じさせる声にゲルトールトは深く一礼し、そのまま一歩下がった。
必然的に一徹が前になる形になり、やや慌てながらも背筋を伸ばしお辞儀をする。
貴族に対しての礼儀作法がこれで良いのか分からなかったがそうするしか無かった。いや、そうせざるを得なかった。この女性から来る静かな覇気に圧倒されたからだ。
しかしヴィオネは違った。
彼女はごく自然体で、気負いもなくただ立っていた。
金色の瞳は真っ直ぐに領主である女性を捉え、二人はしばらく見つめ合った。
城内にわずかな緊張が走る。
長く短い、流れるに流れぬ時間
兵士達からすれば、この王の目を真っ直ぐに見つめる事が出来る人間が居ることが驚きだったのだ。
それが誰であれこの城と同じく、彼女の前に虚飾も見栄も存在する事は許されないのだ。金に薄汚い御用商人や、貴族、はたまた軍人。利権を貪ろうと近づいた輩達は憐れな末路を辿って行った。
だが先に視線を外し、その場に跪いたのはーー。
「マイスヴェルガ王国辺境伯、クラッスラ・イオ・デュフォーと申します。ヴィオネ様に於かれましては、呼び立てした失礼をお詫び申し上げます。どうか、お赦し下さい」
ザワザワと戦慄が走る、自分達の王が誰かに頭を下げるなどあっただろうか。それもどう見ても成人前のか細い少女に。
だがその少女は、堂々と謝罪を受け取り、仁王立ちで腰に手を当てている。
「ヴィオネじゃ!! 許す!! 其方も街の住民に対しての顔がある故にこうしたのじゃろう、城主が下町に出向く訳にもいかんからな。そんな事をすればたちまちパニックになるじゃろう。妾は今はただの「ヴィオネ」に過ぎん、母上とてそれは承知しておる。じゃから遠慮する事はないぞ? ハッハッハッ! なのじゃ!!」
「……有難きお言葉。今日はヴィオネ様とイッテツ様のために席をご用意致しました。粗茶ではありますが、召し上がって下さい」
「うむ、ちょうど喉が渇いておったのじゃ!!」
朗らかに笑うヴィオネ。一徹は少し緊張が取れたのか、クラッスラに軽く頭を下げた。
「加賀一徹と言います、今日はお招き頂きありがとうございます」
先程とは打って変わって、優しい瞳でクラッスラは一徹に話しかけた。
「貴方はあの兄とは違って優しいのね。いえ、イクトも優しいけれど貴方は……また違ったタイプね」
「イクトに、兄に会ったんですか!?」
「ええ、何度か。 私は初めて会った人間には敢えてああした態度を取るのだけど、イクトは私を睨み付けて離さなかったわ。まるで鎖の付いてない狼の様で……ふふ、もう随分と前の事だけれども」
「それは兄が失礼を……すみません」
あの傲岸不遜の兄の事だ、街の不良でも大統領でも王様でもそれが神でも喧嘩を売られれば間違いなく買うのだ。
溜息を付いて肩を落とす一徹だったが、クラッスラは楽しげに笑っていた。
「それじゃ応接間に案内するわね、粗末なお茶だけど私が菜園で育てたハーブティーよ。お口に合うと嬉しいわね……ヴィオネ様は甘い物はお好きかしら?」
「もちろんじゃ!!」
「今朝から桃林檎のタルトを焼きました、ちょうど熟れていたので美味しいと思います」
「ぬぅ……タルト、じゃと? 妾の好みを良く分かっておるのう」
「ええ、抜かりありません。古来より戦とは知る事が鍵となり扉となりますから。イッテツ様も甘い物は召されますか?」
「イッテツ、で良いです。その、クラッスラさんに申し訳ないですし」
「じゃあイッテツ、私の事はクラッスラで良いわよ」
悪戯っぽく笑うクラッスラに、一徹は降参したとばかりに頭を掻くばかりだった。
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「ムグムグ、これは美味いのじゃ!! クラッスラ、妾はおかわりを所望するのじゃ!!」
「はいはい、ヴィオネ様。まだまだありますから沢山召し上がって下さい」
程よく黄金色に焼けサックリとした厚手のタルト生地に、シロップ漬けにされた桃林檎が艶やかしい。
謁見の間に比べれば、随分と小さな応接室。だが南側がガラス張りになっており、季節の花々やバラが咲き誇り香りを漂わせている。そして、中央に置かれたテーブルでヴィオネはタルトをリスのように頬張っていた。
円卓の上には、他にもドライフルーツや小さな焼き菓子などが並んで目と舌を楽しませる。
「モグモグ……しかし、どれもこれもクラッスラの手作りとは……ゴックン。なかなかの料理上手ではないか」
「ありがとうございます、そう言って頂けると幸いです」
「とても先の大戦で『竜眼の魔女』と呼ばれ、十万を二千の軍で下した智将とは思えんのう」
