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二輪の騎士  作者: 小町
第四章
83/84

第80話 リスク

「ダニロ男爵様、先だって私が口走ったことを覚えていらっしゃいますか? 意趣返しの件ですけれど」

 前置きもかねて小町が問うと、かの人物はギロリと娘を睨みつけた。

「覚えておる。あいにくと物覚えは良い方でな、懇願されても忘れられそうにないぞっ」

 鼻を鳴らさんばかりの応じようは、ダニロ男爵の胸中を物語っていた。対等だと言い張る娘のことを、やはり、小賢しいと感じるのである。

「意趣返しを“ついで”だとぬかしおったのだ、まったく不愉快なっ」

 この武人が憤怒とまでいかないのが小町には幸いだった。話を先へ進めるために、舌戦となるのは避けたいところなのだ。そこで小町は、できるだけ穏やかな口調をつとめ、ニッコリ笑んでみせた。

「でしたら、返すものは意趣だけではないとも申し上げましたけれど、きっとあなた様なら覚えていらっしゃいますわね」

「……更なる仕返しであろうよ」

「残念ながら、仕返しは済んでおりますの。不愉快だと思っていただいた時点で果たしておりますもの。私も不愉快でしたし、あなた様も不愉快な思いをした。……つまり、一勝ずつの痛み分けで、今は対等にございますわ。別なものをお返ししたいと申し上げております」

 痛み分けなどと言われ、ダニロ男爵の鼻息は再び荒くなったが、やはりどうにも勢いを失っていた。数発の舌打ちを噛み殺すような、妙な様相なのだ。

 小町の腕時計に気を取られていたパリスは、ひとまず文明の利器を頭の隅に追いやって、内心でほくそ笑むのである。深みにはまる大熊を眺めるのは悪い気がせず、むしろ小気味よくさえあった。まんまと紅しゃけに食らいつくのだから。

 そのように思う反面で、小町の芸当にも感心していた。理屈と屁理屈を巧みに使い分けて言い負かし、武将たちの矜持を逆手に取った上で、今度は己の意図するところに話を持ち込もうとしているのだ。一種の陽動であろう。

 この芸当は、なかなかどうして、そう容易くできるものではない。パリスなどは心得がある類の人間だが、こうも思い通りに事を運べることは滅多になく、ほとんど稀といっていい。多少の脅しを含めなければ成功しないというのに……

「何を言いたいのか知らんが、受け取るものは詫び以外にないと思え」

「ご安心なさいませ。悪いことをしたとは微塵も思っておりませんから、謝る気なんてありません。でも、そうね……確かに回りくどい言い方でしたわね。あなた方も私も、少々頭に血が上っておりますし、最も重視すべき話を怒り狂ったまま話し合うのは不毛にございましょう? ここは少し冷静になって、考えては下さいませんか?」

「話し合うことなどないと言うておるっ」

「頑固な方ですわね」

 クスクスと小町が笑い、噛み殺す舌打ちの数を大熊が乗じていく。失敬な文言ばかり放っているのに、本気で興が削がれているようだ。

 独自の物差しで大熊の腹の虫のいどころを測ってみた小町は、これなら強めに出ても問題なしと判断し、強引に踏み込むことにした。

「では、強制的に考えていただきますわね。言い方をかえましょう。あなた方から奪っているものがある。お考え下さい」

「…………奪った、だと?」

「はい、奪っております。あなた様に限らず、他の皆様からも奪い続けております。意図せずと申し上げても私が奪っているのは事実。返せるものなら返したいと思い、ここまで参ったしだいです」

 ダニロ男爵が不愉快そうに眉を寄せ、パリスが感心するそばで、コーエン卿は少量の顎髭を撫でながら、厳めしい表情で考え込んでいた。こちらの武人も小町の術中にはまる一人だが、こちらはこちらで、ダニロ男爵とは別の意味で深みにはまり、石頭をひねりにひねって真面目くさって考えているのだ。

 意趣返しは済んだ、だが、他にも返す物がある、と、この娘は主張する。それも皆から奪っている物と言うが……はて……

 コーエン卿のみならず、その場にいる誰もが訝るのである。むろんパリスも同様で、小町の術中と分かっていながら、果たしてそれが何を指しているのか、思い当たる節がない。この手の揺さぶりに耐性がつきつつあるランバートも右に同じである。“奪った”などと聞くと、条件反射で“窃盗”の二文字を連想する男だが、この娘にかぎってそんな真似はするまいと思う。

 誰もが見当さえつかない中で、小町は十分な間を持たせて口火を切った。

「士気です。私が奪っているのは”士気”」

「……それは……兵の士気のことか」

 コーエン卿の問いかけは自問自答でもあった。まさかという思いである。

 ところが娘は、神妙な様子で頷き、はっきりと答えるのだ。

「その士気にございます、伯爵様。兵の士気を、あなた方に返しとうございます。奪っているのは事実でございましょう」

 武将たちは絶句した。

 兵の士気とは……これはまた……

 士気とはつまり、兵の意思であるのだ。戦いに向かう意気込みとも言うべきもので、個々の心理に大きく左右するものだ。軍における場合は特に、多くの兵が集まり一つの目的に向かって行動せねばならず、兵力や装備、配列や戦法などの要素と並び、それはそれは重要なものの一つであった。

 それをこの娘は返すと言うのだ。返そうと思ったところで、やすやすと返せるものではないというのに……

 絶句したのは、なにも武将たちだけではない。パリスとランバートも聞き間違いではなかろうかと、そんな心境である。指揮官がアホのように吠え立てたところで、兵に響かねば決して士気は上がらない。統率をはからねばならない武将たちにとって、あるいはパリスやランバートにとって、士気を上げることの難しさなど身に染みていた。

 しかし確かに、軍の中に女人がいる事実を訝る兵は多く、さらには先刻のディクシードの暴走もあいまって、小町に対する兵の反感はひどいものとなっていた。それを、奪ったから返すと……

「士気というものが、軍にとってどれほど重要であるのか――どれほど重きを置かれるものであるのか、そちらも存じ上げております。さすがに、あなた方ほど精通しておりませんけれど……。ですが、明日の討伐は少ない兵で挑むと聞いておりますので、返す手段を模索しておりました。兵の不信感はこの身で感じておりますから」

