第93話 夢魔の香り
【前回のあらすじ】⋯⋯クラッスラと別れ、ラヴァハラ城を後にした一徹達は若蔓亭へと帰ってきた。家族同然に扱ってくれる女将のデボネアに一徹は頰をゆるませる、そこに大量の荷物を抱えて帰ってきたバルサーク。そして少し遅れ、イリア、杏と花梨が帰ってきた。それぞれがオシャレに着替え、食堂は華やかに色づいた。そして、最後にイリア監修のもと変身を遂げたエリーナが姿を見せたのだった。
若蔓亭はライトベージュの漆喰塗り壁に、古い重厚な木組みで出来ている。
全体的なインテリアは、古いヨーロッパの老舗宿と言って良いだろう。それぞれが古いながらも丁寧に扱われ、綺麗に保たれている。
天井は梁が剥き出しになっており、そこから丸ガラスで囲われた魔導ランプが吊るされ、薄ぼんやりとしたオレンジの光をテーブルに落としていた。
「さて、それじゃまずはスープからだよ!!」
女将のデボネアと給仕のジェシカによって、一徹たちの前に平皿が置かれた。
湯気を立てるそれは薄いクリームがかった緑色で、中央には赤い線が描かれていた。
「せっかくの春だからね、朝採りアスパラガスをポタージュにしてみたよ。その赤いのはトマトとスパイスを煮詰めたソース、混ぜないでアクセントとして食べておくれ」
デボネアがウィンクをしてからテーブルを離れると、一徹たちは両手を合わせて「頂きます」を、バルサークたちは食前の祈りを済ませ、スプーンを手に取った。
一徹がそっと銀の匙でスープをすくい上げると、ややとろみのある液体から爽やかなアスパラガスの芳しい香りが立ち昇った。使われた食材の新鮮さと、それを活かす腕の良さをあらかじめ教えてくれている。
「うわっ、良い匂いだな。それじゃ……」
鼻腔をくすぐられ誘われるように、一口で熱々のスープを口に運ぶ。
真っ先に、アスパラガスの柔らかな風味が駆け抜ける、そしてほんの少しの苦味。そして野菜本来の優しい甘みと、生クリームの芳醇なコクが、舌をじんわりと包んだ。
長い冬を越えて、春の生命力と喜びをめいっぱいに歌う、そんな味だった。
(これは、美味しいな⋯⋯)
一徹は見事な味に驚きつつも、皿の中央で鮮やかに浮かぶ赤い別のソースに興味をそそられた。
まるで一枚の絵画のように線が流れ、崩すのが勿体無いと思う。
しかし意を決して、スプーンでポタージュとソースを一緒にすくい上げ、口の中へ。
酸味、それもトマト独特のフルーティな。そしてピリッとした唐辛子の辛味、いくつかの香辛料。
舌の上で若葉色と赤の二つは混じり合い、甘さと辛さを絶妙なバランスで引き立て合いながら、喉を通り過ぎていった。
「ふぅ……めちゃくちゃ美味しい……」
一徹が身体を緩ませて、息を吐くと、途端に胃がぐるぐると動き始めた。もっとよこせ、もっと食べさせろと胃袋が暴れているのだろう。
すかさず脇に置かれたバケットを手でちぎって食べる。
もっちり、ふんわりとした程よい硬さ、小麦の香ばしさが再び食欲を刺激する。熱いスープへ、バケットを浸して、食べる。そしてまた、たっぷりと染み込ませて、一口に食べる。
気がつけば、あっという間に皿の中は綺麗になっていた。
前菜がこれではたまったものでは無い。ナプキンで口を拭い、そんな事を一徹が考えていた矢先、次の皿が来たようだ。
隣のエリーナをチラリと見るが、普通にニコニコしながら上品に食べている。今の所なんの問題もなさそうだ、ただ凄く可愛いと言う一点を除いて。
一徹は、エリーナがすぐ隣にいる事をなるべく気にしないように努めた。しかし気がつけばバケットをちぎる細い指先に目を奪われ、小さく開いた艶かしい唇に心臓が高鳴るのを抑えられなかった。
なぜなら、今まで見たどんな女の子より可憐で、目眩がするほど魅力的なのだ。色恋沙汰を避けてきた免疫のない一徹なら尚更、そうなるのは無理もなかった。
「あいよっ、次はラヴァハラ豚の生ハムと温野菜のサラダ仕立てだよ!!」
木のボウルに容赦無く盛られた温サラダが、「ドン!!」とテーブルに置かれる。
