第75話 軍旗
箱馬車の屋根で小町が目覚めたのは、荷下ろしが終わった後だった。そろそろバイクを降ろしてくれないかと、リディオが起こしにきたのだ。
あたりは白銀色の月光に包まれているが、夕と呼ぶには少々おそく、夜と呼ぶにはいまだ早い刻限である。
「ベルトは外しておきましたよ」
御者台に下りたリディオが言う。小町も彼に続いて地上へ降りた。
「俺、ベルトの扱いは誰よりも一番だと思いますね」
「あなたの腰にもあるのよ。みんなが一番」
言ってやると、リディオはそうなのかと自分の腰を見やった。
「腰帯っていうのかしらね、あなた達は。それもベルトよ。同じ原理でしょ?」
ちょっと違う気がすると彼は言いながら、それでも、これもベルトなのかと腰帯に触れ、新たな呼称を反復している。
「えっと、バイクの幌は?」
「あちらに移動させました、ここじゃ邪魔になりますからね。バイクも俺で降ろせたらと思ったんですけど、そっちは断念しました。へたに触らない方が良さそうだったんで」
リディオが指す方へ歩きながら、小町は周囲を観察した。
遠く向こうに、連なる山々の影――
黒々と横たわる深い森――
この場所は、きっと、討伐地の近くで――
ディクシードが地図で指した――ガーデルードの丘の――たぶん、中腹あたり――
大小の天幕が立ち並び、水がめと思しき大きな器が、それぞれの天幕の横に二つ三つ置かれてある。要所要所の篝火の周囲には、腰を下ろしてくつろげるよう、毛皮や敷物がしかれてあった。
兵たちも落ち着いたもので、小町とすれ違っても特にあわてる様子もなく、仲間との話に花をさかせる者や、数名で剣を合わせる者、防具や長槍を磨いたり弓を点検したりと、おのおのの作業をマイペースにこなしている。
どこか厳格で、それでいて想像以上に静かで……
落ち着いている。
屋外キャンプが大好きな小町だったが、野営地の雰囲気を前にして、感覚の違いを修正するのである。
討伐前夜にも関わらず、野営地というのは、こんなにも落ち着いたものなのか、と。
「この天幕は誰の天幕なの?」
すぐ傍にある大きな天幕を指した。入口の幕は上がっており、両脇には装飾の施された銀色の旗が立てられてあった。
「ダニロ男爵閣下ですよ」
「あれって――」
「銀旗ですね。上部の家紋は、楯と二対の熊。ダニロ男爵閣下の異名は、あの熊からきているんです。ひとたび戦斧を握れば大熊をも真っ二つに叩き割る豪腕でいらっしゃいます」
確か……“フォーセットの大熊”という異名だった……
なるほど、熊なのか。
旗の上部にあるシンボルマークを眺め、納得する小町である。言われてみれば熊に見えなくもない。
「あちらがコーエン伯爵閣下の天幕です。家紋はレジンの葉と、それから石弓ですね。コーエン家は弓の名手を輩出する家柄で、コーエン卿ご自身も名手であらせられます。あの方の遠矢はアタナシアでも一、二を争うと言われているんですよ。馬上からでもど真ん中を射抜きますから」
心底ほれぼれする、といった口調のリディオである。
あいにく小町の目には天幕なら見えるが、旗のシンボルマークまでは見えなかった。レジンというものが何なのか不明。植物だろうけれど。
その後もリディオは、見える範囲にある武将の天幕を指し、家紋と家柄について教えてくれた。そのおかげでどの武将の旗にも共通点がある事に気づけた。
家紋のマークは様々でも、どれも“銀色”の旗に施されているという点であった。ディクシードが肩からかけていたサッシュといい、これらの旗といい、おそらくは、この国を象徴する色が“銀”なのだと推測した。
「ディックスの天幕がないけど……銀色?」
問うとリディオは、小町の推測に小さな笑い声をあげ、首を横に振った。
「銀の天幕は、いささか行き過ぎですよ。確かに殿下は、この国の象徴ですけどね」
何の気なしに言ったリディオの言葉が、小町に不快感を与えた。王都の存在がチラついたせいだ。
「誇らしそうね」
「そりゃ当然でしょ。俺は殿下の近衛ですから」
「じゃあ……いいわ、許す。続けて」
リディオは、意味不明な小町のセリフに怪訝そうな表情を浮かべたが、この娘が意味不明なのはいつもの事だと思い、気を取り直して天幕の話に戻った。
残念なことに、ディクシードの天幕は視界に映る事はなかったが、ぼんやりとイメージすることはできた。
「見るのはお預けね」
「どのみち行くんだから、お預けってわけじゃないですよ」
「でもほら、バイクが先でしょ? しばらくお預けになるじゃない」
バイクの訓練の続きをして、それから夕食をとるのでは?