「そうは言うがな、コマチ殿――」

 再びコーエン卿である。少々身を乗り出していた。

「士気とは、物の貸し借りとは違うのだ、返す返さんというものではない。どれほど我らが鼓舞したところで、そう簡単に上がるものでもないのだぞ」

「仰ることも承知しております。私にも……どれほど返せるのかは未知数ですから」

 あくまでも返せる、と小町は主張した。

「当事者である私が提案するのもおかしな話かもしれませんが、現状のまま兵に不信感を抱かせておくよりも、少しでも上がる可能性があるなら、試してみるに越したことはないと思うのですが、あなた方はいかがお考えなのでしょうか」

 小町が言い終えると、今度は妙な静けさが訪れた。娘の主張を聞くうち、軍における士気がどういうものか、この娘は理解できているのではないか、と、かの武将たちも思い始めたのである。

 であるなら、どうやって上げるのか――

 それが疑問だというのに、問うのが何せ癪に障る武将達である。ただの娘ごときに教えを乞うなどと、彼らの矜持が許さなかった。いよいよもって武将らもついに、小町の望むところとする“聞く耳”になってしまったのである。

 一呼吸置いた小町は、次なる段階に入ることにした。本題ともいえる切り札を投入することにしたのだ。

 あらゆる事柄において、もっとも強力な切り札を所有する側が、たいていの主導権を握るのであるが、世の理など小町とて百も承知であった。

「手段を説明する前に、先刻のランバートの問いに答えておきます。この天幕まで私がどうやって来たのか――。方法をツラツラ説明するのもようございますが、手っ取り早く、あなた方にも理解していただきます。おそらくほとんどの方が、士気をあげる手段についても察していただけるかと思いますので。……ヘインズさんと、それからもう一人、小さな友人を伴いここまで参りました。招いてもよろしゅうございますか、コーエン伯爵様」

「小さな友人、とな……?」

「害意などない愛らしい友人です。天幕の外で待ちぼうけておりますから、是非、あなた方にも紹介させていただきたいと思い連れて参りました。あなた様の天幕にございましょう、伯爵様、許可を」

 少々語気を強めた催促で、俗に言う強要である。本来であれば不敬と言われるものだが、駆け引きにおいて勢いに乗るために重要な“たたみかけ”で、この時のコーエン卿には有効でもあった。小町の勢いに押される形で頷いてしまったのだ。

 そこで小町は入口を振り返り、ヘインズを呼びつけた。お待たせして申し訳ありません、と。

 ほどなくして、弱りはてた様子のヘインズと、小町の小さな友人が顔を出す事になった。入口に現れた“彼女の友人”を見やり、武将達は再び絶句する。見紛うことなき灰の猫であるのだ。

 金の双眸で居並ぶ武将たちを眺めやった灰猫は、小町を認めるや、長い尾をユラユラ揺らしながら彼女のもとまで軽快に歩き、卓の上へ俊敏に飛び上がると、両脚を揃えて腰を下ろした。

 この灰猫の正体も、もちろん武将達の知るところ。主君が野営地に到着してすぐ、本性に立ち返る姿を目撃してあった。

 灰の毛並みの、巨大な聖獣――

「国守の、お子か……!?」

 呻くように誰かが呟き、小町は頷いて見せた。

「先刻、この友人が戻って参りましたの。そこで私は、こちらに向かうに当たり、最も穏便で波乱を生じない手段を選んだのです。ヘインズさんに対する詰問、および、近衛やジニアスへの言及は無用に願います」

 これにはパリスとランバートは頭痛さえ覚えた。この娘を足止めする策など、国守の子を前にして通用するはずもない。まったく……盲点だった。立ち塞がる近衛やジニアスの部下に向かって、小町はこう言えばいいのだ。

 ――道を開けろ。

 ――至急、伝えることがある。

 どんなセリフを放ったにせよ、すぐさま皆が応じたことだろう。ヘインズといえど、たちどころに判断に急したはず。同情すら覚えた。

 こうして、武将達とディクシードの両翼は、一瞬にして小町の手段をさとることとなった。そして彼女の前述通り、兵の士気を上げる手段についても、うすうす見当をつけた。国守のお子を……まさか、使うつもりではなかろうか、と。

 養父エインズワース伯爵を真似て、ゆったりと武将らを眺めやった小町は、満を持して口をひらいた。いよいよもって、最強最大の切り札を登場させる時となったのだ。

「国守様の、“加護”を賜りました」

 御仁でさえ息を呑むことになった。もはや誰もが絶句を通り越し、息どころか生唾をも呑まねばならかった。

 しかしそれでも、小町にとっては、ここからが本題といえる。ビジネスパートナーのフレデリックはおらず、何かあった時に手を伸べてくれる養父母もいない。正念場はここからなのだ。

 武将達の衝撃など素知らぬ顔をして、間を置かず口を開く。曲者ぞろいの武将たちから取り付けるべき事柄がある。彼らの衝撃が冷めやらぬ今がチャンスだ。

「ひとえに加護と申しましても、皆様の頭上に等しく与えられる恩恵ではなく、あくまでも、国守様と私個人の取り決めであるとお考え下さい。ですが、アタナシア国民の多くは、聖獣を神の使者と位置づけ、信仰の対象にしていると聞いておりますので、国守様の加護をあなた方に還元できるのであれば、士気を上げるうえで利用できる要素となりましょう。同時に、私に対する兵の反感もまた、利用できる要素の一つと言えます。人の抱く反感そのものが、時として、大きな実りをもたらすことがあるのです。例えるなら、現にあなた方が今、あれほど摘まみだそうとしていた私の話を、こうして聞こうとなさっているようにです。あなた方にとってはとるに足りない些細な心境の変化かもしれませんが、束になり集まることで、結果として私には大きな実りとなりました。この構図は、兵に置き換えることができるとお考え下さい。それからもう一つ、デイックスの名も士気に直結する要素ですので、決して欠かせません。聖獣の存在、兵の反感、ディックスの名声――私の思いつく限りではこの三つですが、これら全ての要素を上手く利用できるのであれば、必ず、士気は上がります」