ホカホカと美味そうな白い湯気が、スープで受け入れ態勢万全となった胃袋へ流れ込む。
幸せがあんまり一気に押し寄せると、人はどうして良いか分からなくなるらしい。
一徹はとりあえず温サラダを口にめいっぱい放り込んで、どうにも落ち着かない気持ちと一緒に、無理やり飲み込んだ。
******
そこからは良く覚えていない、なぜか気がつけば食堂には一徹とエリーナしか残っていなかった。
テーブルはすっかり片付けられ、淡いピンクのアロマキャンドルが揺れ、二人分のワイングラスをユラユラと照らしていた。
実は二人きりにする為、イリアが密かに一徹に昏睡魔法までかけたりしていたのだ。目覚めたばかりの当の一徹は、まるで狐につままれた顔で辺りを見回している。
「あれっ、みんなは!?」
「皆さんなら、もうお部屋で休まれていますよ。隊長さん達と杏さん達は、近くの酒場に行きました。勝負をするんだって言ってました」
「そっか……。あ、じゃ、じゃあ俺も酒場に……」
「私と二人じゃ、イヤ、ですか?」
「え!? 全然イヤなんかじゃないよ! その、なんて言うか飲みたい気分っていうか。だから……」
「それはちょうど良かったです。はい、一徹さんどうぞ」
エリーナは笑顔で、ワイングラスを一徹に差し出した。
薄暗い食堂の中で、淡い光に浮かび上がるエリーナは妖艶な美しさを持っていた。なめらかな蜂蜜色の髪、唇、細い二の腕、爪先。
「あ、じゃあ……」
立ち上がりかけていた一徹は、ストンと腰を下ろし夢遊病の様にグラスを受け取った。
おかしい、何かが変だ。今日に限ってどうも内側から不可解な熱が湧き上がってくるのを感じる。まるで心臓の中で、鉄鎖に繋がれた狼が暴れまわっているようだった。
それもエリーナの姿を見て、芍薬の香りを嗅いでから。そこまで考え、一徹はハッと顔を上げた。
「ナクル、居るか」
途端、エリーナからは死角になった空中に『聖櫃』の漆黒のプレートが浮かび上がり、人工音声の美しい声が響いた。
《はい、マスター。お呼びでしょうか》
「なんか、体調が変なんだけど……。エリーナの香水を調べてくれないか」
エリーナには聞こえないように小声でそう伝えると、『聖櫃』は赤く微光し、大気中の成分分析結果をイメージとして一徹の脳内に投影した。
《この香水には『サキュバスの雫』という媚薬が含まれています、それが体調変化の主な原因です。時間経過と共に催淫、誘惑、体温上昇、発汗、動悸といった作用があります》
だから二人きりにされたのか、と一徹は納得した。
他の人間に催淫作用が働いたらとんでも無い事になる、いや、自分もこんな酷いお預けをくらうような気持ちは勘弁してほしいものだが。
おそらくエリーナは何も気づいていない、どう考えても悪玉参謀の仕業だろう。
ともかく『聖櫃』に解毒と抗体の作成を頼むと、不調は一瞬で解消され、靄がかっていた思考が澄んできた。
「どうかしましたか?」
左右に軽く頭を振る一徹を見て、エリーナが不思議そうな顔をしていた。どうやら当人の知らないうちに問題を解消できたようだ。
エリーナが『サキュバスの雫』の事を知ったら、間違いなく気まずくなってしまう。それは一徹にとって良くない事なのだ。
とりあえず、黒幕には後でお仕置きをするとして。
周りが何か色々と思っていようとも、純粋にエリーナと仲良くなりたいと思っている。こんな素性のわからない人間に優しく接してくれている、それは感謝以上の何かだった。
「いや、何でもない。ワインのお代わり貰えるかな?」
一徹が微笑むとエリーナは、花が咲く様な可愛らしい笑顔でワイングラスを受け取るのだった。
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ご無沙汰しております、のんびり進めますのでよろしくお願いします!!
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