「いやいや、バイクを連れたら行くんですって。飯食いながらやるんですよ」
「あら……そうなの?」
キョトン顔の小町に、リディオは呆れ顔である。
「さっき言ったでしょうが」
「あら……そうなの?」
「そうなのそうなのって……こりゃ寝ぼけて聞いてましたね、どうも」
「やだもう、リディオ。寝起きは良い方なのよ、私」
すっとぼけてブリブリ言ってやると、リディオは辟易した様子で早歩きを始めた。小町のブリブリがよほど気持ちが悪かったようで、あなたには似合わないだの何だの、ブツブツ言っている。
「ねぇ、リディオ。バイクの訓練、やってみる?」
しばし無言になり、何やら考え、足を止めたリディオは小町を振り返った。
「いいんですか?」
よし、食いついた!
「いいわよ、もちろん。ディックスにも言ってあるもの、了解済みよ」
「なら、やらせてもらいます」
ご機嫌取りに成功した小町は、内心ニンマリである。バイクに興味を持ってくれるのが嬉しい。それに、リディオはたぶん、騎士の中で一番見込みがある人材なのだ。何せバイクに対する恐怖心が他よりもかなり低い。低いどろこか、むしろ積極的に興味を示す。要領の良さもピカイチとくれば、教えない手はなかった。
ここでは時間の制約がないのだから、思うぞんぶん挑戦していただこう。なんなら近衛やパリスにも触ってもらい、今後のために育成するのもいいかと思う。時間に縛られてさえいなければ、誰もがバイクを扱えるようになるだろう。理想的である。
まずは見込みが一番のリディオに教え込み、教官役になってもらうのがいい。そうなれば小町にも空き時間ができ、うまくいけば情報収集に専念できるようになる。効率もいい。
うん、よし、それがいい。そうしよう。
小町の腹積もりなど知る由もなく、リディオは足取り軽く、バイクが乗る幌馬車に向かうのであった。
◇◇◇◇◇◇
目的の天幕へ向かうまでに、リディオは難なくバイクを動かせるようになっていた。
さすがに最初こそぎこちなかったが、触れてはいけない箇所、過重をかけてはならない所など、小町の話す要点を仔細に聞き取り、細かな点まで理解して実践し、旋回も後退もできるようになった。理解力も身体能力も、彼はピカイチである。
もともと小町の持論では、問題視すべきは騎士たちの恐怖心だけだと思っていたため、リディオの成果は案の定の結果でもあった。
男性には本来、身体的能力は備わってあるのだ。要領の良し悪しはあっても、寝かせたバイクを起こすぐらいの力なら備わってある。常日頃から剣を振っているのだから、尚更あるはず。黒いものへの恐怖心と、未知のものへの恐怖心ゆえに、腰が引けているだけに過ぎない。
見て、触れて、慣れて、無害だと知りさえすれば、必ず扱える。
そう思っていた。
――俺、こいつ好きですね。黒くなければ尚いいですけど。
制御できるようになったバイクを押し、リディオは道すがら、満足そうに言っていた。色はともかくとして、乗れるようになればもっと好きになると小町が答えると、是非にと意欲も示していた。
今現在、彼は、ジニアスの部下たちを指導中である。自身の経験を踏まえた指導が生徒たちに受けがよく、小町が落第の通告を下した騎士も、再挑戦の結果、すでに半数以上が扱えるようになっている。
指導に関しても申し分なかった。生徒がバランスを崩しそうになると、すぐに手を貸し、起こし方の要点も教えてやる。バイクが完全に横たわることはなかった。