 とは言うものの、もともと小町が抱えていた懸念というのは、士気うんぬんではない。多少は上がるといいな、といった軽い期待程度のもので、士気よりも何よりもまず、己の役割を滞りなく果たせるかどうかが問題だった。そこで小町は、役割の全うを第一として、国守に“加護”を要請したのである。

 バイクを操縦するにあたり、初心者なみに注意が必要になった小町にとって、なくてはならない保証であり、高位に坐する聖獣の助けをかり、望みをかなえねばならない。野営地に到着してすぐ、灰猫に国守の元へ向かってもらい、つい先刻、色よい返事を携えて戻ってきてくれた。小町が待ち焦がれた保証は、ようやく確証となったわけだ。

「つきましては、指揮官である皆様方に、約束していただきたい事柄が三つあり、この場に提議させていただきます」

 黙りこむ曲者たちを前にして、三つの確約を取り付けるべく、小町は順に提議していった。もちろん、具体的な加護の内容を伏せながらだ。

 まず一つ目は、この会議を終えたのち、いっさいにおいて、会議内容に関して口を噤んでもらうというものだった。いわゆる、箝口令を敷くことである。天幕にいる八名の武将とヘインズ、そしてディクシードと彼の両翼と小町、といった総勢十三名で、外部に話を漏らさないようにしてくれと、そういうものだ。

 二つ目は、明日、どのような問題が生じようとも、武将たちに陣頭に立って兵の統率をとってもらうという確約である。要するに、みっともなく取り乱したりせず、落ち着いて指揮をとれという主張であるが、こちらはオブラートに包んだ表現を用い、小町の思惑をひとまず隠しておく。

 そして三つ目――

「多くの精鋭が集う前線に多くの魔物を集め、かつ、現状以上に兵の士気を底上げすることを目下の私の目的とし、私の役割であると考えさせていただきます。そして、そのどちらもみごと果たせたあかつきとして、国守様との謁見を、あなた方に認めていただきたく存じます」

 褒美として、国守と謁見する権利を寄こせ――と主張するものであった。これこそがどうしても取り付けたい確約である。

「ただでは動かんとぬかすかっ」

 声を荒げたダニロ男爵とは対照的に、小町はふんわりと笑んでいた。

「残念ながら、もう動いておりますの」

「どういう意味だ」

「加護です、国守様の。これは既に決まったことですから、否応なく動かなければなりませんもの」

「つまり……それはどういう意味だ――」

「ただでも動くということです。褒美として謁見を所望するのは、いわば賭け。自信がある証拠と捉えて頂いて結構ですわ。あなた方の協力さえいただければ、否応なく士気は上がります」

 何匹目かも分からない苦虫を噛み殺し、ダニロ男爵は椅子の背にもたれた。

 そもそも、国の庇護を担う聖獣に小町が謁見するには、面倒な手順を踏む必要があったのである。その手順に見込みが薄いと踏んだからこそ、討伐における役割をディクシードが持たせてくれたのだ。であれば手順を飛ばすに相応しい功績が必要といえるが、討伐における小町の役割といえば、心もとないものなのである。

 対価の石を解放し、脱兎のごとく魔物から逃げ、箱馬車の中で木偶の坊と化す――

 いくら討伐の要と言われても、功績と呼ぶには相応しいはずがない。よほど剣を振るえる武将たちのほうが、立派な功績をあげられるというものではないか。

 ――ねぇ、ディックス。単純に石を解放するだけでサーベルに会えるなんて都合がよすぎない? 石を砕いて、ただ単純に逃げてきて、馬車の中でじっとしてるだけよ? 戦力外もいいところじゃない。俺の方が武勲をあげた、なんて誰かに異議をとなえられたらどうすればいいの?

 この引け目を口にした時、ディクシードは、“功績などお前にはいらん、謁見ならできる”、の一点張りであった。この地に小町を連れてくるために、あらゆる可能性を吟味し、結果として役割を与えてくれた用意周到な男は、どうやって謁見の機会を賜るつもりなのか、そのことに関して一向に教えてくれないままである。

 経緯も理由も告げず頑なな姿勢をとるとき、ディクシードは決まって、強行手段に出るように思う。監禁騒動にしても然り、ガーデルードの泉の件でも然り。このことを踏まえても、おそらく彼は、今回の問題についても強行突破を目論んでいるに違いないと、小町はそう思うのだ。

 だがそうなると、不都合が増える。謁見を果たしてそれで良しではなく、その後のことも考えねばならない立場にあるのが小町だった。なにせ、必ずしもイギリスに帰れる保証はなく、その場合、小町の滞在が延期となるわけで、仮に強行突破を果たしたところで、王子をたぶらかしおってと言われてしまえばそれまでとなる。情婦が打てる手など権力の前にはたかだか知れているし、滞在延期を見据えてできるだけ穏便に謁見を果たす必要があった。

 なんとしてでもディクシードの強行を阻み、かつ、国守との謁見を公式に近い形で得なければならない。小町にすればこの場に座れたことは好機でしかない。不遜、不敬と言われようが、卑怯、卑劣と言われようが、是が非でも三つの確約を取り付けてやる!

 もろもろの思惑と決意を新たにした小町は、限りある知識と限りある経験を総動員し、武将たちに――己の正念場に臨んだのである。



 ◇◇◇◇◇◇



「お互いに言いたいことも言い合ったことですし、私も無事に提議を終えたことですし、ここからは協議と参りましょうか。無益なふっかけ合いは控えていただきますわね。これ以降、あなた方と私の発言はすべて、灰猫を介して国守様の耳に確かに入るものとし、言質をとりにかかりますので、皆様もそのおつもりで――」

「ままま待て、待て待てっっっ!」

 ほがらかで一方的な小町の宣言に対し、慌てふためいたのはボルコフであった。これでもかと両手を突き出し、ブンブン振りたくり、みっともなく取り乱しながら協議の制止を求めたのである。

「よよよよよよよもやきき貴様っっ、くくく国守のお子をつかって、げっ、げっ、言質をっ、げげげ言質をととととりつけると抜かすかっ!?」

 あまりにも焦るあまり、どもりまくったボルコフであった。権力に取り憑かれた男は権力に弱いとしたもので、彼にすれば、最強の権威を誇る国守の名で言質をとられる事態だけは、断じて避けたいところなのだ。