「昔の話です、寄る年波にも勝てない一人の老婆に過ぎません。今では畑と孫の顔だけが楽しみなのですから」
クラッスラは静かに微笑みながら、ヴィオネのカップに紅茶をゆっくりと注いだ。
ゲルトールトとアイフェルドは部屋の外で待機している、ゆえにこの部屋の中は一徹とヴィオネとクラッスラの三人のみ。静かな午後の時間だった。
「今日お呼び立てしたのは、他でもなく報奨金の事なのですが」
姿勢を正し、クラッスラは一徹の目をじっと見つめた。
「先の魔王討伐、そしてラヴァハラ領の住民の救出に我々からの恩謝として五千万ルオンを。そしてイッテツ様には、領内における特級市民の称号を用意致しました。使用人付きの屋敷と、僅かですが領地、そして永久的な税の免除がその権利となります。改めて、感謝を」
五千万ルオンあれば、このラヴァハラでほぼ一生食うには困らないだろう。そして住むための屋敷に収入源となる領地、おまけに税を一生払わなくても良い。
普通の市民なら喉から手が出てもおかしくない褒賞だった。
だが一徹はヴィーナのアドバイスを思い出すと同時に、自分が過大評価される居心地の悪さを感じて頭を下げた。
「……申し訳ありませんが、辞退させて貰いたいです」
普通なら子爵クラスのクラッスラが手ずからもてなし、褒賞まで与えようとしているのを断るなどあってはならない事だった。だが少しも表情を変えずに、クラッスラは言葉を続けた。
「それはどうしてですか?」
まるで波のない静かな水面の様なクラッスラの瞳、もし一徹の返答に一片の嘘や曇りがあればすぐにでも波紋を映し出すだろう。
戸惑い、上手く整理もつかない。だが真摯に、一徹は目を逸らさず一句ずつ言葉を紡いだ。
「……俺は、褒めてもらう様な事をしたとは思えません。周りの人達に、助けてもらって出来た事です。俺じゃなくて他の誰かだったらもっと上手く出来たかも知れませんし、とにかく……褒賞は俺が受け取るものではないと思うんです。それに、俺は貰ったお金じゃなく自分の力で生きていきたいと思っています、そうでないと助けて貰った人達に顔向け出来ないですし……じゃあお前は何が出来るんだって、言われれば……自信無いですし……生意気ですけど……申し訳ありません」
一徹がそう言い終わると、クラッスラは頷いた。
「……答えの分かっている問いほど面白く無いものはないと思っていたけれど、そうでも無いものね。貴方の人となりが見れた事は、十分に価値のある事だわ」
楽しげに笑うクラッスラ。しかし一徹は話が飲み込めずにいた。
「ごめんなさい、こちらの話よ。それでは、褒賞は残念だけれどなかった事に。でも何か……ささやかな事でも何か私にできる事はないかしら? これは個人としてだから、遠慮しないで頂戴ね」
「では紅茶のお代わりじゃ!!」
タルトの最後の一切れを飲み込んだヴィオネが満足そうに息を吐いた。
皿にあったホールの桃林檎のタルトは、見事なまで綺麗に無くなってしまったようだ。
「はいはい、今淹れますからね」
「すみませんクラッスラさん……。ヴィオネ、ちゃんと目上の人は敬わないとダメだろ」
「何を言う、妾はそもそも人間ではない。人間のルールなぞ関与する所ではないのじゃ」
「そうかも知れないけど……」
「いいんですよ、こうして遠慮なく接してくれる事が一番嬉しいのですから。それにヴィオネ様は私なぞ及ばない高位のお方ですし、むしろこちらの方こそ無礼者と呼ばれるでしょう」
「全て許すのじゃ!!妾はこの街に住む、また茶でも飲みに来るのじゃ!! なははは!!」
クラッスラはニコニコとしているが、一徹は胃が重たかった。ヴィーナのアドバイスの二つ目、それを今から切り出さなければならないからだ。
残った紅茶をグイッと飲み干し、一息ついてから一徹は弱気を払うように咳払いをした。どうにも頼み事をするのは気が引ける性分だ。
「あの、じゃあ遠慮なく、ですけど……クラッスラさんにお願いがあります」
「はい、何でしょう?」
両手を揃え膝の上に置き、クラッスラはじっと一徹の言葉を待っている。それは一徹に勇気を持たせるのに十分に、優しさを感じさせる所作だった。
「その、俺に何か……仕事をくれませんか?」
その言葉が予想外だったのか、ほんの少し目を開いたクラッスラは次の瞬間、顔の前に手をやり考えるそぶりを見せた。
「あの、何でも良いんです……俺に出来る事があれば、何でもします」
クラッスラは一徹の言葉を聞きながらも、黙って自分とこの青年の分のハーブ入りの紅茶をカップに注ぎ、それに口をつけた。