思惑通りに教官役をリディオに任せた小町は、夕食をとる先発組に加わり、彼らの様子をうっとりと眺めている。やはりリディオも欲しいと願望を抱きながら。
「あっちは任せといて大丈夫ですって。ちゃんと食べて下さいよ」
「ん、食べてる食べてる」
篝火を囲んでの食事は一段とおいしかった。
パン、羊肉、少量の野菜入りスープと少量の果物。敷物の上には大小の盆が並び、食材の種類こそ少ないが、量はしっかり確保されてあった。口うるさいナニー隊長――もといランバートに代わり、小町の食の進みぐあいに副官補佐のイバンス・アントネリーが口をはさむ。
「飲み物は?」
「ん、ホットミルク」
「なんです? ホットミルクって」
「ん、あったかい牛乳」
「うわっ――」
「子供って言いたいわけ?」
千切ったパンを口に放り込み、すました口調でツンと聞くと、イバンスは取り繕って首をふる。いやいや、めっそうもないと。
そんな彼の手には、なめらかな色をたたえた葡萄酒がある。向こうに座るアレンは蜂蜜酒、その向こうのホルヘは麦の酒、向かいのスコットはエール、と、皆がおのおの好みの酒を飲んでいた。彼らに比べれば、小町のそれは確かに子供であった。
このホットミルクは、パリスが主君の指示だと言って持ってきたものだが、あの時のあの男の目も小町を見て面白がっていた。子供か、と。
まったくもって腹立たしい限りである。
「ねぇ、イバンス、ちょっとだけ入れてくれない?」
「それにですか? 不味いですって」
問答無用とばかりに、小町はズイッとホットミルク入りのタンブラーを突き出した。絶対に不味いと断言するイバンスは、言いながらも白い液体に葡萄酒を注ぐ。漂う芳醇な香りが、おのずと小町の期待感をたかめた。
「なんか変な色になってますけど……やめといたほうが……」
馬鹿を言ってもらっては困る。ホットミルクと赤ワインの組み合わせは最高にうまいのである。蜂蜜入りが好みではあるけれど、まずはこのまま飲んでみるべしだ。
一口飲み、予想以上のおいしさに満足した。このままでも十分な完成度だ。
「いけるんですか?」
身を乗り出し、アレンが尋ねた。ほんのり頬が赤い。
「かなりね。この葡萄酒、とっても香りがいいわね。最高」
もう一口留飲すると、別の話で食をすすめていた騎士たちも、興味深々でこの話題に乗ってくる。不味いはず、いや、意外にいけるかもしれない。誰か、牛乳をもらってこい、と。
どっちが子供なんだかね。
なんでも楽しみたがる騎士たちを眺め、小町はホッコリなごむのであった。
バイクの訓練に合格したジニアスの部下が増え、残りの近衛騎士たちも加わり、しだいに夕食の席は大所帯になっていった。
小町の胃が満腹の悲鳴をあげる頃、篝火の向こうで、バイクが大きく傾いた。情報通のイバンスを相手に、小町が情報収集をしている時だった。リディオが立て直しにかかっている。
その様子を認めた小町は、おもむろに腰をあげた。そろそろ頃合いである。
「イバンス、交代してくるわね」
「勝手に動かないでくださいよ。安静なんですから、あなたは。バイクですか?」
「安静って……私、病人じゃないのよ。リディオだってお腹すいてると思うの」
「そっちは心配ないんですって、隊長が戻るまで、あいつはまともに食わないですから。ちょいちょい摘まむ程度で適当に済ませといて、隊長と腰すえてから食うんです。そういうやつなんですよ、あいつは」
「あら……そう、なんだ」
意外……
ドライな人だと思ってたけど……
リディオの直属の上官であるランバートは、パリスとともに衛生兵の天幕を見に行っているそうだ。