 言質とはつまり、口約束や交渉における“後の証拠となる言葉”のこと。小町の発言は暗に、国守の名に誓ってもらう、と言ったも同然であったのだ。

 ざまを見ろと思いつつ、小町はわざとらしく両の手をパンと打ち合わせ、すっとぼけてみせた。ちょっとした尻尾をつかんだのだ、逃がすまいぞボルコフッ、である。

「いやだ、私ったら、すっかり補足を忘れておりましたっ! 謁見を果たすまでの私の身の安全は、ディックスはもちろんのこと、この灰猫と国守様が保証してくださっていますので、みなさま、どうぞご留意くださいませね。――それで……えっと、ヴァノーラ子爵様でしたわね、どうなさいましたの?」

「み、みみ、みの安全っ!??? そそそ、それではっ、いいいつになるか、わわわわわわからんではないかっ!」

 ボルコフの懸念というのは、小町をかっさらう好機がいつになるやら、であった。何せ国守という最強の権威者が彼女の身の安全を保証した、と言うのだから、謁見後を狙うしかないと安直に思うわけだ。

「仰っていることの要点がいまいち掴めないのですが……“いつ”というのは、謁見がいつになるのか、ということでしょうか? 仮にそうだとしたら、仰る通りですわよ? 皆様に承諾いただければ明日には謁見できましょうし、そうでなければいつになるやら、先は長いかもしれませんもの。でもそれは、私個人の問題ですから私が対処すべきことですし、あなた様が心配なさることではないのでは? いったい期間の何が問題なんでしょう?」

「ももも問題などないっ、断じてないっっ! し、し、し、しかしっ、く、く、国守のお子を使って、げっ、げっ、言質を取りつけるなどと卑怯な――」

「言いがかりです、子爵様」

 打って変わって冷淡な眼差しを送りつけ、聞き取りずらいボルコフの戯言を、小町はピシャりと遮った。

「この場に座った時点で私の劣勢は見えているではありませんか、単純に数えても頭数で負けておりますからね。でしたら数ではなく質で勝負してご覧に入れます。卑怯ではなく勝つための手段と解釈なさいませ。武人が何を仰いますか」

「っ、小癪なっ――」

「そうでしょうか? この国は文明国でございましょう? あなた様も武人である前に、一人の文明人でいらっしゃる。条約や交渉の場に書記官を伴うは、文明国における当然の権利ではありませんか? いったい何のための書記官だとお考えですの? ご覧のとおり私は単身で参りましたので、あなた方との確約を裏付ける証拠はどこにも残りません。友人にその役を頼んで何が悪いというんですか? こそこそと陰にかくれて陰気な謀略を練り上げる方が、よっぽど卑怯で卑劣だと思いますけど?」

「わわわわしがっ、このわしがっ、謀略を練り上げておると抜かすかっ!?」

「あなた様が、とは一言も申しておりません。最近になってチクチク刺さる視線を感じるものですから、被害妄想が声になっただけです。たとえ話ですわ、子爵様。でも、そうね……慌てていらっしゃるのはなぜか、とは思います。それほど動揺されているのは、後ろ暗いものがあるからでしょうか?」

「ないと言うておろうがっ! わしは清廉潔白ぞっ」

「でしたら、ご協力いただけますわよね? 兵の統率など百戦錬磨のあなた様には造作もない話でしょうし、武人の口は堅いものですから、箝口令も言うにも及びませんものね?」

「む、むろんだっ」

「では残るは、国守様との謁見の許可となりますが、そちらは――」

「きききっ、貴様にやるわけにいかん! 殿下に判断していただくっ!」

 ディクシードに判断をゆだねることは、それすなわち確約も同然であるというのに、阿呆な閣下様はまったく気付く様子がない。小町にすれば、いいカモである。

「でしたら、箝口令と兵の指揮をご協力いただけるものとさせていただきますわね。謁見の許可はデイックスに託す、ということでよろしいかしら?」

「構わん! 言質でもなんでも証拠とするがいい! わわわしはっ、きゅ、きゅ、急用を思い出したっ! 失礼するぞっ、よよよよよいな!?」

「はい、結構ですわ、子爵様」

 とにもかくにも慌てふためくボルコフは、小町がにっこり頷くや否や、逃げるように天幕を出て行ってしまった。ボルコフが去れば、一派が追随するのは然りである。崇拝する閣下様と寸分たがわぬセリフを投げつけ、威勢だけは立派な様子で閣下様の後を追って行った。

 三つの提議を終えてからものの数分も経たず、四名分の確約をごっそり取り付けることに成功した小町であるが、それにしても……コメディか……? と、思う。

「あの四人は、いったい……どうしたというのだ」

 呆然と呟いたのはコーエン卿であった。セレジオ卿とダニロ男爵もまた、一派の消え去った方角を怪訝そうに眺めやりながら、まったくわからんと訝るのである。たまりかねて御仁が吹き出し、ヘインズとパリスが続き、もちろん小町も吹き出した。

「いや、コマチ殿……みごとだ……よくもぬけぬけと……」

「おじ様、喜んでも……いいものでしょうか……」

「っ、かまわんっ! 四名分だ、根こそぎ持っていけ。……それにしても……あの青ざめた顔っ! 見たかっ、ハンソンッ」

「傑作にございました。みごとな陽動で……」

 うんうんと涙さえ浮かべる御仁の向こうで、コーエン卿とダニロ男爵、それにセレジオ卿は、理解できんと言いたげに眉を寄せる。ボルコフの謀略など知るはずもない三名にすれば、当然の反応であった。見かねたランバートは咳ばらいを一つ挟み、これまでの経緯を説明する。これこれの事情があり、ボルコフ一派がどうやら、小町に対する謀略をたくらんでいるようなのだ、と。

「……にわかには信じられんが」

「いやしかし、思い当たる節がある――」

「セレジオ、話してみろ。ボルコフのような男をかばってやることはない」

 身を乗り出してダニロ男爵が催促すると、セレジオ卿は昼のことだと前置きをし、主君の天幕を眺めながらヒソヒソと囁く一派を目撃した、と語り始めた。

「銀旗を立てに来たのだが、いま思えば、どうにも様子が妙だった。レイゼンの部下がどうの、ヘインズの部下がどうのと、ボルコフの天幕から怒声も聞こえていたのだよ。私自身、なぜ殿下の天幕にヘインズの部下が立っているのか不思議には思ったが、ボルコフがあやつらを怒鳴りつけるのはいつもの事だと気にもかけなかった」