ふくよかな花の香りが広がる、満腹になったヴィオネはすでに眠たそうに瞼を擦っている。
何かを探るように思索するクラッスラを、一徹は黙って見つめた。
その内に、自分の考えを後押しするように頷いたクラッスラは短く切り出した。
「では、頼みたい事が」
自分の頼み事が受け入れられ安堵した一徹は、内心胸を撫で下ろしながら椅子にしっかりと座り直し姿勢を正した。
何を頼まれるにしろ、この世界で生きていくための一歩になる筈だ。何故なら信用と言うのはこういった事から積み上げていくものだ、特に一徹の様に店を構えるのならそれは尚更の事。
自然と体温が上がるのを、一徹は感じた。
「貴方は花屋をやっていたと聞きました、でしたら植物の事に関してお詳しいのでしょう。そこを見込んで、お願いがあるのです」
「はい、ある程度ではありますけど。どんな事でしょうか?」
一呼吸置いて、サンルームの向こうの遠い地平線を眺めながらクラッスラは目を細めた。
「ここより南下した所にサウスネストと呼ばれる街があります。これと言った名産もない、ごく普通の田舎町なのですが……どうやら火山灰で出来た土壌が問題なのか作物の生育が思わしくないのです。土地そのものは広大で大きな河川もあり水も潤沢なのですが、力を入れている小麦類の収穫が少ない、それをどうにか出来ないかと我々も試行錯誤しています。ですが……なかなか結果に繋がらないのが現状なのです、どうか『来訪者』たるイッテツ様のお知恵をお貸し願えないでしょうか?」
クラッスラは黙して頭を下げた。
「火山灰……ローム層みたいなものですかね。となると、排水の問題は無いだろうけど……やっぱり土壌のph値か……えと、他の植物の生育は問題ないんですか?」
「ごく普通に森もありますし、草原もあります。ですが小麦類に限って葉が黄色く変色して枯れてしまうのです。地域の住民はこれを「黄昏病」と呼んでいます」
幾つかの推論を整理し、一徹はペンと紙を取り出し、紙の中央に真っ直ぐに線を引いた。
そして紙の右端には数字の「14」、その逆には「1」と書き記した。
「イッテツ様、これは一体……?」
「これは『土壌の酸性度』を表した物です、中心から左側が酸性、右に行くとアルカリ性となります。」
「ある、かり……ですか?」
この世界でアルカリ性と言う概念はまだ一般的で無い、錬金術師達の間でごく一部の者達が理解している程度だった。
「まあ天秤のような物だと思って下さい、あまりどちらに傾いても植物は育ちません。ですがそのサウスネストの土壌がもし火山灰の影響を受けているなら……おそらくph値は4から5あたりでしょう。小麦類の生育に必要なph値は6・5ですから……やはり、土壌の酸性度が影響してと考えられます」
ph値の基準となるのは7なので、サウスネストの土壌は大きく酸性に傾いている。それでも問題ない植物もあるが、こと小麦類に限って言えば生育不良を引き起こすのだ。
馴染みのない言葉だが、一徹の書いてくれた図を眺め、クラッスラは頷いた。
「ではその『ph値』と言うのを上げれば問題はないのですね?」
「そうですね、ただそれだけが原因か実際に土壌や作物を調べてみないと何とも言えないですけど……」
『黄昏病』と言うのがウィルス性の物だという事も考えられる、こればかりはやはり現物を見てみない事には分からないだろう。
「では、現地に調査をお願いしたいのですが宜しいですか? もちろんかかる費用はこちらで負担しますし、相応の報酬も用意させて頂きます」
「分かりました、どこまで出来るか分かりませんけど……引き受けさせて貰います」
いつの間にか、横のヴィオネはウトウトと船を漕いでいる。
あれだけ傍若無人に振る舞っていても、眠ってしまえば年頃の可愛らしい少女そのもの。真剣な一徹の眼差しとの差が面白く、クラッスラからつい笑みがこぼれた。
「宜しくお願いします、イッテツ様、ヴィオネ様」
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読んで下さって、ありがとうございます。
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遅れましたが新年明けましておめでとうございます。皆様方の益々のご発展を心よりお祈り申し上げます。どうか本年も『Botanical life』にお付き合い下さいませ!!
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