「隊長も直に戻ると思いますけど、とりあえずパンでも食わせときますか」
そう言ったイバンスは、手近にあるパンをナプキンに乗せて大雑把に包み、酒瓶を持ってすっくと立ち上がった。
「一緒に行きますよ。腹もはったし、バイクにも興味あるんで。俺が交代してもいいですか? リディオにできて俺にできないことはないでしょ?」
「もちろんよ、誰でもできるようになるわ」
「僕もいいですか!?」
挙手したのはアレンで、それに続いて数名が名乗りをあげる。ジニアスの部下たちが順に合格し、ならば自分たちもと思い始めたようだ。無害だと認識しつつある。いい傾向である。
もともと近衛騎士は、負けん気が強い者ばかりが集まっている。いっかいの平騎士から志願して近衛の候補者となり、他の候補者から抜きん出て、そこで初めて近衛の称号を与えられる。門は狭く、通過を目指す者は多い。
決して、馴れ合いだけの集団ではないという事だ。
「望むところよ。でもまず、ジニアス達が先ね。そのあとなら、いくらでもどうぞ」
「よっし、さっさと食っとくぞ!」
「コマチ、鳴かないようにお願いしますっ!」
「分かる、アレン。俺も地鳴りだけは勘弁なんだよ」
いっきにわきたち、賑やかになった。
騒ぐ騎士たちを残し、小町はイバンスを連れてリディオのもとへ歩いた。
◇◇◇◇◇◇
衛生兵の天幕を訪れていたパリスは、五つ並びの棟を順に見てまわり、なんら問題ないと判断して最後の天幕を出た。最低限の衛生品はそろい、即席の寝台も設けてある。怪我人の受け入れ態勢は整ってあった。
「不備はないようですね。そちらはどうです?」
物資は抜かりない、ならば人員はどうか。そちらの確認はランバートに任せていた。
「学生ばっかだと思ったが、どうやらダニロ男爵の兵も入るらしい。さすがコーエン卿だな、抜かりなんぞねぇ」
今回の盗伐は人員不足が前提であるため、パリスは事前に士官学校にかけあい、衛生兵の補填を手配してあった。修了前の学生が主体になると思われたが、話によると、コーエン卿が心もとない彼らに応援を寄こしてくれたようだ。
「指揮権をゆだねた殿下の判断は正しかったわけです。ところで……そちらのお二人は?」
ランバートの隣に見知らぬ顔が二つあった。どちらも同じ体型、どこから眺めても同じ顔である。体つきはいいが、それにしても随分と若い。見るからに学生といった雰囲気だ。
パリスが問うと、二人は緊張した様子でぎこちなく同時に頭を下げた。どうにもその表情から、ランバートではなく自分に用向きがあるようだとパリスは見当をつけた。
「シリング家の上の双子だ。マーチんとこって言えばわかるか?」
双子……
シリング家……マーチ……
もしや、水難事故で助けられた、あの子供の……
「大聖堂でお会いした、あのマーチでしょうか?」
水難というセリフを避けると、ランバートは鷹揚に頷いた。確かマーチは六人兄妹の末だと、この男は言っていたように思う。上の三人の兄達は、大学に――士官学校に席を置いている、と。
「では、衛生兵としてこちらに?」
「「はい」」
返答も同時で、声質もほぼ同じ。さすがに双子といったところだ。
「ならば用向きを聞きましょう。私に何か?」
柔和な笑みを浮かべているが、口調はそっけない。放つ気配は他者の介入を拒む。
これがパリスという男で、冷淡で無慈悲と噂がある一方、騎士の鏡とも賞されていた。双子も噂は承知だったが、気迫という目に見えぬものに気圧され、一瞬にして怯んだ。
「おい、パリス――」