「……確かに、いつもの事だ」

「そうであったか……ヘインズの部下が天幕に……。察するに、御仁も動いていたということか」

 半信半疑だったコーエン卿も、しばらく考え、どこか納得した風で頷いた。そこでランバートは、チラッと小町に視線を投げた。

「あの娘の立場上、表立って近衛を付けるわけにもいかず、御仁の手を借りておりました。もともとの種をまいたのはパリスなんですが……伏せていたことと重ねて詫びておきます。ご容赦ください」

「……さようか、レイゼン。お前も気苦労に絶えんとみえる」

「気にやむな。しかるべき理由があってのことなら致し方あるまい」

「昼の怒声を聞きながら、私も放っておいたのだ。お前の耳には入れてやるべきだったか。許せよ、レイゼン」

 良識ある武将たちは、ランバートの謝意に誠意をもって返した。三名ともが口を揃え、知ったからには協力を惜しまんと申し出てくれたものである。小町の横柄さは鼻につくが、決して憎いわけではない。国守から預かった客人の身に何かあってはならないとも思うのだ。

「となると……あの娘、ボルコフの災禍を自らで払いのけたわけか。なるほど、何者かと言いたくなるな」

 どこか感心した口ぶりでセレジオ卿が言い、小町を眺めやった。コーエン卿とダニロ男爵もそれにならう。智将と名高い男が感心するとは、非常に珍しいことだったのだ。

「あれで素性が掴めんとは奇異なことだ。令嬢を名乗るうえにあの歳であれほどの弁がたつのだ、まるでどこぞかの使者のようにさえある」

「……間者ではないのか、と聞こえますが、セレジオ卿」

 ランバートが問うと、智将は含みのある意地の悪い笑みを浮かべた。

「間者と捉えたのかと聞こえるぞ、レイゼン。オーディリックに毒されたか」

「褒めてもらってるもんだと解釈しときます。……実際、“策士”のあなたがコマチをどう捉えたか、それは気になりますんで」

 軍師ではなく策士と称したランバートに対し、セレジオ卿は面白がるような表情を作る。

 策士たる者、間者を使役してこそ策士たる――

 これはセレジオ卿の言であった。国王の前で功績を讃えられた際のもので、無名であった軍略家の名を世に知らしめたセリフでもある。つまりランバートは、軍師であるセレジオ卿をあえて策士と称することで、“間者使いのあんたの目に、あの娘がどう映ったのか”、と、問うたわけだ。

 実際、戦となれば、いの一番に間者を放つのがセレジオ卿であった。なかなか面白い男だと、かの人物は思うわけだ。御仁が目をかけるだけのことはある、と。

「あの娘の視点は政治向きではないよ。御するには骨だろう。あえて称するなら、“ただの剛毅な娘”だが、“ただただ剛毅なだけではない”、となる。オーディリックが黙認しているのを見ると、私と同じ結論にいたったと察するがな、違うのか、レイゼン」

 すべてその通りで、ランバートは苦笑するしかなかった。このわずかの間に、小町に対するランバートとパリスの見立てを、セレジオ卿は言い当てて見せたのだ。さすが智将。

 ただの剛毅な娘だが、ただただ剛毅なだけではない。それが両翼の見立てた小町の本質であって、そして結果的にこうなるのだ。あの娘は何者なのか、と。

「仰る通りです、セレジオ卿。当初は、間者かもしれんと疑ってかかりましたが、今じゃご覧のとおりですよ。俺もパリスも手に余ってまして……。突飛すぎるわ、クソ生意気だわ、気ままに動くわ……頭のキレも早ければ動くのも早い。口でも足でも本気でかからんと痛い目をみる始末で」

「苦言か」

「まあ、そんなもんです。俺もやられた口なんですよ」

 ポリポリとランバートは頬をかき、用意周到で待ち構えているぞと、彼なりの敬意をこめた忠言を締めくくった。そして当の娘を眺めやったわけだが、その頃には、御仁も小町も、腹の底からの笑いをすっかりおさめ、ボルコフという男について、真面目なやり取りを展開していた。

「あの方、大将を気取っていらっしゃるけど、本質は正直者のように思いますわ。あれほど見事に引っ掛かって、あんなに取り乱してしまうんですもの。こう言ってはなんですけど、いいカモでした。よくあれで猛者たちのなか生き残ってこられたものだと、逆に感心してしまいます。手玉にとられそうなものですのに」

「ボルコフ一人の力ではない、と言いたいのかな?」

 つと投げてくる視線の鋭さに、小町は一瞬トキめいたが、取り繕って問いに答えた。

「とかげの尾がいくつもあるのか、あるいは、複数の尾を隠し通すだけの“別の頭”を持っているのか、どちらかだと」

「すべて的を射ておいでだ、コマチ殿。あやつにとって臣下というのは、尾であり頭でもあるのだよ。尾を取りにいったところで痕跡を残さず、煙にまいたように他の尾の端さえも見えん。ゆえに生き延びておってな。あやつの気をそらす事など、そなたには造作ないことだろうが、くれぐれも臣下には注意なされよ」

「この場に顔を出さない見えない臣下、ですわね? おじ様やヘインズさんの目を欺くのですから、それはそれは有能な臣下にございましょうね」

「いかにもだ。今頃はその臣下に宛てた書面をしたため、走らせておることだろう。あるいは、証拠を残さんがために、別な手段で繋ぎをとったか……。あれはあれで悪知恵は働く男だ。執念深く、事を急ぐ悪癖はあるが、保身を忘れることはない。国守の名で言質を取られたとあれば、“頭”に相談を持ちかけるわけにもいくまい。ない知恵を絞りに絞って、“時を待て”、“指示するまで不動とせよ”、とでも周知させたことだろう」

 十中八九、御仁の言う通りだろうと小町は相槌を打った。横顔を縁取る顎の美ラインといい、キリッとした眼差しといい、御仁はもろに小町のタイプである。肘をついてうっとり眺めたい気分だ。