お手柔らかに頼む、とランバートは言いかけ、思いとどまった。なぜなら、パリスの手がスっとあがり、制止を求めたからだ。喋るな、と。
「雑談ではありませんので、私情を挟まないでいただきます」
「……分かってらぁ」
平民出のランバートは、どうしても下層の人間に甘くなるのである。長所でもあり短所でもあると、常々パリスは忠告している。
それでなくとも、シリング家で療養するロトという少年に、特に目をかけていると聞く。知らないとでも思っているのか。
黙り込んだ男を横目に、パリスは双子に語りかけた。普段通り、淡々とである。
「本来であれば、あなた方の話は上官がうかがうものです。仕組みもすべて大学で学んでいるはず。まずは、それを飛ばした理由をうかがいましょう」
学んだはずの規律を無視する理由を言え。
指摘を受け、双子は緊張でこわばった顔を蒼白にしていく。一方でパリスはすっと目をすがめた。
彼らは修了前の学生である。つまり、騎士になるべくして士官学校に入り、規律についても学び終え、将来の立ち位置を選択する過程にあるのだ。パリスとランバートが誰を主君として仰いでいるかも承知で、にも関わらず、上官を伴いもせず、ランバートという知人を介して第一王子の側近に接触をはかっている。
理由については察しているが、それにしても、この行為はいったい誰への冒涜だろうか。
「あなた方はこの機を、“騎士”と名乗りたいがための演習だとでも思っていやしませんか。あの天幕を校舎だとでも?」
一段と低くなった声は、双子に冷淡さという強烈な印象を残した。
「ここへ来たからには、あなた方も我々と同じ“騎士”だと解釈してありますが誤りでしょうか。明日この地に立つ者は、私を含め命の保証はありませんが?」
「「…………」」
「知人を頼るのも結構でしょう。ですが、明日もまたこの男が助けてくれると期待するなら許しませんよ。これでもこの男は殿下の左翼を担っていますので、衛生兵の学生ごときに構けている余裕はありません。見苦しく助けを求めるなら、私が斬り捨ててさしあげます」
明日の盗伐では、この若い学生たちも、“騎士” と同じように己の命を懸けねばならなかった。戦場から負傷者を救い、延命のための可能な限りの処置を行うのが衛生兵の務めだ。前線で戦わないからと言って、命の保証があるわけではない。大学でも学び、救済の道を進むべく、騎士でも文官でもない衛生兵を志すものもいる。
付き合いのある人間を頼りたくとも、頼る前に己が果てるかもしれない地に立つのだ。危機感を持て、甘さを捨てろ。
パリスの言葉は、少なくともランバートには、そんなふうに聞こえていた。
「長々としゃべる気はありませんので、私が言わんとすることは、今夜じっくり考えておくといいでしょう。明日の働きにどう響くか見ものです。ランバート、行きますよ、殿下がお待ちです」
「……ん」
双子の用件を知るランバートであったが、特に逆らいもせずパリスに応じるのである。声をかける気も失せていた。
パリスの言い分が正論である以前に、この偏屈者が双子を量っているのが分かったからでもある。下心などない用件だということも承知しているに違いなかった。
さてさて、どう出るかね、とまあ、期待半分である。食らいつくなら拾い物、断念するならその程度。手順通りといくなら、それはそれで、可能性は低い。
丘を登り始めてすぐ、結論は出た。双子が直訴すべく追いかけてきたのだ。
近衛騎士ガサン・オズイク、および、主君の客人である小町に、目通りを願い出るために。
――応じるのか?
ランバートの内心の問いは、偏屈者の口角が答えていた。
◇◇◇◇◇◇
アタナシア王国の軍旗は、灰色の生地に銀糸の縁どりがほどこされたもので、一見して銀色に見えるため銀旗とも呼ばれていた。
大きさや形は様々であるが、場所や目的によって使い分け、特に色というのは、自軍と敵軍を区別する上で重要な役割を果たすのである。仕上がった旗に針子が丹精こめて家紋を刺繍し、完成となる。
ほどこされた家紋の役割は、当然のことながら、どの武将が率いる軍かを示すものだ。コーエン卿が率いる軍にはコーエン家の家紋、ダニロ男爵が率いる軍にはダニロ家の家紋、といったぐあいだ。銀旗と家紋、この二つが揃うことで、アタナシア国軍に所属する軍旗となる。
銀旗に家紋を飾るのは慣例であるが、例外もあった。その例外が、ディクシードの天幕に立っていた。
無地である。
銀糸の縁どりと、同じく銀糸を編んだ房飾りが付き、見るからに位の高さを象徴するものであったが、ディクシードのそれにはいっさいの刺繍がない。家柄をさすものが皆無なのた。
第一王子が王城に上がった際、側近の任を預かったパリスが、銀旗の家紋について進言するも、なんら不要と王子自身が回答したためである。
そもそも、王の子の旗というのは、複数の兄弟間で区別をはかるにあたり、母方の家紋を模した紋を掲げるのがならわしであった。しかしながら、パリスの主君の母君は、正妃であっても家柄がなかった。それゆえディクシードの希望を聞き、当時の重鎮と審議したうえで旗印にしようと、パリスもいくつかの案を携え、うかがいを立てた。
が、不要という回答しかディクシードの口からは出なかった。
これに喜んだのは王都の重鎮どもで、よけいな権威を主張しない王子をいいことに――パリスにすれば忌々しいことに、出陣を前にして、とんとん拍子で無地の旗を完成させたのだった。
権威のかけらもない第一王子の銀旗は、そのおよそ半年後、ディクシードがみごとな初陣を果たしたのち、驚異の象徴として語りぐさになった。敵軍の将は、敵地に翻るのが無地の銀旗としるや、平穏無事に退却する道を探すと歌になるほどである。
パリスとランバートが、双子を伴って天幕に戻った時、小町はその銀旗のそばで胡坐をかき、何やら手芸にいそしんでいた。ひとえに手芸と言っても、手にするのは針と糸ではなく、矢筒らしきものと革紐である。
わきをかためるのは近衛の年長者達だ。ガッセことガサン・オズイク、イバンス・アントネリー、そしてリディオ・ベンガッセンといった面々で、主君の言いつけを守り、彼女は動き回ってはいなかった。
厳めしい顔で矢筒に紐を結び、そうかと思えば背負って立ち上がり、リディオに調整してもらい、そしてまた外し、座り直して矢筒を確認する――という作業に集中している。
「ありゃ何やってんだろうな」
「あの娘は理解の範疇を超えていますから」
などと口にしながら二人が近づく途中、小町がまたそれを背負った。するとガッセが、磨きたての剣を矢筒の中に放り込む。
「なるほど、剣を入れるのか」
「そのようですね」
「って、おいおい――」
パリスとランバートは顔を見合わせた。
確かに小町には、明日に備えて実剣を用意してあった。昔イバンスが使用していた剣で、衛生兵の天幕へ行く際、機を見てその剣を小町に渡しておけと命じてもいた。
「背負う気でしょうか」
「長剣じゃねぇがな」
腰に帯びるのに不向きな長剣や大剣なら話は分かる。双刀の使い手でも、まだ分かる。が、今回与えた剣は、その範囲ではない。
ごくごく一般的な長さの実用性の高い剣だ。重くもなく軽くもなく、短くも長くもない。小柄な小町に配慮した、手入れの行き届いたイバンスの剣で、当然ながら腰に帯びるものである。
帷子でさえ重いと不服そうにしていた小町は、甲冑に関して断固拒否した。なんでも、バイクに乗るなら身軽になる必要があるそうで、当人なりに防具の用意もしてあるのだそうだ。
あの様子を思い出すと、剣をも嫌がったのかと思うが、それにしても、なぜ背負わねばならないのか。腰帯もしっかり構えてあったというのに。
「その剣は背負うものではありませんが?」
「あら……パリス、それにランバートも」
皆がいっせいにパリスを見やった。
「どうやら、剣の帯び方から指導せねばならないようですね、あなたは。――ランバート、ここは任せます。私は彼らを殿下に会わせてきますので」
彼らとは、双子の事である。
パリスにすれば、平時どおりの分担割を告げたつもりだった。小町との面会を希望する双子は、主君にまず引き合わせる必要があった。客人の扱いとはそういうもので、主君がらみの要件は自分が、近衛がらみのうんぬんはランバートが、という割り振りが暗黙でもあった。
しかし、ランバートがこれに異議を唱えた。
「いや、俺がディクシードに会わせる」
おや? とパリスは眉を動かした。
「こいつらとは面識があるからな」
簡潔な返答を残し、ランバートは双子を連れ、さっさと主君の天幕に入って行った。もっともらしい返答であったが、パリスは引っ掛かりを覚えた。つい先刻、私情を挟むなと釘をさしたばかりなのだ。他者ならまだしも、長い付き合いのランバートである。
もしや、避けているのか?