「どちらにせよ、そなたが謁見を果たすまでは仕掛けてくるまい。よく火の粉を払われた、コマチ殿。やはりそなたとは腰を据えて話す価値がある。どうだろう、討伐後にでも逢引に応じてはくれまいかな?」

 いやはや男前、と御仁の横顔を胸中で愛でていた小町は、思わぬ色気と申し込みを受けて、パチパチと目を瞬いた。

「……口説いていらっしゃる?」

「さよう。おいぼれでは不服かな」

「愛人はいやです、おじ様。奥様に悪うございます」

「案ずることはない、ひとり身でな。そなたの望むところへ連れて行こう」

「独身でいらっしゃいますの? おじ様のような方が?」

 これは驚いた。そしてトキめいた。

「あの……とても、魅力的な誘惑ですわ、本当に。積極的な男性も好ましく思いますけど……でもおじ様、娼館へ行かれてはどうかしら? 恋愛遊戯でしたら、私ではなくパリスにご相談なさいませ。遊戯に興じる余裕はありませんから」

 まったく失敬な応じように、御仁は相好を崩し、

「つれんな、コマチ殿は」

 と、こう言うのである。ただでさえ甘やかなマスクがいっそう甘みを増すのだから、小町には目にも毒である。容姿の誘惑になびきそうになるのも乙女の性である。

「……色惚けジジィ……」

 毒づいたのはランバートで、しっかり御仁の耳には届いてあった。しかし御仁は怒りもせず、余裕のある眼光を弟子に投げつけるのである。終わったのか、と。

「見りゃ分かるでしょうが……。あんたがお戯れのあいだに、誠意ある方々は協力を惜しまんと仰ってくれましたよ。誰かさんと違って頼もしい限りです、まったく」

「そうか、そうか。お前にしては上々と言ってやろう。……ならば、役者はそろい、耳もそろったわけだ。話を戻さねばならんな。コマチ殿を口説くのは後にするとしようか。どうやら多少の脈はあるようだしな」

「あらやだ、おじ様。ディックスと獲り合ってくださるのね? もうどうしましょ」

 いけしゃあしゃあとのたまい、うきゃうきゃと娘は喜ぶのである。親と子が一人の女人をかけて争う構図など、まるで神話の神々のようではないか、と思う乙女コマチである。気苦労の多いランバートは頭痛を覚えたが、黄色い声をあげる娘を睨みつけてやった。

「あんた、どっからハッタリを混ぜた? とっとと吐けや、あ?」

 もはやケンカ腰である。



 ◇◇◇◇◇◇



「言質以降は全部――」

 酒入りホットミルクを口に運び、小町はホウっと嘆息した。それはそれは、生きかえった心地である。人肌ほどの温もりが疲れた舌をほどよく癒し、なおかつ、酒によってほどよく麻痺もできよう。まさに最強タッグ。

 まわりに回った小町の舌を気遣い、気の利く王子様が手配してくれた飲み物であるが、さて、この飲料を手配するにあたり、こんな一幕があった。かの王子の変態性癖露呈という稀少な幕である。

 ――お前の舌を食らえば、私の舌回りもよくなるかもしれん。出してみろ。

 ――出すか、バカッ! 変態っ! 気持ち悪いネタでいちいち絡むのやめたらどうなのよ、このド変態!

 武将たちはドン引きし、両翼は嘆息し、御仁などは腹を抱えて笑い転げる始末で、

 ――殿下は変態でいらしたかっ! ハンソン、どうやら勝機があるぞっ。いや、優勢、優勢!

 と、ドロドロの親子愛憎劇の展望に喜び、小町も心底楽しませてもらったのは、まあ、言うまでもない。

 ホットミルクの経緯はさておき、おかげで一息つけた小町は、話の位置をもとあった場所に丁寧に丁寧に戻し、ハッタリを通した所について、正直に白状したのであった。ランバートが呆れ返ったのも言うまでもないが、普段であれば悪びれもしない娘は、殊勝にも両翼に向かって詫びのセリフを口にした。相談もせず勝手に動いて悪かった、信頼を裏切った、と。

 しこたま説教してやろうと意気込んでいたランバートであるが、滅多にない小町の殊勝な態度を前に、喉まで出かけた文句の数々を丸呑みすることになった。加護うんぬんの話からピリピリし通しだったパリスにしても、一瞬にして緊張を和らげたほどである。それほど小町の態度は神妙そのものだった。

「何をしでかしたか承知のようですね。あの国守と取引などと」

 愚痴のようなセリフがパリスの口をつき、自覚のある小町も苦笑する。彼は知っているのだ。小町が痩せている現状も、対価として差し出すものが生気しかないということも。

「あなたの忠告、ちゃんと届いてあるのよ。私なりに真剣に考えた結果だと思って、今は引いてちょうだい」

「…………」

「後戻りはできない所に立ってるの、何をしても覆らない所に。自覚も覚悟も、もう十分してある」

 煮え切らない表情のパリスを尻目にして、小町はホットミルクを卓に置き、居住まいを正した。

「あなた方にもお詫びせねばなりません。ボルコフ卿を追い払うためとはいえ、言質などと嘘をつきました。申し訳なかったと思っています。何が事実で何が嘘かは申しあげた通りですが、これから先、私が話すことは全てが事実であって、私の本心であるとお考え下さい。この会議の場において、嘘偽りは述べないとお約束します」

「包み隠さず話すとでも言うつもりですか」

 すかさずパリスが指摘し、小町は微笑を浮かべたが、あえて答えなかった。

 話せないことがあるのは事実なのだ。隠したいことがあるのも事実。そしてまた、小町自身が知らないことが多くあるのも事実だった。彼らに約束できるのは、嘘偽りを口にしないこと。嘘をついたのも事実だが、これから先の話を判断するのは、彼ら自身であってほしかった。

「明日、対価の石を開放したあとの話になりますが、前線となる平原地に、私よりも先に、ディックスをお返しいたします。近衛や、ジニアスの兵もです」

「……コマチ殿……単騎で留まると聞こえるが――」

「そのように、伯爵様。私の馬は誰よりも速いのです。できる限り留まり、より多くの魔物を集めた上で戻ります。そのための国守様の加護」

「…………!?」

「……っ!!!」

「……おまっ――」

「先刻申し上げた三つの要素のうち、すでに二つまでは揃っています。国守様の加護、兵の反感――。残るはディックスとなりますが、精鋭が集う前線地に彼の存在は必要不可欠と考えます。私につき合わせる必要はありません、先にお返しします」