チラと小町に目を向けるも、当人は矢筒を睨みつけ、未だそちらと格闘中で、なにかしらに気付いた様子はない。
「パリスさん、あの二人はどうしたんですか?」
ガッセが立ち上がって問うた。
「見たところ学生のようですが」
「衛生兵の補填だったのでは?」
イバンスも続き、リディオも小町の面倒をそこそこに、立ち上がって返事を待った。
殿上人たる主君の天幕をただの衛生兵が訪れたのである。上官二人が伴った以上、なんらかの事情があると承知でも、場合によれば自分たち近衛にも影響があるかもしれない。三名の騎士は、年長者として培われてきた当然の反応を示した。
「察しの通り、彼らは衛生兵の補填要員です。ここへ連れてきたのは事情がありますが、差し迫ったものではありませんので……リディオ、まずは報告を」
パリスは三名をいったん制し、わずかな不在のあいだに野営地の体制に異変がなかったか、報告を要求した。リディオがこれに即座に応じ、主君の天幕を訪れた武将らの名を挙げる。
総じてボルコフ一派となる。
「閣下が?」
「先刻、戻られました」
再びパリスの視線が小町の頭頂部を直撃したが、あいも変わらず娘は格闘を続けている。
もし何かあれば、ボルコフの天敵であるガッセが盾となったはず。それに、主君の目もある。あの阿呆もいくら阿呆といえど、下手なことはするまい。主君への要件についてもたがだか知れている。報告ついでのご機嫌とりだ。
「ほかに来訪者はありませんでしたか?」
「ありません。……ですが、コーエン伯爵閣下とダニロ男爵閣下は、そろそろお見えになるかと思います。御仁の天幕に一区切りついた頃だと思いますので」
一つ頷き、パリスは三名に問うた。
「みな、夕餉は?」
「順当に終えました」
パリスの視線が今度は篝火に移る。残った夕食をつまみに、酒を飲む部下達がいた。そして篝火の向こうでは剣や甲冑の手入れにはげむ者達がおり、さらにその向こうにはバイクを囲う集団がある。訓練というよりも、好奇の目を向けているようだった。
「あの馬にもずいぶん慣れたようですね」
「ジニアスの隊はもとより、うちの連中も一通り触っています。手ごたえはいいですね」
「残るはあなたとランバートだけね。やってみる?」
突然口を挟んだのは小町であった。パリスがギロりと見下ろすも、なにくわぬ顔で未だに作業にはげむ。格闘しつつも、ちゃっかり聞き耳は立ててあるらしい。
ふてぶてしいと胸中で毒づき、パリスは小町になど取りあわず、件の双子について、ようやく三名に告げたのである。
「ガッセ、あなたに用向きがあるそうです」
「俺に? 学生が、ですか?」
心当たりがなく、怪訝そうに眉を寄せる大男に、安心しろと笑みを返した。
「あなたのマリー……失礼。マリー・イーザリーが大聖堂で助けた少女の件ですよ。彼らは、あの少女の兄だそうです」
マーチの、お兄さん?
聞いた名が出たことで、小町もついに手を止め、頭上の会話をあおいだ。
「間接的にでも、マリーへの礼を述べにきたのでしょう。あなたと、それからコマチにも目通りを望んでいますから」
……ん? ……私も?
行儀わるく胡坐をかいてのけぞり、行儀わるくポカンと口をあける。そんなアホ面をさらした呑気な娘の姿を、頭上の四名の騎士は、呆れた風で見下ろすのであった。
◇◇◇◇◇◇
双子の兄弟は、フランク・シリング、サムウェル・シリングと名乗った。長男がフランク、次男がサムである。
二人とも感じのよい青年であったが、最初から最後まで恐縮しどおしで、間接的とはいえ、謝意を受ける立場のガッセと小町は、なんだか気の毒に感じたほどだ。
とくに小町はあの事故の際、マーチも溺れた当事者だと認識したのが、皆よりも後だったせいもある。堂々と礼を受けるには、ちょっぴり後ろめたく感じていた。
アレンに連れられた双子が遠のいていくと、断じてしめし合わせたわけではないのに、ガッセと小町は同時にホッと嘆息し、お互いの気疲れを視線で分かち合うに至った。
――あなたも?
――お前もか?
と、胸中はこういう具合で、正直なところ堅苦しいのが苦手な二人である。恐縮され通しというのも肩がこるのだ。
妙に波長が合った二人は、なんとなしに歩いて皆のもとへ戻り、篝火の席にそれとなく加わると、手ごろな容器にエールとミルクを注ぎあった。終始、無言である。
しばらく喉をうるおすことに専念したが、どうにも気分が晴れず、騒ぐ気にもなれず、立ち上がって気晴らしを考えたのも二人して同時であった。
「お前はバイクか?」
「あなたは剣?」
かぶったセリフに驚き、頷きあって意思確認をしたのち、連れだってバイクの元へ向かう。群がる男どもに小町が返せと主張すると、不服そうな同僚を認めて、ランバートに次ぐ年長者のガッセが一喝する。連携プレーの名のもとに、バイクはみごと、小町のもとへ戻ってきた。
ガッセはエール瓶をかたわらに置き、腰を下ろして剣を磨き始めた。一方で小町は、ミルク入りタンブラーをかたわらに置き、しゃがみこんでバイクの汚れを拭き上げに掛かる。
まったくもって静かなもので、しばらく黙々と作業をこなした。
「……若かったわね」
「……学生だからな」
主語を持たない会話であっても、お互いが双子の話をしているのは察せられた。おそらくガッセも、あの後からずっと、彼らのことを頭の隅で考えていたのだろう。
双子は、アレンの一つ下だと言っていた。つまり、小町の二つ歳上――十八歳。
小町から見ればとにかく若く思えた。青年と称するには幼く見えたし、小町がよく知る近衛たちと比べても、かなり頼りなくうつった。学生という雰囲気も分からなくもなかった。
同時に衝撃もあったのだ。こんなに若い彼らも、明日の盗伐に加わらねばならないのかと。
あちらの世界では、当然ながら小町とて学生である。日々が平穏で、己の将来のための勉学に専念できていたのに、この世界の学生は、そうではない。
そのギャップが衝撃だった。
彼らは、危険を承知で盗伐に参加する。将来は将来でも、己だけの将来ではなく、家族や友人、ひいては国の将来のため、命を懸ける。
これまでの小町の生活がいかに平和であったのか、痛感せざるを得なかった。
志の高い人になりたい――と口では言いながら、平穏な日々に、ずっと甘んじ続けていたのだろうか。
今の自分は、帰りたいと口にするたび、平穏無事な日々を求めているのだろうか。
刺さったばかりの心の棘が、考えれば考えるだけうずくのだった。
ご覧いただきありがとうございます。
第75話『軍旗』はいかがでしたでしょうか。楽しんでいただけたでしょうか?
この話を書いたときも、脳内暴走中のままだった作者です。
チンタラしながらタッタカやってる作者は、82話まで来ております。先走ってすいません。
いや~、つくづく思ったんですが……
書きなぐった話を掘り返してチェックするのって、やっぱり難しいですよねぇ~
チンプンカンプンですもん、掘り返すとぉ~
でもねでもね、82話まで来てるんです、今。
このまま四章エピローグまでいってやります、はい。
せっかく脳内で走ってくれてますんでね、反省しつつも行ききろうと思っとります。
お付き合いくださいませ。
では、次話の予告を。
コーエン卿 & ダニロ男爵 登場。(もう一人のまともな要人はだいぶ先ですけども)
以上です。
第76話『氏名と身分』でお会いしましょう。