「いやいや、待てよ――」

「待たないわ、ランバート。よく考えてみて。軍の構図の中で異質なのは私だけよ。異質だから反感が生まれるの。戦地に女が立つことが一つ。他国の娘ごときにディックスが構いすぎることも一つ。性別が違うってだけで異質には違いないもの、そうでしょう?」

「いや、そうかもしれんが――」

「だったら切り離しなさい。一度切り離し、本来あるべき構図に戻して、改めて兵に示せばいい。必要とあらば切り捨てることもできるんだと。アタナシアの王太子は、あくまでもお前達のためにいるんだと。きっと……彼らには響く」

「だからってあんたを置いていけってのか!?」

 あまりのことにランバートは勢いよく立ち上がって怒鳴りつけた。

「あんたはどうなる!? こいつが置いてくわきゃねぇだろうが!」

「…………」

「こいつだけじゃねえ、あいつらもだっ! 近衛が従うとでも思ってんのか!?」

 血管が浮くほどの形相であったが、対峙する娘は腹立たしいほど冷静であった。

「従うか従わないかは問題じゃない。従わせるのよ、あなたが」

「なんだと!?」

「ディックスの説得は、まあ、私がするのが妥当でしょうね。バイクの速さも私の価値も、誰よりも理解してくれてる人よ。話の分からない人でもない。むしろ彼の説得なんて、私じゃないとできないことだし、私だからできると言えるわね。……でもね、ランバート。近衛騎士には、あなたが示すべきなんじゃないの? 彼らは私の騎士じゃないし、あなただって私の騎士じゃない。今いちど誰の騎士なのか、あなたが示さなきゃいけない。あなたじゃないとできないことで、あなただからできる。あなたが判断を誤らない限り、近衛はあなたの舵で動く。そうでしょう?」

「…………っ、くそっ!!」

 ランバートは卓を蹴り上げそうな勢いで腰を下ろした。小町の言い分は正論すぎるほど正論で、反論の余地など全くなかった。

 他国の娘に、第一王子の近衛が張り付くことはできない。ましてや情婦という立場にある娘だ。第一王子に帯同し、第一王子を護るのが近衛の職務であって、近衛が判断を誤らぬよう舵をとるのがランバートの職務。小町の解釈も主張も、何一つ間違っていない。

 もしここが会議の場でなければ、ランバートは卓を蹴り上げていただろう。それほど苦々しく小町を睨みつけていた。簡単に言いやがって、と。

 小町とて簡単だとは思っていない。簡単ではないからこそ頭を下げに来たのだ。

 小町は改めて武将たちを見やった。

「できる限り、定刻までに戻るよう努力はしますが、できる限り魔物をひきつけたいのも事実です。何が起こるか分からないのも事実。万が一にも私が戻らない可能性はありませんが、遅れる可能性があることだけは念頭に置いておいて下さい。ですが、仮に遅れるとなれば、兵の中には少なからず、動揺が走ると予想されます。もしかすると、王子が娘を置き去りにしたと批判的な解釈をする者もいるかもしれません。あなた方にお願いしたいのは、彼らの不安を助長させないこと。これでいいと普段通りに彼らを律し、討伐に備えていただきます」

「――そのための箝口令と統率か。……我らに知った上で演者になれと」

 静かな物言いはセレジオ卿のもので、小町は鷹揚に頷いてみせた。武将たちの協力なくして、この作戦は成功しないのである。

「万が一にも戻らん可能性がないとは……ずいぶん自信があるようだが、その根拠を聞こうか。国守の加護だけではあるまいよ」

「仰る通りです、アーセル男爵様。他にもございます。私の馬はバイクといいますが、国守様のお子と走り比べた結果が、自信の根拠につながりました」

「……ほう……、聖獣に勝る馬か。信じがたい」

「事実ですので信じていただくほかありません。……私の国には“リスク”という言葉があるんです。ものごとを実行すると仮定した時、そこに発生する危険要素を指す言葉になります。私の負うリスクを精査するうえで、聖獣に勝る速さがあるか否かを試すことは、とても重要なことでした。……実を言うと、当初は国守様の加護を平等に分け与えることができないものかと、そればかり考えていたんですけど、必ず誰かに何らかのリスクを負わせることになりますし、加護そのものは私と国守様の個人的な取り引きですから、分けることはできないものだと結論に至りました。とてもではないですが、私のような者の生気で、二万もの人命を救えるとも思えません。ですが、この方法であれば、必要最低限のリスクで兵の反感を士気に変えることができるのです。確かに私の負うリスクは高くはなりますが、少しでも士気が上がることで一人でも多くの兵が救われるなら、怯む理由にはなり得ません。あなた方が命をかけて戦地に立つことに比べれば、私の負うリスクなど、ほんの一時、ほんのわずかと言えるのではないでしょうか」

「…………」

 もはやセレジオ卿も黙りこむのであった。コーエン卿も眉間のシワを深く刻み、口元を引き結び、顎髭も撫でず、静かに考え込む。ダニロ男爵も両翼も、それぞれに思うところがあるのか、皆が一様に沈黙していた。

「衛生兵の青年が二人、会いに来てくれたんです。お礼が言いたいといって、わざわざ天幕まで……。私自身、近衛を見慣れていましたから、彼らを見て頼りなく感じましたし、あどけなさや幼さも感じて、歳を聞けば、十八だと――学生なんだと……衛生兵の補填として討伐に加わるのだと、誇らしそうに答えてくれました。驚いたと言うより……あの感覚は衝撃でした。彼らと私は、たった二つしか違わないのに……それなのに彼らは、命をかけて討伐に向き合うのかと……。この地に来るまでに私なりに覚悟をしてきたつもりでしたが、私の覚悟がどれほど未熟だったのか、痛感させられました」

 彼らが命をかける討伐に、自分勝手な都合で便乗していいのか……

 ただただ帰りたいから国守に会いたいと、そんな勝手な都合で便乗していいのか……

 それでいいのか、本当にあっているのか……

 一度は消化したはずの迷いが、改めて顔を出すようになった。

 彼らにも家族や友人がいて、武将達にも同じようにあって、小町にもあって……

 無事に戻って会いたいと願う気持ちは同じはずなのに、どうしてこうも重みが違うのか。

 今でも、自問自答を繰り返すのである。

「あなた方が私の身を案じて判断をためらうなら、お気持ちだけ頂戴しておきます。あなた方が案じるべきは、あなた方の部下や臣下であり、彼らの家族や、彼らの将来であってほしいと、そう思わずにはいられません。たとえ価値観が違っても、帰りたいと願う気持ちは痛いほどよく分かるのです。ですからどうか……どうか、一人でも多くの兵を、家族の元へ帰すことだけをお考え下さい。あなた方が彼らの帰還を大儀として掲げて下さるのであれば、微力ながら私も、私なりの最善を尽くさせていただきます。これが私にできうる限りの誠意だと解釈いただき、前述した提議をご快諾いただきたく存じます」

 そう言って小町は口を閉じた。どうか伝わってくれと願わずにはいられなかった。

 静かになった天幕の中で、皆がそれぞれに考え込んでいた。

 しばらくして、腑に落ちんと呟いたのは、やはりセレジオ卿であった。セリフとは裏腹な、ひどく穏やかな口調である。

「いやな、そなたの害意うんぬんではないのだよ、コマチ殿。そなたの筋書きも見事なものだ、戦略と呼ぶに相応しいだろう。歳若い娘になかなかどうしてと、脱帽さえ覚えるところがある。……だがな、どうにも引っかかる。先刻の殿下にしても然り、そなたにしても然りだ。なぜそれほど逸るのか」

 ズバリの斬りこみであった。さすがに知恵者と名高いだけのことはある。

「そなたの申し出のうち、前出の二つは我らにとって一害もないものだ。快諾するに値する戦略といえようものが、では残る一つ、国守との謁見に関して言うならば、我らに納得できるものは皆無。たいそう熟慮したはずの戦略と比べれば明白だろう。……そうさな、そなたにしては稚拙な申し出のようにも思える」

 セレジオ卿はなおも言う。これほどの戦略をねり、なおかつ、それほどまでの交渉術を有する者なら、武将たちの口添えを得た上で、王都の承諾を待つ道を選ぶはず、と。身も心も最も安全な道筋のはず、と。

「それをどうしたものか、そなたは褒美として賜りたいと――それも、この場での確約を要求する。一刻も待てんと言わんばかりにな。我らが容易く与えるはずがないと承知しているだろうに」

 今度は小町が黙り込む番であった。セレジオ卿の指摘は全て的を射てあるのだ。

「何ゆえそれほど逸るのか。リスクとやらを負ってまで、国守に目通りを望む理由は何か」

「……国に帰るためです、アーセル男爵様。帰り道が分からず、国守様の知恵をお借りしたいと」

「さようか。……ならば聞くが、その答えで我らが納得すると思うか」

「…………」

「詰問ではない。譲歩として尋ねているのだよ。そなたの答えによっては譲歩する余地があるのかもしれん。対等を望むそなたなら、言わんとすることは分かるはずだが」

 言い聞かせるような口調だった。話してはくれまいかと。

 小町の中で、逸る理由は明らかだった。国に帰れるのか帰れないのか、この裂傷や、この仮りの体……全ての鍵を握るのは国守である。

 だがそれは、どれもこれもに確証がなく、推測の域を抜けないものばかり。ましてや彼らは、国守の存在を信仰の対象としており、とてもではないが他国の娘を信じるはずもない内容でもある。彼らにとって国守は絶対で、比重は当然、国守へ傾く。

 ここで疑惑を口にするのは、いちかばちかの賭けでしかなかった。

「話せぬのか、あるいは話したくないのか……。そなたの心情が読めるなら楽だろうが、納得できん以上は致し方ない。アーセルの名で書状は書こう。王都への口添えは約束するが、明日の謁見を与えるわけにはいかん。待たれるといい、コマチ殿」

 もはや賭けに出るしかないと、小町が意を決した、その時だった。

「待つな――」

 唐突に口を開いたのはディクシードであった。

 感情の読めない目を小町に向けて。

「死にたいのか」

 普段通りの抑揚さを欠く口調であるが、彼の目は普段と違い、徐々に徐々に、赤光を放っていく。

 その目を小町にだけ向け、ディクシードは再び口を開いた。

「答えろ、死にたいのか」

 この赤光が何を示すのか、もはや明白だった。

 怒りだ――小町に対する怒り――

 だが小町は、負けじと赤光を睨みつけた。これでもかと。

 腹立たしいのはこちらも同じ――

「死んでたまるかよ、ディックス。死にたくもないし、消えたくもない」

「ならば待つな。お前には時間がないと何度言えばわかる」

「……だからって、何をしても許されるとは思わないのよ。あなたのやり方は間違ってるし、何より、根本的な考え方が気に入らないわ。そうやって脅せば誰でも従順になるとでも思ってるわけ?」

 誰が従うものかっ。問答無用で斬り捨てるなどと、断じて支持できない! 口があるなら手よりも先に口を使えというのだっ!

 あきらかに挑発を含む物言いをすることで、まさに、一触即発の緊張感が天幕を支配した。

 両者ともに微動だにせず、一瞬たりとも目を逸らさず、互いに牽制し合うのだから。

 痴話げんかなら後でやれと毒づけたのは、ランバートぐらいのものであろう。それが証拠に、天幕の主が二人に静止を求めるには、それなりの時間と勇気を要した。

「殿下、コマチ殿に時間がないとは、どういう――」

 これに対し、ディクシードは赤い目でコーエン卿を一瞥した。

「呪詛だ、国守のな。その娘は国守の呪詛を受けた」

「……呪詛、ですと……!?」

「……まさかっ!」

 予想だにない回答に武将たちは愕然とした。両翼とてよもや暴露しようとはと、二人して瞠目する。

「殿下っ、いくら殿下といえど聞き捨てなりませんぞ! 我らの国守がそのような真似をするはずがないっ! 何ゆえコマチ殿を呪ったと仰るかっ!?」

 人一倍信仰心の強いコーエン卿が憤慨するが、ディクシードは多くを答えなかった。ただただ赤光を放つ目を小町にすえ、こう言うのだ。



「欲するがゆえだ――」

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